絶対的な存在だった祖母。

母方の実家は、私が高校生くらいまでは祖母の影響力が大きく、
[祖母の言うことは絶対]という雰囲気がありました。祖母がYESを求める答えに対してNOと言うことは許されない

30数年前、小学校に入学する前のこと。
もはや薄れ気味の記憶のなかで、しっかりと刻まれた記憶がある
いつものように祖父母の家に預けられ、足し算引き算を覚えさせられているときに、引き算があまりできなかった私に祖母が言ったセリフ。
「おかしいねぇ、B子ちゃんはできるのに
よつばちゃんはできないのねぇ。」
と、あえてひとつ年下のB子を引き合いに出され、比べられたこと

なぜその日の記憶だけが強烈に記憶に残っているのか。
それは祖母をがっかりさせてしまった悪い子である自分を責める気持ちと、
家に帰ってから母に「今日は何を習ってきたの?」と聞かれ、「足し算だけよー」と、年下のB子より劣る自分を知られたくないと、まだ小学生にもなっていない子どもが、咄嗟に嘘をついてごまかしてしまったこと

そのことで自分は嘘つきな悪い子であると、自分を責める気持ちと、年下の子よりもできない自分がみじめだという、ダブルパンチが強烈に記憶を焼き付けたのだと思う

親からの愛情も、祖父母からの愛情も十分に感じることができていなかった私は、常に【見捨てられ恐怖】を持つ人間に育った

そして大人たちに認めてもらうために、やりたくないことでも頑張った
結果を求められたら、結果を出せるように、人一倍努力した
このパターンは大人になるまで、ずっと、続いた

幼稚園の頃から、進学する高校は
○○高校(市内で1番の公立の進学校)
△△高校(市内で2番の公立の高校)
このふたつの高校のどちらかにしなさいと、祖母から決められていた
あまりにも断定的に決められていたので、市内にはこのふたつの高校しかないと思い込んでいた
私の両親が○○高校出身だったことも、この思い込みを絶対的なものにしていた

中学生になって、進学する高校について考え始めたときに初めて、他にも高校はある、ということを知った
公立の高校も他にもあるし、私立の高校だってある!!選択肢がある!!

今のように携帯電話はもちろん、ネットも身近には存在していない時代
他のお宅がどうかはわからないのだけど、
主な情報源は身内からだった

その頃の反動なのか、今はとにかく、何をするにも情報集めをかかさない
気になったことについてはとことん調べるし、ネット検索だけじゃなく、書籍や人を通じて生きた情報を集めたうえで、物事を判断する


△△△△△△

noteを始めて思いつくままに感情を言語化しはじめて、色々な気付きがあります

まさにセルフセラピー!

いまはまだ自分のためだけの投稿みたいなものだけど、いつか、親や、周囲の大人からの支配や決めつけに悩んでいる人に、何かしらのヒントになるような話がかいていけるといいな


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