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幸福とは「幸福感」を感じることなり

フォレスト出版編集部の寺崎です。

書籍の編集者にはそれぞれ得意、不得意があります。お金系の本が得意なひと、スピリチュアル本が得意なひと、網羅性の高くて情報量の多い本が得意な人‥‥‥‥などなど。

10年、20年と編集者を続けていると、それぞれ自分の得意、不得意をしっかりと自覚していたりします。

でも、一方で得意、不得意に関係なく、つい気が付いたらいつも企画してしまっているテーマというのが誰しもあります。それはうっすらとその編集者の人生観、世界観が透けてみえてしまう、空恐ろしいものです。

それは、何か。

ずばり「その編集者の人生に足りていないこと」です。

・・・なんて、断言してしまっていますが、この論拠になっているのは、大昔読んだ本で、学校の先生が語っていたこんなエピソードでした。

「生徒が話す内容でよく出てくるワードはその子が足りないものであるケースが多い。たとえば『夢』を語りたがる生徒には『夢』がない。『成功』を語る生徒には『成功』のイメージがない」

さて、翻って自分を分析してみるとどうか。

それは「幸せ」「幸福」というテーマであると自覚しています。つまり、私の人生には「幸せ」「幸福」が足りないと思っていることになります。

そんな私に刺さった一文があります。今日はそれをご紹介します。引用元は石角 完爾・著『ユダヤ 賢者の知恵』です。

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幸福感を感じるためにユダヤ人がやっている9つの日常習慣

 金をいくら持っていても、何か満たされない。それが現代人だ。過労死、自殺、いじめ、大麻、覚醒剤、振り込め詐欺。
 終戦直後の焼け野原と今を比べると、明らかに今の方が金も、物も、食料も満たされている。それなのに幸福感、達成感、目標に向かう充実感は今の人の方がはるかに欠けている。
 ユダヤでは、4000年の歴史の中で、金銭的に物質的に満たされることと幸福は関係ないと繰り返し教えられてきた。ユダヤの教えでは幸福とは「幸福感」のことだ。
 つまり、ある人が不幸と思っていることでも幸福感を感じる人はいる。
 要は心の問題だと教える。
 ユダヤ教が教えるノウハウを紹介しよう。人が幸福感を感じるためには、次の9つのことを実行することとされている。

①人を褒めること
②何ものにも邪魔されぬ家族との時間を持つこと
③自分がなぜ生まれてきたかを考える
④この世に生まれてきた目的に一歩でも近づくための一歩一歩を毎日習慣として行う
⑤ダイエットをすること
⑥一カ所に留まらない
⑦しゃべるよりも聞く
⑧魂をあらゆる騒音から遮断する一日を持つこと
⑨不運が襲ってきても、その不運を幸福感の持てる他のものに作り変えられるまで不運とバトルすること

ユダヤのノウハウ①  人を褒めること

 人に認められ、褒められることほど、その人に幸福感を与えることはない。
 であれば、人に褒められることを単に待つのではなく、自ら人を褒めてみよう。そうすれば、少なくともその人に幸福感を与えることができる。
 人に幸福感を与えることは、自分を不幸にするであろうか。ユダヤでは、人に幸福感を与えることは自分に幸福感をもたらす一つの善行であると考える。
 ユダヤでは他人を褒めることは一種の義務である。

ユダヤのノウハウ②  何ものにも邪魔されぬ家族との時間を持つこと

 ユダヤでは、強制的に週1回、絶対に家族との時間、それも何ものにも邪魔されない時間を持つことを戒律としている。その時は、電話も、テレビも、仕事も駄目とされている。

ユダヤのノウハウ③  自分がなぜ生まれてきたかを考える

 言葉を変えて言うと、「自分が死んだあと残された人々が自分に対してどう言ってくれることを望むか」を考えることだ。
 そうしないと、いくら働きずくめで働いても何のために働いているかがわからなくなり、結局不幸感が襲ってくることになる。
 なぜこの世に生まれてきたのかを考えることは、人生の目標とは違う。
 人生の目標とは、会社で出世することとか、起業して儲もうけることとか、いい大学に入るといった現実的な目的である。
 しかし、「この世に生まれてきた理由とは何か」は別だ。この世に生まれてきた目的とは、まさに画家ゴーギャンの言う「私たちはどこから来て、どこに行こうとしているのか?」ということである。
 職業とか学業とかとはまったく別のものだ。仮に失業しても、仮に恋人がいなくても、仮に身なりが貧しくても、この世に生まれた目的というものは、どんな人でもあるはずである。
 この世に生まれてきた目的とは?
 恐らくそれを問い続けること、それが幸福感につながるのではないか。
 物を持つ幸せ、出世する幸せ、金を儲ける幸せ、学業を達成する幸せなどとはまったく別だ、ということぐらい考えればわかってくるはずである。
 いい会社に入社することが、この世に自分が生まれてきた目的ではないはずだということくらいはすぐわかる。そのことを考え続ければ、今の恵まれない状況を不幸だなどと考えることはなくなる。

ユダヤのノウハウ④  この世に生まれてきた目的に一歩でも近づくための一歩一歩を毎日習慣として行う

 ユダヤ教は、理念や理想をどう実現するかの具体論を戒律として持つ宗教である。
 それも瞑想や苦行とかではなく、日常生活の中でどう具体化するかを教え、実行することに重点を置く。
 この一例にユダヤ教の戒律では「Mitzvot」(ミツボ)というものがある。
 ミツボとは、身寄りのない高齢者の世話をするとか、病人を看病するとか、ホームレスに小銭を渡したり食事を提供するとか、さまざまな善行を行うことである。
 ミツボを行うことが、自分がこの世に生まれてきた目的・実施の日常的具体化であるとユダヤ教では説く。もちろん最大の善行はトーラ(モーゼ五書=ヘブライ聖書)の勉強である。

ユダヤのノウハウ⑤  ダイエットをすること

 ダイエットといっても体重のダイエットではない。
 感情のダイエット、魂のダイエットだ。
 体重が重く太っていると身体に負担になる。それと同様に魂、感情、精神も、余計なものを乗せていると負担になる。負担感があると不幸感を持つ。つまり、幸福感はなくなる。
 余計なものとは何か?
 それは、自分にとって気持ちの上で負担と感じる感情である。
 それは人によって違う。ある人にとっては、人前でしゃべることが負担になる人もいれば、人に憎しみを持ち続けていることが負担になる人もいる。
 人を恨むことが負担になっていることもある。多くの場合、憎しみ、恨み、怒り、復讐心、恥ずかしさ、緊張などの気持ちが負担になっていることが多い。
 そういう負担を、体重のダイエットと同じように、減らすことが必要だ。
 感情のダイエットこそ現代人に最も必要なダイエットだ。

ユダヤのノウハウ⑥  一カ所に留まらない

 病気になった時に転地療法というやり方がある。
 気持ちのよい温泉にでも入りに場所を変えるというやつだ。同じように魂にも転地療法というのがある。感情、気分、魂、精神の転地療法とはどんなことか。
 次のうちのどれかをやってみることだ。

①今までに読んだことがないジャンルの本を読む。
②新しい人と付き合う。
③まったく別の趣味を始めてみる。
④ 新しい分野の勉強を始める。たとえば、フランス語とか中国語とか、社会学とかどんなことでもよい。やったことのない勉強を始める。
⑤聞いたことのない音楽を聴いてみる。
⑥見たこともない絵画などの鑑賞をする。
⑦ やったこともない儀式を体験してみる。たとえば、座禅、四国八十八ヶ所巡り、お
茶、お花など。
⑧触れたことのない楽器を習ってみる。


 いつも何かにチャレンジしている人は若々しい、というではないか。

ユダヤのノウハウ⑦  しゃべるよりも聞く

 幸福感は「しゃべる」よりも「聞く」ことによりもたらされるというのがユダヤの教えである。
 ユダヤ教の最も重要な祈りにあるフレーズ「Shema Yisrael」とは「聞け、ユダヤの民よ」という意味だ。ユダヤ教では人間に耳が二つあるのに口が一つしかないのは、よく聞くことが幸せをもたらすことだと言われているからである。
 それはなぜか?
 人の話をよく聞くことは、次のことにつながる。

(A)その人の存在を認めること
(B )その人に心を開いていること
(C )その人を尊重すること

 逆にその人の話を聞かないことは、次のことにつながる。
 
(甲)その人の存在を無視すること
(乙)その人に心を閉ざしていること
(丙)その人を軽視していること


 かたわらにいて自分に対して話をする人間を(A )(B )(C )で迎えるのか、(甲)(乙)(丙)という形で冷遇するのか、拒否するのか。どちらが自分にとって幸福感をもたらすかは明らかだ。
 かたわらにいる人間の話はよく聞くということが幸福感につながる。
 ユダヤ人の友人でパリで猛烈に働いている男がいた。パリでも何番目かという富豪であったが結局妻に離婚された。実名は言えないが、その友人は私に言った。
 
「彼女には欲しいというものは宝石からバッグまでどんな高価なものも買ってやった。地中海でもどこでも行けるクルーズ・ボートも買ってやった。旅行に行きたいと言えば、いつもファーストクラスに乗せてやった。何一つ不自由はさせていない。なぜなのか?」

 筆者はあえてコメントは控えたが、彼は、妻に「財産」は与えたが、「心の交流」は与えなかった。ダイヤの指輪は財産である。夫が妻の話をよく聞いてやることは心の交流である。
 結局、人は「財産」では幸福感を得ることはできない。話を聞いてくれる人がいること、つまり「心の交流」により幸福感を得るのだ。
 ならば、かたわらにいる人に幸福感を与えようではないか。そうすれば自分も幸福感(人を幸せにしたという幸福感)を持てる。

ユダヤのノウハウ⑧  魂をあらゆる騒音から遮断する1日を持つこと

 スマートフォン、電子メール、メッセンジャー、電話、コピー、スキャン、グーグル、ウェブサイト、パワーポイント、ウェブ会議……と私たちはテクノロジーに振り回される日常を送っている。
 筆者の若いころはそんなものは電話以外何もなかった。
 それなのにその時の方が今よりも充実感があった。
 すべてのテンポがゆったりとしていたからだ。
 私たちはスマートフォンと電子メールに支配されている日常から、少なくとも週に一日は解放され、ゆっくりと「つれ合い」(妻または夫または同居者、友人など。つれ合いがいなければ犬や猫。犬や猫がいなければ〝神〞)と、ゆったりと語り合う時間が必要だ。
 なぜか?
 幸福感とは、息と同じで「吸い込み」と「吐き出し」の両方がないと流れないからである。息をする時に「吸うだけをやれ」と言われたら死んでしまう。私たちは、私たち人間が生んだテクノロジーに振り回される日常を送っている。それは吸うことのみを強要されているようなものだ。どこかで吐く必要がある。
 息を吐く。これをユダヤ教ではLiberate yourself(自分を解放せよ)という。自分自身をあらゆる締め付けからLiberate(解放)してやれ、とユダヤ教では教える。そうすれば、吸い込みと吐き出しがバランスし、それが幸福感につながると教えている。

ユダヤのノウハウ⑨  不運が襲ってきても、その不運を幸福感の持てる他のものに作り変えられるまで不運とバトルすること

 どんな人間でも一生の間に不幸や不運に見舞われることが絶対にある。
 交通事故に遭うかも知れない、目の病気で失明するかも知れない、滑って転んで下半身麻痺に遭うかもしれない。不幸は予告なく襲ってくる。
 その時に、どうそのことから幸福感につなげていくか?
 ユダヤでは「Transform suffering」(苦しみを変換せよ)と教える。
 ある夜、天使に襲われ朝まで格闘したという不運を味わったヤコブの話は、不運にどう立ち向かうかのユダヤ人の基本書になっている。
 ヤコブは襲われても絶対に諦あきらめずに戦った。不幸を乗り越えるとか、耐えるとか、受け止めるというアプローチとは違う。苦難の犠牲者になることをまず絶対に拒否し、逆に不幸にがっぷり四つに取り組んでこれと戦い、希望の灯あかりを何か他のものに作り変えるまで戦い続ける。これこそがユダヤ人4000年の苦難の歴史から生み出された叡智である。

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少し長くなりましたが、いかがでしょうか。

幸福とは「幸福感」を感じることであり、そこには4000年語り継がれたノウハウがあるという話でした。



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