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想いは自由な詩にのせて

詩を書くのが好きだ。



ライターだからというわけではない。

現にライターで詩をしたためている人に、会った試しがない。


詩は、良い。

でも、創作する人はあまり多くないと思う。

なんでだろう?

その定義が、あまりにも曖昧だからかもしれない。


どこにも正解がなく、形のない世界。

言葉で構成されるということを除けば、取り立ててルールが無い。

文章じゃ無くてもいいし、単語を並べるだけでも成立する。


言葉の世界における、自由人。

それが、詩だと思う。


私は、WEBライターだ。

在宅ワークが名を馳せる現代において、WEBライターを名乗る人もそう珍しくはない。

ただ、身近で探せばまだまだごく少数派だろう。


この仕事を始めて一年足らず、もはや文章を書かない日はなんとなく落ち着かない。

インプットとアウトプットを交互にこなす。


記事のための知識を詰め込み、文章として吐き出す。

必要な知識を読者にわかりやすい形で提供するのが、WEBライターの仕事。

言葉には敏感でいたいし、自ら作り出す文章は恥ずかしくないものにして送り出したい。


特に勉強会等に出かけるわけではないが、WEB上で気になった記事は目を通す。

Twitterやnoteで見かけた気になるライターさんは、ぐいぐい追いかける。


色々な知識に触れること、たくさんの文字書きさんが書いた読み物にふれることが、自らの勉強にもなると思っている。


文章には、一定のルールがある。

句読点、段落、敬語…。

小学校の時、国語の時間に習った常識的なところを抑えていれば、誰だってライターになることができる。

ただし、継続していくとなれば、それはまた違った努力が必要だとは思うけど。


WEBライターの書く文章は、大概、あらすじが決められている。

『構成』と呼ばれる型枠に沿って、タイトル、文字数、見出し等の内容が決められており、ライターはそれに合わせて内容をカタカタと詰め込んでいく。

慣れれば、単調な作業に感じることもある。


小説家やエッセイストとは違う。

「正しく伝えること」が大切なことで、個性や感情はほぼ必要ない。


WEBライターになると、誰もが一度はこう感じる。

「私が書きたいのは、決まりきった記事ではない」と。


しかし、現実問題としてWEBライターが求められるのは、答えのある形式張った記事たちだ。

全てはクライアントあってのもの。

クライアントが望まない文章や、読者が望まない文章は、書かせてもらえるわけがない。


仕事で記事を書いているばかりの日々では、文章が枯渇してしまう!

私は、そう感じる。

同じものなんか一つもないはずなのに、常に一定のものを放出し続けているような既視感。

簡単に言うと、スランプだ。


もっと自由な言葉を送り出したい!

そう思って始めたのが、Twitterとnoteだ。

Twitterは、宣伝と外界とのつながりのため、noteは営業と自身の底上げのため。


今の私にはそれぞれ必要なものである。

そして、とても便利なツールだ。

Twitterでは、記事のことも、日常のことも、おもしろいことも、アホなことも、なんでも吐き出せる。

ストレスも、怒りも、喜びも、何でも分かち合える。

敵に回すと怖い人たちも確かに存在はしているのだろうが、基本は暖かいつながりを感じられる。


大概のことはTwitterにダラダラ放出している私だが、ネガティブな感情をそのまま垂れ流しにするのだけは避けている。

ネガティブなツイートは「ネガツイ」と呼ばれ、好まれない傾向が強い。

何より、私自身「ネガツイ」はあまりしたくない。


ネガティブは、ネガティブを呼ぶ。

ネガティブから光を見いだせることもあるが、なにせTwitterは文字数が少ない。

140文字という限られた文字数では、いたずらにネガティブを広げるに過ぎない。

それは、嫌だ。


でも、

胸のうちに溜まったドス黒いもやもやをなんとかどうにかして吐き出したい!

とか、


絶望的すぎて気力が湧いてこないし何もできそうにない、今の気持ちをツイートしたい

とか、


そんな時があるのだ。

そのままでは出せないけれどなんとか出してスッキリしてしまいたい。

そんな時!


私は詩の世界にその身を委ねる。

しがらみや思惑でがんじがらめになった俗世とは、遠く離れた幻想世界。

詩の世界で、想いは抽象画となって霞とともに現れる。


悲しみは、深い海に

喜びは、太陽に

笑顔は、ヒマワリに

涙は、降り止まぬ雨に


様々な形に姿を変えて、おもいおもいに走り出す。

紡がれるのは、言葉ではなく風景の描写。

私であって私でない、幻想世界の生き物たち。

自然の息吹を受けて動き出す、感情という名の生命体。


静かに激しく、清らかに安らかに、流れるように描かれる世界。

出来上がった瞬間、そこにあるのは汚らしい感情ではなく、静かに佇む風景画。

終わりなき浮世の一瞬を切り取る描写。


これを生み出すのが、なんとも好きでたまらない。


詩を書く作業は、文章を書くのとは違う。

文章は一定の型枠をどうやっても外せないが、詩なら単語だけを散りばめてもいいのだ。


どこまでも自由であり、何者にも囚われない。


そんな空気に目一杯浸ると、私は現世に戻ってくる。

何も変わらない、つまるところただの自己満足の産物に過ぎないが、心持ちはスッキリするのだ。


私はライターだ。

何はなくとも書かねばならぬ時がある。

仕事として、似たような記事を折り目通りにせっせとこさえなければならない時がある。


そして、胸が苦しくなると幻想世界に羽ばたいていく。

ほんの一時の戯れ。

Twitterに残せる範囲、140文字の心象風景。

大空をつかの間旋回すると、もとの世界に舞い戻る。


日々のストレス、鬱憤、黒い感情を一枚のキャンバスに描き切れれば、満足なのだ。

さあ、今日も頑張ろう。

心象風景(四葉かなえ)
https://twitter.com/i/moments/1028803908158742530







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