sei

音楽をはじめとした芸術全般が好きで、精神性の高いものに惹かれます。 以前、音楽雑誌に解…

sei

音楽をはじめとした芸術全般が好きで、精神性の高いものに惹かれます。 以前、音楽雑誌に解説などを寄稿していました。Radiotalkで「唯心的音楽論」 というラジオもやっています。 https://radiotalk.jp/talk/262079

最近の記事

  • 固定された記事

心のなかにすべてがある

宇宙の始まりや人間の魂などについてよく考える。小さい頃からそうだった。寝る前とか、布団に入って赤い電球を見つめながら、色々と考えを巡らせた。 考えてみれば、不思議なものだ。この世界がどういう世界なのか、宇宙の外には一体何があるのかはっきりと分かっていないのに、みんな学校に行ったり、会社に行ったり、ご飯を食べたりしている。世の中は動き続けていて、往来にはたくさんの人が行き交っている。そんな雑踏のなかを歩きながら、僕はどこか遠い国の川で飛び跳ねた魚のことを考える。 オスカー・

    • 唯心的音楽論 / Elvis Presley 「My Happiness」

       母親思いだったエルヴィス 。彼は18歳の時、メンフィスでサン・レコードを経営していたサム・フィリップスの録音スタジオを訪れ、母・グラディスの誕生日プレゼントにするために、「My Happiness」と「That`s When Your Heartaches Begin」の2曲をレコードに吹き込んだ。その歌声からは、少しでも母親に喜んで貰いたいというエルヴィスの優しさが伝わってくる。  反抗する若者の象徴として捉えられ、デビューした当時は、その歌やパフォーマンスに眉をひそめ

      • Johnny Cash 『American Ⅳ:The Man Comes Around』

         ディランが2012年に発表した『Tempest』について、「荒んだその歌世界に漂う宗教的なある種の荘厳さ。そこにはロックの一つの極北を見る思いがする」と、以前、ある雑誌の解説で書いたことがある。ジョニー・キャッシュの遺作となった本作にも、同じ印象を受ける。聴こえてくるのは、この世の果てを見つめる、孤独な魂の声だ。  プロデュースはリック・ルービン。様々な楽曲のカヴァーで構成する、"American Recordings"シリーズの4作目。ビートルズの『In My Life

        • Meg Baird 『Dear Companion』

           メグ・ベアードの歌声は優しく、澄み渡った空のように透明だ。小さな祈りと窓辺の祝祭。『Dear Companion』を聴いていると、そんなイメージが浮かぶ。

        • 固定された記事

        心のなかにすべてがある

          Tom Petty 『Wildflowers』

           不意に風が吹き抜け、足下を見れば小さな花が咲いている。春が来ることのありがたさを、今ほど感じたことはない。  トム・ペティがこの世を去って、もう6年ほど経つ。最初に聴いた彼のアルバムは、大学生の頃に買った『Full Moon Fever』だった。以来、『Into The Great Wide Open』や『Wildflowers』といったアルバムを長年愛聴してきたが、とりわけ前述の『Wildflowers』は僕にとって大事なロック・アルバムの1つであり続けている。  タ

          Tom Petty 『Wildflowers』

          サンソン・フランソワについて

           音楽には詩が必要だ。どれだけ「楽譜に忠実」で、機械のように正確無比な演奏であっても、そこに詩がなければ息が詰まるばかりだ。社会から寛容さや大らかさが失われていくなかで、多くの人が魂の渇きを満たしてくれる音楽を求めているように僕には思える。音楽とは、人に生きる喜びを与え、真・善・美の深奥に迫ろうとする試みだった筈だ。 「詩的精神」という言葉は、フランソワのピアノにこそふさわしい。どこまでも耽美で、融通無碍な軽やかさのなかに、救済を求める彼の眼差しが感じられる。

          サンソン・フランソワについて

          キリエ

          「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸の騒ぐなりけり」(西行) マリア・ジョアン・ピリス 『モーツァルト〝天才〟の素顔とその音楽の魅力』(音楽の友編、音楽之友社刊)にピアニストのマリア・ジョアン・ピリスのインタビューが載っていて、興味深く読んだ。モーツァルトの作品をオリジナル楽器(古楽器)で弾くことに興味はあるかと訊かれた彼女は、「私自身、正直言いましてやりたいとは思いません」と答え、「もしモーツァルトがこの時代に生きていたならば、今の時代のピアノを弾くのではないでしょう

          キリエ

          ボブ・ディランのデビュー60周年に寄せて

           ディランを初めて聴いたのは高校2年生の時だから、もう25年くらい聴き続けていることになる。来日公演にも何度か足を運んでいるが、ディランがライヴで演奏する曲はアレンジが原曲と全く異なることで有名で、演奏が始まってしばらく経ってから、「ああ、『It`s All Over Now, Baby Blue』か」と分かったりすることもよくある。初めてディランのライヴを観たのは2001年、まだ大学生だった頃だ。 場所は日本武道館。MCはなしで、ディランは時折足を屈めたり、伸ばしたり、ある

          ボブ・ディランのデビュー60周年に寄せて

          「フォークミュージック」

           昔からフォーク・ソング、特にブリティッシュ・フォークが好きで、ずっと聴いてきた。フォーク・ソングというものに思いを巡らせるときに想起するのが、ディランが『ボブ・ディラン自伝』のなかで書いていた、セロニアス・モンクとのエピソードだ。  グリニッジ・ヴィレッジ界隈で歌っていたころ、ブルーノートにセロニアス・モンクを聴きに行ったというディラン。モンクに「近くの店でフォークミュージックを歌っている」と話すと、彼は「わたしたちはみんな、フォークミュージックをやっているのさ」と答えた

          「フォークミュージック」

          光だけがある

           昔から、中原中也が好きだ。霊性に溢れたその詩の内奥には、人間の魂を深く見つめる彼の眼差しがある。中也の詩や詩論等を読むと、彼が非常に精緻かつ深く「詩」というものの本質を考えているのが分かると同時に、詩にとって、いかに「直感的把握」というものが大切であるかということを改めて強く実感する。  まず直感がある。それは霊感、すなわちインスピレーションと言い換えてもいい。中也は詩作において、「名辞以前の世界」を表現しようとしたという。例えば、陽の沈んだ空を眺めたり、道端に咲いている

          光だけがある

          The Mighty Quinn(Quinn The Eskimo)Bob Dylan Cover

          Bob Dylan Cover

          The Mighty Quinn(Quinn The Eskimo)Bob Dylan Cover

          The Mighty Quinn(Quinn The Eskimo)Bob Dylan Cover

          自作曲 『Visions』

          『Visions』 music,lyrics,vocal,acoustic guitar / sei 孔雀の歌はそこかしこ フェルメールの抱擁の上を 川は静かに流れてゆく 君のハンカチを握ってる 待ち望んでいたものは言う どれだけ僕を待っていたかと 精霊たちの輝きで 今夜は眩しいくらいに明るい 僕らは光のなかをゆく 髪を束ねた少女が 象の後に隠れてる 閂持ったプリマドンナ 小さな瞬きひとつ ひざまづくのはラビの前 永遠に秘密を誓う ポケットに手を突っ込んで もう一度あの歌に帰ろう 僕らは光のなかをゆく 春の野のバッファロー 袖すり合うのも何かの縁 蛇口の歌が聞こえる オートクチュールに身を包み 君はケーキをねだるんだ あらゆる季節を飛び越えて 夜更けのステンドグラス 鳥は戻ってきていた 僕らは光のなかをゆく フリルのスカートはいて 君は小さな橋を渡る 羽子板を打つ音 夜の帳が靴を脱ぎ 街灯に灯が灯る 魚が不意に飛び跳ねる ヴァイオリン弾きを見た 曲がり角の手前で 僕らは光のなかをゆく 書きかけの詩を眺めてる 放蕩息子の輪郭 窓からいい風が入ってくる 風は去っていく川の向こう 色を置いて去っていく 君の事を想っているよ 美しいものには 美しいと言えばいい 僕らは光のなかをゆく 今静かに陽は昇り 僕らはまた生まれる 漣だった空 きっとすべてうまくいく 何かが僕らに触れた 折り重なる時間の中で 恋があり歌がある 指先で水に触れる 僕らは光のなかをゆく

          自作曲 『Visions』

          自作曲 『Visions』

          胸にしみる国旗掲揚と君が代だった。間伐材を使った五輪マークも良かった。すべての選手のご健闘を祈っています。

          胸にしみる国旗掲揚と君が代だった。間伐材を使った五輪マークも良かった。すべての選手のご健闘を祈っています。

          「どんな映画にも一つだけはいいところがある」

           もう十年以上前のことだが、日比谷シャンテに、ゴダールの『アワーミュージック』という映画を観に行った。上映前に「おっ」と思ったのが、スクリーンのサイズが「スタンダード」に切り替わったこと。昨今の映画は、大体「シネスコ」か「ビスタ」の場合が多いので、洒落てるなあと思った。  映画は昔から好きで、以前は映画館にもよく通っていた。子どものころ、親に連れられて立川の映画館に『ドラえもん のび太と竜の騎士』を観に行ったとき、同時上映された『オバケのQ太郎』の立体映画を立体メカ

          「どんな映画にも一つだけはいいところがある」

          朗読 中原中也『月夜の濱邊』

          朗読 中原中也『月夜の濱邊』

          朗読 中原中也『月夜の濱邊』

          朗読 中原中也『月夜の濱邊』

          「わたしはべつのだれかである」 Bob Dylan 『Rough And Rowdy Ways』

           昨年リリースされたディランの『Rough And Rowdy Ways』は聖性に満ちたアルバムだ。チャーリー・パーカー、ロバート・ジョンソン、ハンク・ウィリアムス。どんな状況にあっても揺らがない心を持ち、命懸けで自分の信念に生きた巨人たち。そういった先人たちの音楽と同じ聖性を本作にも感じるのだ。 「わたしには色んな面があるんだ」と歌われる冒頭の「I Contain Multitudes」には、若い頃にランボーの詩に出合い、「わたしはべつのだれかて

          「わたしはべつのだれかである」 Bob Dylan 『Rough And Rowdy Ways』