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drive my car #6完



 愛車がある朝突然不調になる。

 いくらキーを回してもエンジンがかからない。前回の修理から一年も経っていない。そういうことはこれまで一度もなかった。いよいよ寿命か、と思いながら、やはり運転のせいか、とも思う。
 梶原自身が運転するようになって久しかった。佐波響可はもはや彼の運転手ではない。彼女には暇をやった。馘首ではなく、言うなれば梶原の親心だった。彼の伝手でさる制作会社を紹介し、佐波はそこの中途採用社員として再出発することになった。
 あれから何ヶ月だろう。佐波が去ってからの月日を数えようとして、梶原はうまくたどれなかった。あの車をずっと佐波が操ってきたように思うからだ。季節ははや梅雨も明け、夏の盛りにかかろうとしていた。


 光陽自動車に、車を引き取りに来てほしいと連絡する。修理ではなく、車を手放したいとも伝えた。伝えてみて、すっと憑き物の落ちる心地がした。
 おや、と梶原は思う。
 電話の向こうの荒木は即答を避けた。まあ、とりあえず状態を見てみますよ、と遠回しに慰留した。


 それから数週間後に光陽から連絡が来て、まだ当面は走れますよ、と告げられた。見にいくよ、と梶原は曖昧な返答をした。手放す気持ちに変わりはない。それでも、最期を見届けるのは、義務というか、礼儀のような気がした。なにに対する礼儀なのかは、この際梶原は自分に対しても詳らかにしない。

 光陽自動車に出向くと、そこに佐波響可がいた。
 今日はたまたま仕事が休みで、荒木に頼まれて慣らし運転の手伝いにきた、と佐波は言った。しかし佐波の表情には、梶原と数ヶ月ぶりに偶然会ったことの驚きが微塵も表れない。芝居の下手な娘だな、と梶原は内心苦笑する。
 梶原はといえば、驚くどころではなかった。端的に言って梶原は思いがけず彼女と邂逅して嬉しかった。片想いする相手に思わぬところで出くわしてする動揺のようなものが心に萌していた。そんな自身の心の気まぐれさえも、彼の年齢では客観的に見えて楽しいものだ。
「偶然、偶然」
 と、荒木も下手な芝居を打った。
「お車、手放すんですか」
 佐波は言った。
 手放すよ。梶原は言い澱まなかった。佐波がじっと自分を見ている。その視線をまともに受けるのは今の自分には無理だと観念して視線を逸らすと、首を縦に振りながら揉み手する荒木が視界を横切った。
「まあ、それならそれで、はなむけに、どうです」
 荒木が梶原に車のキーを渡した。
「もしよろしければ、わたしが運転します」
 梶原は笑った。笑わずにはいられなかった。笑いながらキーを放った。佐波が胸元でしかと受けとめる。
 夏の陽のもと、ガレージに停まる浅葱色のDS21は、光り輝いていた。


「答えていないことがあった」
 梶原は言った。
 佐波は答えない。運転に集中しているようにも、梶原の次のことばを待つようにも見えた。梶原はかまわず続けた。
「相応の経験を積んだはずの人間にも、人のわからなさは悩ましいものかと、ぼくは君に聞かれた。その年齢で、人は傷つくものなのか、と聞かれたのかもしれない。あのときぼくは答えなかった」
「ぶしつけな質問でした。申し訳ありません」
「いや、違うんだ。ぶしつけなんかじゃなかった。あのときぼくは、肯定することが怖かったんだ。肯定することで、なんというか、これまで辛うじて保ってきた微妙なバランスが崩れるような気がした。歳を取るとは、君が考えているようなことではないかもしれない。これはぼくの感覚に過ぎないが、経験を積むことでいろいろなことに動じなくなっていくのはたしかだが、物の考え方とか、感じ方とか、つまり傷つきやすさとか、悩ましいこととかは、君の年齢のときとさして変わりはない。言うなれば、『二十歳の檻』に囚われた動物園の猛獣のようなものだ。成熟と鈍麻とは、同じ現象を指す二つのことばに過ぎないのではないかと、ふと思うことがある」
 梶原はことばを切った。この数ヶ月、公演を続けるなかで、新たにつかみかかったことがあった。ひとつは、解釈に対するある種の幻滅だった。考えるな、はいかにも正しい態度かもしれない、とつくづく思うようになっていた。
 そしてもうひとつ、得心したことがあったはずだ。しかしこうしてことばにしてみると、自分がなにを言おうとしていたのか、継ぎ穂を失う類のことなのだ。
「でも、経験が積まれることで、間違いを犯さなくなるというのは、やはりあるのではないですか」
「経験にもよる。いくつになっても同じ過ちを繰り返す人間もある。経験に頼るとは、また過去に沈潜することを意味するが、過去からの声が正しい道を示すかと言えば、必ずしもそうではない。歳を取るとは、かくも悲しい現実だ。しかし人は必ず老いる。正しい、というか、より良い老い方を、誰も示してはくれない。優れた文学作品にヒントはあるかもしれない。でもね、その前に自分自身が開かれてあることが前提だ。しかし老いるとは、閉じることでもある。それが、今まさに、自分にもタイムリーに起きているとも感じられる。最近はね、大学の卒論の期日が過ぎてしまったとか、進級に必要な単位を取り損ねたとか、そんなしょうもない夢ばかり見て中途で眠りが破られる。なにか、大切ななにかを見逃しているんじゃないかと、そんな不安に寝ても覚めても絶えず駆られているわけだ」
「それは、もう絶望なんですか」
「わからない」
「傷ついたり、悩ましかったりするのは、それを越えようとするからなんじゃ、ないですか」
 梶原は虚をつかれた。佐波の言ったことを受けて、ことばにとらえ損ねた考えが、その輪郭を浮き上がらせるようだった。
「いつまでも傷つきやすいのは、いつまでもわたしたちが生きようとしているからではありませんか。それは絶望に誘うシグナルではない、とわたしは信じます。もがいて、苦しんで、忘れなくても、人はいつでも再出発できるものだと、わたしは信じます」
 そうだ。老いや死について、人は軽々しく口にするものではない、と改めて梶原は自らを戒めた。
 自分は死ぬまで発展途上だ。いや、人全般がそうであるに違いない。正しいあり方なんてあるだろうか。正しいあり方がなければ、理想の付け入る隙もありはしない。自分は自分の人生において、なにかを得心するまでだ。
 それまでは。
 それまでは、生きねばならない。

 シトロエンDSはまもなく首都高に入ろうとしている。走りはあくまでもピアニッシモに、そしてモデラートに。車は合流するべく、ゆるやかに加速していく。
 昼の首都高もまた、それはそれで格別である。路面も、車も、建物も、空も、なにもかもが、真夏の太陽に締め上げられて、ひりひりと熱く乾いて見えた。

(了)

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