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大学生活の振り返り 将来への不安

 卒業まであとわずかです。でもその事実を実際に声に出して言ってみると、どうしても違和感を覚えます。大学生活は本当にあっという間でした。

 ピカピカの一年生であった私はどこに行ったんでしょうか。私は、いつの間にか、老けた顔をして、これから社会へ出ようとする4年生になっています。社会に出て何をしたいのかは、もうわかっているはずだと思いますが、正直に言えば、今だに何もわからないのです。

 日本語の勉強を始めてもう7年になります。この長い間ずっと日本語と闘ってきたのですが、実は今でも「なぜ日本語を勉強しているのか」と聞かれたら、必ず答えに困ってしまうのです。それにもまして、「日本語を使って何をしたい」と聞かれたら、今にも泣きたくなるほどドギマギしてしまいます。

 はっきりした目標を持ったほうがいい、とかよく言われますが、私がここまで漠然とした目標すら持たずにきました。ただひたすら日本語を勉強し続けてきたのです。そういっても、目標がないことを不安に思っていたわけではありません。

 私と英語を一言も交わしたことがないアニメ好きなロシア人のブヤント。徳島県でのヒッチハイク中に出会った、一緒に日本語ラップの話で大いに盛り上がってくれた龍馬さん。一年生のときここで仲良くなれたひーくんとベントたち。日本語に出会っていなかったら、これらの大事な友達に会えなかっただろう、といつも思います。

 でも、もちろん「友達を作りたい」というだけ気持ちで、ここまで日本語を学ぶモチベ―ションを維持できたというわけではありません。日本語を勉強することで、色々な意味で世界が広がったのです。例えば、ヨーロッパ育ちのせいか、無意識ながらも東アジア人に対する偏見を元々山のように持っていた私は、実際に日本語を通じて日本の文化と文学に触れることでその先入観がなくなり、まったく違う視点を持つことができました。大袈裟にいうのを許していただけると、日本語が自分の人生に彩りを与えてくれたのです。

 これほどポジティブな影響を与えてくれた日本語の勉学に青春を7年も捧げてきた私は、それで得た知識をどうにか活かして仕事をしたいという思いは当然にあります。しかし、社会人を目前にして、「何をするかすぐ決めなきゃいけない」という、とてつもなく大きなプレッシャーを受ける中で、すぐ決めるなんてことは殆ど不可能な事のようにも思えます。

 そんな中でも分かっている事は、もっと学びたい、知りたいことがまだまだたくさんあるということです。その中には、中国語が大きく存在しています。

 中国語との初めての出会いは、大学一年生の時でした。「専攻言語を三つ選ぶ」という学部の決まりで、日本語、韓国語、そして中国語を選択しました。正直に言えば、特にこれといった理由はありませんでした。ただ、面白そうだなというくらいの軽い気持ちで、とりあえずUCCで取れるアジアの言語を全部取ろう、と決めました。こんなに漠然としたきっかけから始めたのに、いつの間にか中国語に完全に惚れこんでしまいました。

 20歳になる一ヶ月くらい前、大学2年生になりました。その時、日本語の授業に台湾人留学生が一人入ってきました。当時、そのことは何とも思っていませんでしたが、それが大きなきっかけとなりました。彼女と仲良くなって、その年の台湾総統選挙から、台湾の様々な民族、今の情勢や中国との関係性まで、台湾のことを一つ一つ教えてもらいました。その話をすべて興味津々で聞いていた私は、自分でも気づかないうちに、台湾への強い興味が湧いてきました。こうして、一年前に始めた中国語の勉強に大きな変化をもたらしました。中国の北京語から台湾華語に興味が移り変わって、メモを取るときに読み方を示すためのピンインの代わりにカタカナに似た台湾のボポモフォを覚えて使い始めて、コロナ第一波が押し寄せる中、台湾映画も大量に一気見しました。台湾の歴史書も片っ端から読んで、脳内は台湾のことばかりになっていました。まさに、日本語を勉強し始めた頃と同じ感覚でした。そして、台湾の勉強が進むにつれて、中国語を学びたいという意欲もどんどん募ってきました。

 大学3年生の時、東京外国語大学が留学先として決まって、東京に向かいました。そこで私は、台湾政治を研究している、とある優れた学者の授業に参加させていただく機会を得ました。その教授に大変お世話になって、おかげで台湾の歴史と政治への理解が一層深まりました。さらに好奇心がひどく掻き立てられて、この不思議だらけな台湾という国にどうしても行きたくなってきて、卒業してから行こうという決心しました。でも実は以前、コロナの影響で日本への留学が暗礁に乗り上げそうになった大学2年の後期にも、一度台湾へ留学しようと思って色々調べたことがありました。そのため、台湾の政府の出す語学留学希望者を対象にした奨学金の存在を既に知っていたので、大学4年生の時、それに応募しようと日本の留学中に決めました。

 今月の初旬に奨学金の応募書類と推薦状を全て集めて、台北駐アイルランド代表処に送りました。郵便局の局員さんにそのパンパンに詰まった封筒を渡したとき、なんだかわくわくしました。もし受かったら今年9月から来年8月まで、台湾で中国語を学ぶことになりますが、今はひたすら待つしかありません。

 合格か不合格か。一年の計はその一報にあり。

 大学という人生第1幕が下りようとする不安ばかり感じているこの時にこそ、私は好奇心に身を任せようと思います。「道のりが楽しいならいい」というのを私のモットーとします。これから、「なんで日本語を勉強しているのか」、「中国語を使って何をしたいのか」と聞かれたら、「楽しいから」と一言だけ、しかし自信もって返事できるようになりたいのです。今後もその遊び心を持ち続けたなら、きっと次の目的が現われてくれるのではないでしょうか。長距離ランナーのように、次の電柱を目指して走ります。必死にその電柱にたどり着こうとしますが、もし道が分かれていたら、その時はただ成り行きに任せます。私の考えがただただ甘いのかもしれませんが、最終目的地を設定することの意味が、私には分かりません。

 どう考えても、人生という街には分かれ道が多くあるはずではないでしょうか。