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霊界列車(前編)

193*年に発表された心霊学会の泰斗ウィリアム・バーンズ博士の論文『霊界との交信《The Communication With The Spirit World》』に、次のような一節がある。

「……時として人は、その愛する故人のViewingの晩に、ひと筋の光の連なりを夜空に目撃することがある。それはあたかも故人の魂の光跡のようだが、目撃者のなかには、それは飛翔する列車そのもので、光の連なりは窓の連なりにほかならないと主張する向きもあるようなのだ。その線分状に伸びる光を列車になぞらえるのは、ごく自然な想像力の成り行きかもしれない。目を凝らすと窓という窓に人影が見え、故人もまた乗客の一人として座席に座っているに違いないと、まことしやかに語られもするのである。……」

これを博士は《funeral train》と名付け、本邦では「霊柩列車」と翻訳されるのが常だが、明治天皇崩御の際にご遺体を青山から京都の伏見桃山陵まで運んだ御霊柩列車と混同する恐れもあることから、我々はもっぱらこれを「霊界列車」と呼ぶようにしており、本稿でも踏襲する次第。

「霊柩列車」もとい「霊界列車」の我が国における目撃証言の件数は誠に貧しいと言わざるを得ず、このことが本邦では、UFO学会におけるアダムスキー型のごとく、諸国民の文化的背景が多分に影響する事象と見做され、真剣に議論されないこれが主たる理由なのだが、それを言うなら1901年に八幡製鉄所が本格的に稼働して以来、本邦の鉄鋼産業は英国を範とする鉄道あってのそれだったのであり、鉄道こそは我が国の近代文化の一翼であるのは今更言を俟たないだろう。ましてや、ウィリアム・バーンズ博士その人は英国人である。いかにも目撃証言は希少なれど、我ら国民は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』と松本零士の『銀河鉄道999』の、空飛ぶ鉄道を主題とする物語を国民的創造の達成として二つまでも持ち得ている。物語の基調がどちらも黄泉渡りであってみれば、「霊界列車」が少ならからずその霊感的源泉であることは、想像に難くないのである。

こうして我らが交霊研究所は、毎月の刊行物はもとより、ネット上の些細な流言飛語に至るまで、「霊界列車」に関すると思しき話題を徹底して調査し続けた結果、最近になってnoteなる投稿サイトに興味深い記事が掲載されてあるのを発見し、執筆者の了解を得た上でここに転載するものである。執筆者曰く、これは完全なる手すさびのフィクションとのことだが、真実こそはフィクションの意匠を借りて公表されやすいとは、我々の経験が教えるところである。ここでは詳にしないが、執筆者の独特の韜晦を疑う謂れを、我々は持つのでもある。

霊界列車の実在は相変わらず不確定であるが、我が国における重要な証言と信じられる当該記事を公にすることで、更なる証拠の掘り起こしの契機とならんことを、我々は切に願ってやまない。

「夜光列車」

透☆命

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……おや、と思ったのはそれが終電もとうに終わった深い時間だったからです。その駅には昔から車両基地が付随していて、路線のすべての駅が高架化したにもかかわらず、そこだけホームは平屋なんです。で、そこに、煌々と明かりを灯した車両の列が入ってきた。

ぼくは、翌日の講義が午後からという日を選んで、駅前の居酒屋でアルバイトをしているんです。店を出たのが深夜2時くらい。線路沿いをとぼとぼ歩いていると(下宿するアパートは駅から歩いて二十分くらいのところにありました)、背後に電車のくる気配があって、ブレーキをかける音が夜の静寂に響き渡った。

電車があらぬ時間に駅を通過すること自体、珍しいことじゃないんです。何せ車両基地が隣接しているわけですから。ところがその夜、ぼくが不審に思ったのは、なんとなく振り返って見たところが、駅のホームに止まった電車の車内にですね、ちらと人影が見えたからなんです。金網越しにその電車とはおそらく二百メートル近く離れていますからね、何かの見間違いだろうとは思ったんですけど、金網に近づいてよくよく目を凝らしてみると、朝夕の通勤列車と変わらない光景なんですよ。座席には勤め人らしい男女が座っていて、吊り革につかまる人のなかには制服の学生も見える。ただよくある車内の様子と違うのは、イヤホンしてケータイやゲーム機をいじるとか、新聞や雑誌を広げるとか、そうした所作の人は誰もいなくて、座ってる人も立ってる人もみんな俯いてじっとしてるんです。気味が悪いなぁと思う先からぞわぞわと全身が総毛立ちましてね。あんな感じを得たのは初めてですよ。これは夢だと言い聞かせて立ち去ろうとしたそのとき、プシューッと、扉の開く音がしましてね、ぼく、見てしまったんです、その電車に乗り込む何人かの背中を。昔のゾンビ映画のように、ゆっくりとした足取りで、ゆらゆらと揺らぎながら車内に吸い込まれていく。

駅に背を向け、そのまま往来を渡って住宅街のなかへ逃げ込みました。そこは土地勘もなく、迷路のように路地が入り組んでいて、半ば走るような必死の足取りだったんですけど、家に着いたときは3時を回っていました。

ちょっと疲れが溜まっていたんだと思います。その日はさっさと床に入りました。いつもは寝つきの悪いぼくですが、すんなり眠りを得たのは不思議といえば不思議です。

その夜のことは誰にも話しませんでした。話せばろくなことにならないと、第六感のようなものがはたらいたのかもわかりません。

つづく

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