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毎日、目ににしているものなのに、記憶に残らないのはナゼか?

フォレスト出版編集部の寺崎です。

先日、人間の脳がなぜ「イヤな記憶」ほど忘れられない仕組みになっているのか、ひもときました。

海馬、扁桃体が記憶を司るカギなのですが、じつはこの「海馬」にはすごい機能があります。今日は苫米地英人博士の新刊『「イヤな気持ち」を消す技術 ポケット版』から「海馬と記憶」の関係について深く探っていきます。

海馬はすでに知っていることは記憶しない

 さて、まずは海馬の働きについて学んでいきましょう。
 海馬というのは興味深い存在です。すでに述べたように、海馬は情報を側頭葉に投げ込み記憶させるゲートの役割を果たしています。
 正確には、前頭前野、前帯状皮質、尾状核といった部位と海馬の連係プレーがこのような役割を果たすのですが、ここでは分かりやすく、「海馬」という言い方をします。
 もちろん、すべての情報がゲートを抜けて記憶されるというわけではなく、海馬はある基準をもって情報を選別し、側頭葉に記憶させるか、させないかを判断しています。
 人間が出来事をどこまで記憶しているかというのは、興味の尽きない問題です。
 これは、この先長い将来にわたって解くことのできない難問に違いありません。
 
 被験者に退行催眠を使うと、古くて細かい出来事の記憶をかなりの部分、引っぱり出すことができます。
 誘導にかかっているという面もなくはありませんが、被験者本人がすっかり忘れていることを、ファクトベースで事細かなディテールまで詳細に語らせることができるわけです。
 その過程では、本人しか知りえない、いわゆる″真実の暴露〞が出てきますから、その場に立ち会った第三者はみな、「たしかに被験者はそれを覚えている」と確信することになります。
 とはいえ、生まれてから現在までのすべての出来事を憶えているかといえば、それは何とも言えません。
 脳というのは、その意味でかなりバカな存在といわなければならず、「知っている」と判断したものを記憶しようとはしないのです。
 2012年に亡くなった、私のパートナーでコーチングの元祖、故ルー・タイスが講演でよく行っていた実験に象徴される話は往々にしてあります。
 ルー・タイスの実験というのは、講演会の聴衆に「自分がいましている腕時計の文字盤を、紙に描いてみてください」と絵を描かせるものです。
 筆記具を渡された聴衆は、自分の腕時計を見ないようにして、画用紙に文字盤を再現しようとします。簡単なことのように思えますが、それを難なくできる人はまずいません。
 正確に再現できないというのならともかく、たとえばカレンダーの窓があるのに、文字盤に存在しない「3」という数字を描いてしまいます。またローマ数字の文字盤なのに、アラビア数字を描いてしまうケースもあります。もちろん、長針や短針のデザインが凝っていれば、それを正確に再現できる人は皆無です。
「今何時だろう?」と、毎日何度も目を落としている腕時計なのに、その文字盤にどんな意匠が凝らされ、どのような数字が並んでいるか、ほとんどの人はまるで覚えていないのです。
 なぜなら、海馬がその情報を側頭葉に投げ込んでいないからです。
 海馬は、腕時計のことはすでに知っていると判断し、それがどのような文字盤をしたどんな形のものという情報を記憶に入れなかったのです。そのため、慣れ親しんだ、お気に入りの腕時計であるにもかかわらず、ほとんどの人は文字盤についての情報を記憶していないわけです。
 
 もうひとつ例を挙げましょう。
 あなたは、朝の通勤時に、一歩一歩足の裏で捉えた駅までの道の感触を記憶しませんよね。
 そんなことを記憶しておかなければならないとしたら、歩くことはひどく面倒なことになり、日常生活を送る上でとても不都合です。
 当然、海馬はこのような情報を「すでに知っている」とブロックします。
 
 ところが、駅までの道の途中で水道管が水漏れを起こしており、危うく足を滑らせてしまいそうになったときは、海馬は違った反応を起こします。
 ヒヤリとしたその場で「ここは危ない」と意識しなかったとしても、帰り道でその場所までやってくると、「ああ、そうだ、気をつけよう」と、私たちは自分が滑りそうになった今朝の出来事を思い出します。
 あなた自身が「覚えておこう」と意識しなくても、海馬はその情報を側頭葉に投げ込んでいて、ちゃんと覚えているわけです。
 このように、ある情報を記憶しようとし、ある情報を記憶しようとしないスクリーニングが、海馬が果たす記憶のゲートの役割です。
 
 このときの海馬の取捨選択の基準は、すでに知っているものを記憶しようとしない、逆に、知らないものを記憶しようとする、ということです。
 もちろん、そのさいに脳のそのほかの部分が参加して、重要なものを覚える、重要でないものは覚えない、そうした取捨選択も行われています。

失敗の記憶によって人は成長する

 では、海馬が重要と判断し、ゲートを通して側頭葉に投げ込まれる情報とは、どのようなものでしょうか。
 一言でいえば、それは「失敗」です。

 ここでいう失敗とは、その人の生命を左右する情報のことです。
 それを記憶することがなければ、次に同じ状況がやってきたときに、危険を避けることができません。
 その記憶があるからこそ、人類は命をながらえ、生き残り、進化を遂げてきました。
 実際、現代を生きる私たちにとっても、失敗ほど重要なものはありません。
 たとえば、子育てを経験した人はお分かりだと思いますが、昇りたがっている台の上に初めて赤ん坊をのせてやると、得意満面もつかの間、赤ん坊は必ず落っこちます。
 転倒してワーワーと泣き叫ぶわけですが、面白いもので、赤ん坊は次から決して落ちなくなります。赤ん坊が、高いところから落ちなくなるには、1回必ず落っこちる必要があるわけです。
 子どもが熱いものを触って「ギャー!」と叫ぶときの経験も同じで、子どもはそれをするからこそ、次から触らなくなったり、工夫して触るようになったりします。
 赤ん坊を例に引くと他愛ないことのように受けとめられるかもしれませんが、私たち大人が毎日、記憶の中に投げ込んでいる情報も、基本的には台に昇る赤ん坊の場合と同じようなものばかりです。
 たとえば、「製品の納入は納品日のお昼までに必ず、すませておけよ」と、営業マンが部下にアドバイスしたとします。なぜアドバイスしたかといえば、おそらくそう教えられたからでしょう。
 なぜそう教えられたかといえば、ぎりぎりの時刻に納品したせいで取引先にこっぴどく叱られた記憶が会社組織の中に埋め込まれているからでしょう。
 取引先が怒ったという情報は、会社組織にとって、まさに生命の危険を示す情報といわなくてはなりません。取引先を失えば会社は利益を失い、それが重なるようだと経営が左前になって倒産してしまいます。
 赤ん坊が台から落ちた経験を記憶することと、何ひとつ変わりありません。
 私たちの仕事や生活は、すべてこの手の失敗の記憶によってうまく回るよう保たれています。
 私たちが行うこうした記憶の蓄え方を失敗駆動型といいます。
 海馬は失敗駆動型でゲートを開き、失敗の情報をせっせと側頭葉に投げ込んでいきます。
 それは、失敗の記憶を持つがゆえに人間は生命の危機を避けることができるからであり、海馬は長い間、種の保存に必要な仕事を忠実に実行してきたといえます。

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いわば、海馬は「脳の省エネと効率化」のために大事な器官というわけです。次回は人間の失敗体験に深く結びつく「予期せぬ出来事を記憶するメカニズム」についてご紹介したいと思います。


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