見出し画像

キリエ

「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸の騒ぐなりけり」(西行)

マリア・ジョアン・ピリス

『モーツァルト〝天才〟の素顔とその音楽の魅力』(音楽の友編、音楽之友社刊)にピアニストのマリア・ジョアン・ピリスのインタビューが載っていて、興味深く読んだ。モーツァルトの作品をオリジナル楽器(古楽器)で弾くことに興味はあるかと訊かれた彼女は、「私自身、正直言いましてやりたいとは思いません」と答え、「もしモーツァルトがこの時代に生きていたならば、今の時代のピアノを弾くのではないでしょうか」と述べている。僕もそう思う。

 子供の頃にみた夢をいまだに憶えていて、ふとした瞬間に思い出すことがある。「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」とは江戸川乱歩の言葉だが、なぜ夢を見るのか、夢とは何なのかというのもまだはっきりと分かっていないし、興味は尽きない。

生命

「人間の真の生命とは、空間と時間の中で生ずるものとは異なる」(トルストイ『人生論』原卓也訳、新潮社刊)

 トルストイは上記の『人生論』のなかで、「人間の生命とは幸福への志向であり、その志向するものは人間に与えられているのである」とし、「幸福へのこの志向にこそ、生命に関するあらゆる認識の基礎も存する」と述べている。自分の生命についての定義を持つことができなければ、生命の本質が見えなくなり、他の存在の幸福と生命とは何であるかということも認識できない。それは「中心を持たずに円を描くのにひとしい」行為であり、「不動の一点を中心と定めて、はじめて円を描くことができるのである」、と。

泥のついた靴で君は
水たまりを飛び越えてゆく

 ビートルズの『I Am The Walrus』という曲に、「Sitting in an English garden waiting for the sun」という一節があり、昔から気に入っている。18世紀の英国風の庭で、噴水でも眺めながら、遠くに聴こえる鐘の音に耳を澄ましていたい。時折、そんなことをよく考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?