見出し画像

恋愛経験ゼロを誇りに思えば、労せずして恋愛に対する幸福度が高いままである。

 私は、よく彼女が欲しいなと他人に言うことがある。
 ドラマやアニメなどの創作物を見て、恋愛をすれば文字通り世界が変わると本気で思っているようになった。恋愛観に関しては小学生並みだと言える。
 異性と接したことがほとんどなく、社会の荒波に揉まれたことがないのだから当然なのかもしれない。

 今回は、そんな自分の恋愛観が実は幸せなのではないか?と思ったのでそのことについて話をしてみる。恋人が欲しい、と思っている人間にとっては耳よりな情報かもしれない。

 私は自己肯定感が低い割には承認欲求が高く、プライドもかなり高い。
 他の人の幸せを願っている理由は、自己肯定感が低いためである。誰かから指示されることが気に食わない、精神的にも幼い人間であるだろう。しかし、これは幸福感においてはよい方に働いているのかもしれない。

 女の人を口説く苦労を知らないし、繋ぎとめる努力を知らない。キスのような肉体接触もないから、すばらしいものだと妄想する。付き合えば全てがハッピーだと思いこむことができるのである。女の子が恋に恋してる状態であるといえる。

 つまり、私のこの恋愛観は非常に幸福度が高い。

 実際に恋は、付き合うまでが一番幸せという言葉をよく聞くことがある。
 私の感覚はそれに近いし、恋愛に対するトラウマもない訳だ。

 恋人と言っても相手は人間だ。他の男性は皆モテる努力をしているから、女の人にモテる訳である。私は働くために勉強をするつもりはあるが、そのモテる努力をするつもりは正直あまりない。自然体で過ごしている私に寄ってこない女性の見る目がない、という風に自己中心的に思っているためだ。

 実際にゲームという娯楽で世界の上位にいることができたため、このような思考でいるのかもしれない。自分の幸せを、自分で決めることができているわけである。おそらく恋人相手でもキスを奪われた時、私は泣くと思う。

 私のこの考えは一般的なものではないし、気持ち悪い部類に入るかもしれない。しかし、私はこの自己愛を楽しむことができている。
 口説く側になるのはつまらない。口説かれる側でいたいぐらいの気持ちだ。

 仮面の下に、そんな自分勝手な野望をもつということは恋愛経験ゼロの人間にとっては、一種の幸福になりえると思った。ものは考えようなのである。
 負け惜しみのようなを抱えながら、私は今日も幸せそうに口先だけの愚痴を言うのだ。

「恋人が欲しいなあ」

 私は、おそらく恋愛経験がないからこその喜びというものを感じることができている。

 恋人が居て幸せかどうか、肉体接触があって幸せかどうかなんていうのは、所詮自分自身が決めるものでしかないのである。

 ここまで読んで下さったあなたの恋愛観を揺るがすことができたのならば、私はとても嬉しい。私が今後恋人ができるようになるかも含めて、これからを楽しみにしている。

 ここまで読んで下さりありがとうございました。

生きることすら辛い世の中です。だからこそ、支援して下さる方々のサポートを、有難く受けとります。