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「常套句は捨てろ」――朝日新聞の名物記者が文章術でいちばん最初に教える禁じ手

「美しい海」「抜けるような青い空」「燃えるような紅葉」――。

あなたは文章を書くとき、こんな表現をつかったことはありませんか?
これらは、いわゆる「常套句」と呼ばれる表現になります。

一見、何の害もなさそうな常套句ですが、朝日新聞の名物記者として知られる近藤康太郎さんによると、文章を書く人にとって、最重要レベルの禁じ手になるとのこと。実際、著者がライター志望者にいちばん最初に教えるのは「常套句をなくせ」ということだそうです。

一体、なぜ常套句を使ってはいけないのでしょうか。

本記事では、『三行で撃つ』(近藤康太郎 著、CCCメディアハウス)から文章を書く上で常套句を使ってはいけない理由についてご紹介させていただきます。

そもそも常套句とは何のことを意味するのでしょうか。
著者は、常套句について以下のように説明しています。

 常套句とは、定型、クリシェ、決まり文句です。
 たとえば、秋の青空を「抜けるような青い空」とは、だれもが一回くらいは書きそうになる表現です。「燃えるような紅葉」などと、ついやらかしてしまいますね。
 新聞記者は1年目、二年目、といった新人のころ、高校野球を担当させられるので、高校野球の記事は常套句の宝庫(?)です。
 試合に負けた選手は「唇をかむ」し、全力を出し切って「胸を張り」、来年に向けて連流しようと「前を向く」ものです。一方、「目を輝かせた」勝利チームの選手は、「喜びを爆発」させ、その姿に「スタンドを埋めた」観客は「沸いた」。

しかし、決まり文句とはいっても、文章としてちゃんと意味は通じます。
なぜ常套句を使ってはいけないのでしょうか。

その理由として、常套句はものの見方を常套的にさせるからだ、と著者は言っています。どういうことかというと、そもそも常套句とは決まり文句なので、すでに知られている表現です。なので、自分から生まれものではなく、どこかで誰かが使っていたうまい表現を借りて書いていることになります。だから、常套句を使うと、世界の切り取り方を他人の頭に頼るようになってしまうと著者は主張しています。

たとえば、先述の「抜けるような青い空」を例にあげて、著者は以下のように説明しています。

「抜けるように青い空」と書いた時点で、その人は、空を観察しなくなる。空なんか見ちゃいないんです。他人の目で空を見て、「こういうのを抜けるような青空と表現するんだろうな」と他人の頭で感じているだけなんです。

では、常套句を使わないためにはどうしたらいいのでしょうか。

先程の例でいうと、自分にとって空がどう「青い」のか、よく観察してください、と著者は言っています。そもそも、常套句を使ってしまうのは、自分がその空の美しさをよくわかっていないことが多いのだとか。

「言葉にできない美しさ」という言葉がありますが、それは言葉にできないのではなく、考えてないのだと著者は指摘しています。

そのため、自分の言葉で描き出すには、例えば、今日の、この空が、なぜ美しいのか。どう美しいのか。別の日、別の場所の空とどう違うのか。なぜ「このわたし」の胸に迫ってくるのか。慰め、励ますのか、というようなことを徹底的に考え抜き、言葉にすることが大事なのだと、著者は述べていました。

以上、文章で常套句を使ってはいけない理由についてご紹介させていただきましたがいかがでしたでしょうか。

常套句を使うと、ありきたりな文章になってしまうというのは、誰でもなんとなく想像がつくところかと思います。しかし、それよりももっと注意しなければならないのは、自分で考えられなくなってしまうというところなんですね。

かっこいい文章を書こうとして、つい使ってしまいがちな常套句ですが(著者でさえつい使ってしまうときがあると自戒されています)、自分の頭で考えた文章を書けなくなってしまっては、本末転倒です。

自分にしか書けない文章を書くために、その表現は本当に自分が感じたことなのか、他のだれかの言葉を借りていないか日頃から意識してみるといかもしれません。本書では、その他にも文章を書くうえで気をつけるべきことが紹介されているので、もしご興味ありましたら、ぜひご参考になさってください。

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(フォレスト出版編集部 山田)

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