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私たちの脳が過去の「失態」をずっと忘れらない大事なワケ

フォレスト出版編集部の寺崎です。

前回記事(11/27)では「海馬の驚くべき機能」についてご紹介しました。

脳、そして海馬は「失敗の記憶」のみ側頭葉に投げ込み長期記憶化していきます。それ以外の「生死にかかわりのない情報」はあえて記憶に残しません。

では、この我々の人生と永遠に切り離せない「失敗」がいかに脳にとって重要なものであるか、苫米地英人博士の新刊『「イヤな気持ち」を消す技術 ポケット版』の内容を以下抜粋して、もう少し深く切り込んでみます。

予期せぬ出来事を記憶するメカニズム

 さて、失敗について、もう少し深く考えてみましょう。
「痛い!」とか「熱い!」という経験は、物理的な生命の危機を示す情報です。
 取引先に怒られるというのは、利益減少や倒産といった抽象度の高いリスクに結びつくとはいえ、担当者に怒鳴られるのは物理的な痛みに類するでしょう。
 ところが、海馬が側頭葉に情報を投げ込むゲートは、物理的な痛みだけでなく情報的な痛みによっても開きます。
 たとえば、『英語は逆から学べ』(フォレスト出版刊)という著書で私が紹介した英語学習法は、脳が情報的な痛みによって情報を学習する働きがあることを利用したものです。
 
 私はその中で、先に書かれている単語や意味内容を予測しながら、英文を読む方法について述べました。もちろん、予測をピシャリと当てることが目的ではありません。
 むしろ、予測が外れることによって、脳内ネットワークを働かせることのほうに狙いがあります。
 つまり、予測に失敗すれば、脳内ネットワークは新しいことだからそれを学習しようとします。
 
 逆に、予測に成功すれば、それはすでに知っていることだから学習しません。
 すると、自分が学習するべき情報が明確になり、脳内ネットワークに、それが学習されるようにチューニングされるのです。こういうメカニズムで、英語の上達に加速度がついていくわけです。
 予期に対する失敗が、英語を覚えることにつながるわけですから、英語上達も失敗駆動型なのです。

 人間は進化した結果、予期に対してその反対が起こったという情報的な痛みが生じたときも、脳はそれを「重要だ」と判断し、その情報を側頭葉などに投げ込みます。
 なぜ重要と判断するかといえば、やはり生命の危機につながる情報だからです。
 
 たとえば、株式投資で大損害を被った経験を持つ人には、「もう二度と株には手を出しません」と固く戒めている人がけっこういます。
 株式投資は、株価が上昇するのか下落するのか、いわば2つに1つの賭けです。
 グローバルな経済の枠組みを理解していない人には、この2つに1つの賭けに勝つのはけっこう大変なことです。
 それは、どの程度に難しいことか。戦後から1990年のバブル崩壊に至るまで、一貫して日本の株価が上昇していた間においても、個人投資家の7割近くが損をしていたといわれることからも理解できるでしょう。
 
 なぜ、バブル崩壊までの上昇相場で損をするのかといえば、買ったときよりも株価が下がった場合、誰もそれが再び上昇するとは確信を持てないからです。
 株価が上がるときはゆっくりと上昇し、下がるときは短期間のうちに大きく下落するというのが相場の特徴ですから、下落したときに「しまった!」と投げ売れば、大損するのも当たり前です。
 現代の社会において、お金というのは銀行の通帳や証券口座に並んでいる数字にすぎず、きわめて抽象的かつ情報的な情報です。
 にもかかわらず、なけなしの大金を株式投資で失った人は、それこそ生命の危機を感じます。投資資金がパアになったからといって必ずしも生活ができなくなるわけではないものの、資本主義の下では、誰もが「お金を失うことは自分の命を削られることだ」と考えます。
 それを失うことは、ものすごく大きな恐怖なのです。
 その恐怖を一度味わうと、脳はそれを生命の危機につながる失敗として、そのパターンを側頭葉などに投げ込みます。状況に応じて株式投資に挑戦すれば大儲けすることもできるはずなのに、「金輪際、株には手を出さない」ということになってしまいます。
 このことが示すのは、人間が物理的な痛みだけでなく、情報的な痛みに対しても生命の危機を感じるという点です。もちろん、これは、人間が獲得した抽象的な思考の産物であり、非常に重要な能力といえます。
 
 この場合の情報的な痛みとは、予期に対する失敗です。現代の人間がとる選択と行動は、すべて予測に基づいています。それは、仕入れたものを、いくらでどのくらいの量を売れば儲けが最大になるかといったビジネス上のソロバンだけでなく、部下をどのように指導すれば強い組織ができるかとか、この場でどのように振る舞えば相手から尊敬されるかなど、人間関係や社会関係のあらゆるシーンに及びます。
 その予測が裏切られ、反対のことが起こると、私たちはその出来事を強く記憶します。次に同じような状況に立たされたときに、失敗しないようにするためです。
 21世紀の今日まで進化した人間にとって、失敗とは予期に対する反対である、ということにほかなりません。
 
 大脳辺縁系もまた、こうした判断に基づいて、側頭葉に投げ込む情報のスクリーニングをするように進化しました。実は、このことが、ときとして人間が辛い記憶、悲しい記憶に拘泥し囚われることと密接に関係しています。

ブリーフシステムで未来を予測する

 さて、なぜ人間はイヤな記憶、辛い記憶に悩まされるのか、そのカラクリを解き明かしていきましょう。
 大きなポイントは2つあります。
 
 1つは、人間が持つ信念の問題。もうひとつは、大脳辺縁系の海馬と扁桃体のやりとりによって、失敗の記憶が増幅されるという問題です。
 
 まず、信念とは何か、その正体について考えていきましょう。
 信念というと、たとえば「人間を差別してはいけない」とか「核のない世界を実現したい」とか、人間や社会に対してこうあるべきだと個々人が信じるところを表す言葉と考えられています。
 義務教育で子どもたちが信念について教わるのは、道徳の授業においてです。
 たいていは、歴史上の人物が取り上げられ、彼らが偉業を成し遂げたプロセスをあれこれ考えることによって、信念の在り方を学んでいきます。それは、自己犠牲を厭わない忠誠心だったり、決して諦めることのない強い意志だったり、汲めども尽きぬ人間愛だったりするわけです。
 そのせいだと思いますが、大人になった私たちは、道徳の授業で習った以外の自己中心的な考えについて、それも人間の信念だとは考えません。
「お金さえ儲かればいい」という強い思いにつき従って行動している人は少なくありませんが、私たちの多くは、それがその人たちにとっての信念であるということに、なかなか気づかないわけです。
 実は、個々人が強く信じて疑わない固定的な考えは、すべてその人の信念です。
「他人は信用できない」とか「社会的な弱者は差別されて当然だ」とか、個人はそれぞれ、さまざまな信念を抱えています。
 人間愛や社会正義がプラスの信念だとすれば、憎悪や差別のマイナスの信念も当然のことながら存在しているわけです。
 
 私が教えているTPIE(タイス・プリンシパル・イン・エクセレンス=故ルー・タイスと一緒に日本で展開するコーチングプログラム)のコーチング用語では、プラス、マイナスを問わず、個々人が強く信じて疑わない固定的な考えのことをブリーフシステムと呼んでいます。
 ブリーフシステムとは、たとえば私はどういう人間なのか、相手といるときはどう振る舞うか、社会に対して自分はどう働きかけるのかなど、その人が身につけている認識のパターンのことです。この認識のパターンは、脳の前頭前野に蓄積されています。
 人は、そのブリーフシステムによって、未来のことを予期したり、予想したりしています。そして、その予期や予想にしたがって、人はあらゆる選択と行動を行っています。
 読者の中には、「私はいちいちそんなことを考えないし、自然に振る舞っているだけだ」という人がいるかもしれません。
 
しかし、本当にそうでしょうか。
 
 たとえば、私は上品な人間なのだからレストランではこう振る舞うと予期している人は、そう意識せずとも、ブリーフシステムがそのとおりに振る舞わせてくれます。逆に、私はそういう気取った人間ではないと思っている人は、そう意識せずとも、その人のブリーフシステムが自然に気さくな振る舞いをするように仕向けるわけです。
 そして、予想に反したことが起こり、認識のパターンがずれたときに、前頭前野と大脳辺縁系の連係が「これは覚えておかなければいけない事象だ」と動きます。
 その瞬間に海馬は、失敗の情報を側頭葉に投げ込むわけです。

感傷の記憶も失敗の記憶に分類される

 このことは、私たちがなぜイヤな記憶、辛い記憶ばかり憶えているかという点について、明確な答えを与えてくれます。
 つまり、私たちの記憶は過去の失敗の集まりなのです。
 だから辛い体験や悲しい体験が記憶の中にたくさんつまっているのは、異常なことではなく、当たり前のことなのです。
「イヤな記憶ばかりが澱のように溜まってやりきれない。なぜこんなに悩みの種ばかり増えるのか」という嘆きは世の中にあふれていますが、記憶のカラクリをひもとけば、それは脳が当たり前のことを当たり前にやった結果、そうなっているにすぎません。
 
 もちろん、記憶が過去の失敗の集まりであるという説明に対して、反論もあるかもしれません。
 たとえば、私は成功体験の記憶をたくさん持っているとか、私には両親から深く愛された子どものころの記憶がある、とか。
 しかし、成功の記憶は、脳にとってはたいしたことのない情報に過ぎません。
 なぜなら、成功を覚えていたからといって、次に起こるかもしれない生命の危機を避ける役には立たないからです。
その記憶があれば次も成功できるという理屈もありますが、成功している人にとって次も成功するのは当たり前のことであり、このときは「知っていることは覚えない」というメカニズムが働きます。
 当然、海馬はその情報を、側頭葉に投げ込もうとはしないでしょう。
 
 仮に、まったく予期に反して大成功したという経験をしたときには、脳はそれを記憶します。とはいえ、そもそも人間が認識する成功とは、自分の予想どおりに何かを成就することです。予期に反する成功を、人間は自分が成し遂げたとは受け止めません。
 脳にとっては、予期に反することが「失敗」であり、社会的に成功であっても、予期に反した成功は「失敗」と記憶されるのです。
「こうなるはずがなかったのに、大成功してしまいました!」と射幸心がわいたとしても、その記憶は、「こんなことが次もあるはずがない。これからは、もっと慎重に計画を立ててやらなければ」という戒めに転じるのが関の山です。
 もう一方の、子どものころに深く愛されたという記憶も、その実態は、深く愛された子ども時代が過ぎ去ってしまったという喪失感や、愛してくれた両親と離れ離れになってしまったという感傷の記憶である場合がほとんどです。
 こうした記憶もまた、むしろ失敗の記憶に分類されるべきものでしょう。
 このように、私たちの記憶は、過去の失敗によって満たされているわけです。

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失敗の記憶が死屍累々といつまでも残っているのは、脳が私たち一人一人の生存を維持するための機能の結果にすぎない。

うーん・・・なんともいいがたい話でした。

少し長くなりましたので、「記憶のカラクリの2番目、海馬と扁桃体のやりとりの問題」については次回ご紹介します。そして、そうした記憶を消す具体的技術をいよいよお伝えすることいになるかと思います。

【著者について】
苫米地英人(とまべち・ひでと)
認知科学者(計算言語学・認知心理学・機能脳科学・離散数理科学・
分析哲学)。
カーネギーメロン大学博士(Ph.D.)、同CyLab フェロー、ジョージ
メイソン大学C4I& サイバー研究所研究教授、早稲田大学研究院客員
教授、公益社団法人日本ジャーナリスト協会代表理事、コグニティ
ブリサーチラボ株式会社CEO 会長兼基礎研究所長。
マサチューセッツ大学を経て上智大学外国語学部英語学科卒業後、
三菱地所へ入社、財務担当者としてロックフェラーセンター買収等
を経験。三菱地所在籍のままフルブライト全額給付特待生としてイ
エール大学大学院計算機科学博士課程に留学、人工知能の父と呼ば
れるロジャー・シャンクに学ぶ。
同認知科学研究所、同人工知能研究所を経て、コンピュータ科学と
人工知能の世界最高峰カーネギーメロン大学大学院博士課程に転入。
計算機科学部機械翻訳研究所(現Language Technology Institute)
等に在籍し、人工知能、自然言語処理、ニューラルネットワーク等
を研究。全米で4 人目、日本人として初の計算言語学の博士号を取得。
帰国後、徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、同ピ
ッツバーグ研究所取締役、通商産業省情報処理振興審議会専門委員
などを歴任。
また、晩年のルー・タイスの右腕として活動、ルー・タイスの指示
により米国認知科学の研究成果を盛り込んだ最新の能力開発プログ
ラム「TPIE」「PX2」「TICE」コーチングなどの開発を担当。その後、
全世界での普及にルー・タイスと共に活動。現在もルー・タイスの
遺言によりコーチング普及後継者として全世界で活動中。米地式
コーチング代表。
サヴォイア王家諸騎士団日本代表、聖マウリツィオ・ラザロ騎士団
大十字騎士。近年では、サヴォイア王家によるジュニアナイト養成
コーチングプログラムも開発。日本でも完全無償のボランティアプ
ログラムとしてPX2 と並行して普及活動中。


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