見出し画像

いま

先日は、精神医療利用者自助グループ「かちPICA」の「うんどうするかい」を公共の運動施設にて開催しました。参加者は2名。


最初は、バドミントンやおもちゃの剣でお互いの位置を動かさないでのフェンシングごっこ、などで軽く遊びました。後半は、それぞれ現代的なダンスをしたり、格闘技動作の練習をしたりしました。

運動自体が目的ではなく、ゆるく他者と交流していくことこそが、心の回復や社会性の向上につながるという狙いに沿って、この日も運動のストレス解消と時々の語り合いが、お互いのこころをいやし、沈んでいた気持ちから解放されました。


「かちPICA」は2021年から活動をスタートしました。


私は、精神科に通う当事者です。

以前は、他の素晴らしい方が代表を務める自助グループに数年参加して、副代表を務めたこともありました。


その後、しばらくたってから、「かちPICA」を始めるに至りました。


少年期の校内暴力について、そもそも学校はその事実を知らないか、知っていて無かったことにしていたのだと思います。

よく、学校の体面的に「いじめ」と言いますが、私の心身や人生に何十年も悪い影響があるので、「犯罪」だと思います。

いろいろ学んだ今思うと「複雑性PTSD」のような状態になったと思います。

ひどい暴力や支配を受けていたにもかかわらず、普通を装って毎日通学していたのも症状がひどくなった原因だったと思われます。

他人を心底信じられない割に、誰かにはすべてゆだねるように信じきったり、対人感覚がおかしくなっていいました。

本来は精神の症状や感情を出したかったのだと思いますが、無理をして普通のふりをしていたのだと思います。

一方で、自分がされたのと同じように人を支配したり、暴力を振るいたい気持ちもありました。

しかし、弱い自我や前向きになれない気持ちであり、なにか格闘技を習うとか自身を向上させる努力もしませんでした。


学生時代に交際した女性の皆さんにはひどいことをしました。

一人に関しては、私は全くの犯罪者で現行法なら逮捕されるようなことをしました。

進学で故郷を離れると自身の幼さや過去のトラウマや様々な出来事もあり、だんだんと登校しなくなってゲーム廃人になりました。

ゲームの中では、主人公は無敵で、自分の望む最善や現実ではできないことができました。


電子的遊戯に時間をかけ、他人との交流を減らしていった影響で、留年し、中退しました。

ゲームの中では無敵でしたが、現実にはひ弱な若者で、女性にも見捨てられました。


ひきこもっていて社会で生きるために必要なことを、なにも学ばないで現実に引き戻され、どうにか一流警備会社に潜り込んだものの、社会性のなさや精神の強さがないために挫折していました。

そして、通勤地下鉄の、自分が乗った数分後の車両がサリン事件被害車両だったのです。

警備室につくと隊長は心配そうに大丈夫だったかと言い、支社からも本社からも実家からも安否確認の電話が来ました。

しかし、自分はあまり動転していませんでした。

そもそも少年期から30歳くらいには死ぬのではないかと漠然とした感覚を持ち、いつでも死ぬだろうと思いながら、他人や社会を信じる気持ちが薄いまま、年齢ばかり大人になっていました。

PTSDの症状で言う、感情の鈍麻もあったのだと思います。

駅構内不審物や終電内の捜索の仕事が終息するころに警備会社を辞めました。


一人暮らしのアパートで、だんだんとおかしくなっていきました。

一方で投稿雑誌などでわけのわからない投稿をしていました。

その投稿雑誌内の人たちの間で、馬鹿にされたり個人情報を流布されてネタにされるという、現在のSNSやネット上のトラブルのような目に合っていました。もちろん当時も少しはネットや携帯電話はあったので、情報流布や共有も速く、投稿雑誌上での嫌がらせにも素早く反映されていました。


助けが欲しくて誰かに会いたいが、他人は怖い。

人が怖くて働くこともできず、午前3時にゴミ捨てに行き、コンビニで食料を買い、何日も外に出ない状態が続きました。

具合が悪いのにエヴァンゲリオンを2年連続で見て更におかしくなったことも。

(ポケモンのポリゴンの回も見ていましたが、なにも起きませんでした。)

友人や親がアパートに様子を見に来てもドアもあけない。

日に日に状態が悪くなり、自傷他害の恐れ、という状態。


私は恵まれていたので、親が苦心し時間をかけて私を説得し、実家へ連れていきました。

恵まれていなければ、電車や路上で死んだり何人も殺したりしていただろうと思います。

つまり【無敵の人】となっていた状況でした。


実家に戻りましたが、昼夜は逆転し、人は怖いし、逆に他人の不正や非道に対してとがめだてて攻撃的になる状態でした。

(今思うと、これは人生に「正義」や「法的・社会的な救済」がなかった反動だと思います。虐待やDV家庭などひどい状態で過ごした子どもが、社会を恨んだり他人の行動に敏感になるのと少し似ていると思います)


親に時間をかけて説得されて病院に行きましたが、少年期のいじめや投稿誌でのトラブルやハラスメントなどを、病院の先生たちは当時まともに信じませんでした。(今なら、先生方も信じるだろうと思います。世の中にはLINEもSNSもあり、それを使った犯罪や嫌がらせも多数あります。)

助けてほしい医療機関で、信じてもらえず、逆に自分が悪いように言われました。

医師は薬を出すのが仕事で、事実関係の調査はしません。

それで医師には薬を出す以外期待しないことにしました。


話すだけ無駄だったのです。


自分のトラブルについては当時警察でも病院でもダメで、自分でどうにかしないとどうにもならないことを知りました。


医師は落ち着かせようと多めの薬を出すので過鎮静でふらふらになりました。

一日中寝たきりであったり、ひきこもりの時間が長く、数日のアルバイトでの立ち仕事にも耐えられない体力でした。


こんなことでは加害者たちに復讐ができない。

ある日、NHKの番組で、午後に陽の光を感じると睡眠サイクルが安定するという情報を得ました。

自分の判断でどんどん薬を減らし、公園で一日15分、歩くことから始めました。


すこし慣れると、体力が向上するのが楽しくなりました。

筋トレや木刀の素振りを始めました。

ウォーキングが60分になり時速6.5キロを超えるようになりました。

精神や医療のことも図書館で各種専門書を読みふけりました。

スポーツチャンバラを習い、格闘技エクササイズを習い始め、週に何日もジムに通うようになりました。

体力が付くと工場労働や非常勤の勤務ができるようになり、こころにも余裕ができました。


中退で無職期間が長く、氷河期にもあたっていて正規雇用にはつけません。

行政や団体の非正規雇用で雇用期間を稼ぎ、職業訓練を受けて簿記とパソコン検定と秘書検定を取りました。

自力でも勉強して簿記2級やITパスポートを取りました。

測量や土木関係の企業や団体で非正規雇用をし、文化財のデジタル化をする企業にアルバイトで入りました。

自力で測量士補を取り、会社が反対してもドローン操縦を学び、業務で一眼レフやPhotoshop、Illustrator他各種スキルを身に付けました。

社内チームでの仕事や、行政や他企業との仕事も行いました。

キックボクシングジムに通ったり、武術も習いました。


なるほど、私は20歳頃の自分を3秒で倒せるくらいにはなり、仕事も少しはできるようになりました。

測量と簿記とカウンセリングとドローン操縦と格闘技と一眼レフ撮影と動画編集とマニュアル車運転などができる精神病患者(寛解)もなかなかいないと思います。


しかし、長い時間が無駄に過ぎていて、家庭も子どもも持てないこととなりました。

これは自分のせいでもあり、日本社会のせいでもあります。


この件について馬鹿にする人物がいたら、即殺してもいいと思っています。

(その行為自体も、無駄なコストですが。)


なぜなら、今の私たちや子どもたちにとって、より多くの次世代の日本人がいないことがどれほど困難な状態を招くか理解しない、日本の未来への自覚と責任がない人物だからです。


非正規で使い捨てにされてきた人たちが、もっとましな条件で働いてスキルも上げて子孫を残せてきたら、未来の日本はもっとましだったでしょう。

社会の未来のためにいいアイデアを出す人物や本来はもっと社会的に活躍したり、家族を増やせた人たちを、自分や仲間の利益のために追いやってつぶしてきたのが私たちのこれまでです。

人を使い捨てにして、自分だけ良ければという考えが、自身の子孫の未来も不幸にしてしまったと言えます。


私の人生は手遅れなのですが、同じように困っている若い人はいます。


以前参加させていただいた自助グループでも、生きにくさを感じ、困っている人たちが思いを共有して、支えあったりいいアドバイスをしていたりしました。


人を支える仕事がしたくて、障がい福祉の仕事についたのですが、そこで理不尽なハラスメントに遭い、退職する羽目になりました。

正義とかやさしさとかが必要な環境でもハラスメントはあるのです。(病院でも介護でも警察でも役所でも裁判所でもあるでしょう。少しだけ各所へ通報はさせてもらいました。結果がどうなったかは知りません。)


その前後で、児童虐待被害サバイバーのグループの方と知り合い、活動のお手伝いをさせていただくことになりました。


以前、参加していた精神科利用者の自助グループがなくなって数年。

自分でも精神科に通う方のための活動がしたくなり、始めることにしました。

語りあう時間が、沈んだ気持ちや、怒りや、悲しみをいやし、共感を得て立ち直ったり、落ち着いて状況を判断できるようになったりと、いい効果があることを体験していたからです。

かたりあう時間や、ゆるく運動する時間、PCスキルや仕事のことを学ぶ時間、他の団体のウォーキングなどのイベントに参加したり、ボードゲームでなごむ時間。

毎回数人は参加者がいて、多いと10人以上が集まります。

誰かが暗い顔をしてやってきても2時間過ごすうちに明るくなって帰っていくことも多いです。


その表情の変化を見ると、やっていてよかったと感じます。

個人的に参加者やその他の方々の相談に乗り、カウンセリングをしているときも同じように感じます。


児童虐待被害サバイバーのグループのお手伝いをし、犯罪被害者支援団体の講習に参加し、自分の自助グループの代表をし、メンバーの皆さんの相談も受け、地域のNPOにも参加し、生協のたくさんの総代の一人にもなり、キックボクシングのサークルにも参加し、子どもシェルターの活動にも少しだけ参加したり、SNSでも福祉やメンタル関連の投稿をしています。


そしてまた、新しい福祉事業所の立ち上げのためのスタッフとして働き始めました。


人生の泥沼でのたうち回っていて、困難の真っ最中に死ぬこともあるし、誰かを殺すこともあります。

困難の中から、環境や人の縁や自力で向上できることもあります。


なにかで困っている人をさらに追い詰めるよりは、何かで応援できる人が多いほうが、

これから自分たちが生きる社会を生きやすくできると思います。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集