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その夜、寺山修司に出会った

 今年の3月の半ばに、そこまで北海道でボランティアをしていたわたしは、東京までヒッチハイクで帰ろうと決めた。もちろん津軽海峡もあったが、それいがい結局、親指とスケッチブックの力で盛岡まで行くことができた。(そして疲れに負けて東京まで夜行バスで帰ることになったが、それはまた別の話。)ここで話したいのは、青森で過ごした不思議な夜である。

 わたしはジャズが好きな人間で、一昨年、とあるパブでふと聞いてしまったフェラ・クティの一曲を皮切りに、ジャズの面白さにだんだんハマるようになってきた。心をいやすような音楽というか、とてもとても素敵な、世界を救う力を持っているかのように聞こえる音楽なのだ。これほどジャズが好きなわたしは、今年3月、重いリュックを負えたまま、青森の中心街を歩いていると、ジャズ喫茶のネオンサインがふと目に入ってきた。その瞬間、旅の疲れをどうしても取りたかったわたしは、近くにあったホテルでチェックインをし、そのジャズ喫茶の開店時に戻ることに決めた。

 居酒屋にもかかっていそうなのれんをくぐると、ジョンコルトレーンが流れている店の中には、新聞をじっと読んでいる店長のほかには誰もいなかった。外国人はおろか、客が来たのにびっくりしたか、店長は驚いた顔をし、しばらくして、カウンターの奥にのそのそ入ってしまった。そして、わたしはカウンター席に腰をかけ、ウィスキーを注文した。

***

「寺山修司って知っている?」と白戸さんに聞かれた。店長は、白戸勲と呼ばれているらしい。八十代の青森ネーティブなのに、たぶんわたしへの配慮からか、津軽弁ではなく、綺麗な標準語で話していた。日本でのジャズ喫茶の歴史から、自分で立てた青森の田舎で毎年開かれるジャズフェスと、彼の東京の新聞会社での経歴まで、いろいろ話してくれた。そして、この「寺山修司」というわたしには知らなかった詩人について話し出した。

「日本ではわりと有名の詩と劇などを書いた人だったんだけど、実は修司は僕の幼馴染だった。僕の親父は、青森の映画館を経営していた人だったのだから、それこそ、僕と修司は、よく映画館のそのスクリーンの裏に座ってて、ただで新しい映画をよく見ていたんだ。親父はアメリカの映画への憧れがあったけれど、そのとき、まだ戦争のときだったので、アメリカの映画や音楽とかは日本にまだ浸透していなかった。どうやってか僕には知らないが、親父がよくそのアメリカのものを手に入れることができた。僕たちにとってはそんな作品はとても魅力的だった。修司はそのとき見てた映画にすごく影響を受けたと思う。彼の作品を読むとすぐわかる」

 と話している最中に、ふとレコードの針が上がった。白戸さんは話を一旦やめ、カウンターの向こう側のレコードラックからセロニアス・モンクの一枚を取って、手をかすかに震わせながら、用心深くプレーヤーにかけた。ラウンドミッドナイトの途中で、ウィスキーを一口飲んで話の続きをした。

「修司について、いろいろ知っているよ、たぶんこの世の中で誰よりも知っている。家族さえ知らないところも知っている。名誉を傷つけたくなくて、その家族への配慮から、死ぬまで世間にバラさないものもたくさんある。実はね、人は有名になると、ほんとうに信用できる仲間が少なくなるよ。なんか、仲良くなりたいよりもただあなたを使いたい人に囲まれるようになるわけ。だから、有名じゃなかった頃に知り合った僕と、長いことつきあいを続けていたのだ。ほんとうに、記者さんが僕のことよく知っている。毎年毎年、このジャズ喫茶まで来て、僕に修司のこと色々問いかけるけど、一番大事なところはいつだって守る。あと、僕はゲストスピーカーとしていろんな大学にも誘われることもあるし、修司が今でも僕の人生の中にいるみたいだ」

 寺山修司の名前さえ知らなかったわたしは、相槌を打つしかなかった。知らなかったが、どうしても知りたくなってきた。寺山修司、一体どんな人なのか。もうこの世にいない、現代文学の有名文豪の一人との直接な繋がりを持っている人、この白戸勲という人が、目の前にいるとは、わたしには面白くてたまらなかった。白戸さんは、わたしの好奇心を察したかのように、少し微笑んで次のように言った。

「でもね、あなた、外国人だし、修司も知らないから、そんな記者さんのどうしても知りたいところちょっと言ってもいいのかもしれない」

 そういって白戸さんは、寺山修司の話を、次々と語り出した。どちらの話が周知かどうか、わたしにはわからないので、ここには書き出さないが、なんだか、とんでもなくおそろしい話もあれば、面白い話もたくさんあった。わたしは、その瞬間、白戸さんと、寺山修司と一緒にいるかのように感じた。全く知らない世界に引き込まれたみたいな夜だった。なんだかすてきな時間。

***

 結局のところ、日本にいるうちに寺山修司の本を手に入れることができなかった。

 しかし、この文章を書きながら、すでに自国に戻ったわたしは、寺山の詩をもとにした「思い出すために」を聴いている。ジャズ風のリズム。初恋の思いを巡らせる一人切りの語り手。知らない外国の光景。この曲の歌詞の下には、心を刺すかのような、痛感してならない何かが潜んでいる。

パスポートに挟んでおいた
四ツ葉のクローバー
希望の旅を
忘れてしまいたい
アムステルダムのホテル
カーテンから差し込む朝の光を
忘れてしまいたい
おまえのことを
忘れてしまいたい
https://youtu.be/Ot6lqb-8McA

 わたしは、この詩(うた)を聴いて、やはり、その寒い3月の青森の情景が目に浮かぶ。しかし、わたしはこの詩での寺山修司の気持ちと、ただ一点で、共感できないものがある。というのは、この経験、どうしても忘れたくない。