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【転職】デンマーク・ポスドクになるとは半年前には想像していなかった

Goddag! (もうかりまっか)

私は2023年1月からデンマークのオーフスという街に住んでいる。オーフス大学とコペンハーゲン大学のそれぞれのコンピュータサイエンス学科に所属するポスドク(博士研究員)だ。肩書上は両方の大学に所属しているが、普段はオーフス大学のオフィスに出勤し、コペンハーゲンには数週間に一度出張する(予定)。2つの大学に所属するという経験は初めてなので、そこで体験するであろうことはいつか書こうと思う。

コペンハーゲンはデンマークの東に位置する首都で人口は81万人。オーフスはデンマークで二番目に大きな都市であり、ユトランド半島の中央に位置する35万人の住む都市だ。二都市間の約300kmを結ぶ鉄道は、最速で3時間弱で到着する。

二都市間は鉄道で300kmほど。東京-名古屋(350km)よりも近い。東京-岡崎くらい。

人口の話や、ユトランド半島という名前は今インターネットで調べて書いた。それほどデンマークのことを知っているわけではない。では、なぜデンマークでポスドクとして働くことになったのか振り返りたい。

2022年の転職活動開始は7月

スイスでのポスドク契約が2022年末までだったので、転職活動は7月に始めた。
スイス・ポスドク生活については以前書いた通り。

転職活動についてはTwitterでハッシュタグ「#MHJH2022」として記録していたので自分のツイートを元に振り返りたい。

候補をリスト化するが、まだデンマークの「デ」の字も出てこない

Web上で研究者募集の広告を見て、いくつか応募するところを考え始めたのが7月の後半から8月はじめ頃だった。
このときはスイスに残る方法を第一に考えつつも、その他の可能性にもオープンにトライしようと考えていた。
この頃にはまだデンマークの「デ」の字も出てこない。

フルートの勉強もしたい

自分が子供の頃に習っていたフルートのレッスンを再開したいと思って、海外で働くなら音大のある街がいいなと思っていた。日本のヤマハ音楽教室や島村楽器みたいな教室が全国津々浦々あるといいが、たいていの国は音楽教室が充実していない。音大がある地域であれば、音楽教室がなくても音大生がレッスンしてくれるだろうという思惑であった。(なお、調べれば調べるほど日本の音楽教室のレッスン料は激安で、しかも全国いたるところにあることがわかる)

150日後に契約が切れるポスドク

8月に入ると少し焦りが出てきた。夏休みは一瞬で過ぎ去ることを小さい頃から経験してきたせいだ。

デンマークの「デ」の字あらわる!

お盆の少し前に、デンマークで機械学習と暗号関連のポスドク募集を見つけた。この3年ほど、もともとの暗号の分野の研究に軸足を置きながら機械学習との境界領域のことを研究しつつあったので興味が湧いた。

年齢も(現時点の)才能も諦めるときの言い訳にしない。そして諦めない。

自身の年齢を考えると助教職につくのがいいだろうと思い始めていた。どうしてもポスドクという職は助教から先の「教授職」につくまでの期限付き研究者という側面が強いため、周りからは助教に応募することを勧められていた。
しかし、オーフス大学は私の分野では知らない人はいないくらいの生産的で活発な研究室だったし、ここで2年間働けば(自信は失うかもしれないが)得られるものは多いだろうと考えた。

8月末、思い切って応募してみた

夏休みに、日本からポーランドのクラクフに帰省していた友人夫婦に会うためにポーランドとオーストリアを旅行した。その旅行先で思い切ってデンマークのポスドクに応募した。

周りの支えと、私を突き動かした出来事

転職活動は孤独な闘いだ。それを支えてくれた先輩や、とある出来事がある。

先輩研究者Aさんの応援

高校の同級生T

高校のクラスメイトでもありサッカー部のチームメイトでもあった友人Tが病気で研究職を離れた。これはさすがにこたえた。しばらく連絡をしていなかったが、別分野の研究者だった彼の研究の成果や研究助成の獲得状況をチェックしては自分も頑張らないと、と思っていた。そんな彼が突然研究職を離れざるを得なくなってしまった。

以前、彼は4つの研究機関と6つの研究分野を渡り歩いてきた経験を元に、彼の分野の日本の雑誌にアーリーキャリアの研究者へ向けてメッセージを書いていた。

私の経験では、新しい分野にチャレンジすることは研究者としての成長に欠かせないものでした。

とある雑誌のVol.69 No.7

プロとしての自覚

研究をしていると、他者と比べてしまってモチベーションを保つのが難しいことがある。しかし、プロの世界の周辺には「プロになった人」と「プロになれなかった人」がいて、プロになった人はプロになれなかった人の想いの分も仕事をしないといけない(・・・というようなことを以前ダルビッシュ投手が言っていたので受け売り)。

天才・秀才が多い環境ではやっていく自信がないからといってデンマークでの職を諦めたら、志半ばにして研究の世界を離れざるを得なくなった友人Tにも申し訳ないと思った。続けたくても続けられない人や、能力はあるのにポジションがあかなくてプロになれない人がいる。

デンマークでの職は自分の興味に近く、しかも一流の人達のいる職場で働くチャンスがあるのだから、見えないものを怖がって自分で勝手に諦めてはいけないと言い聞かせた。そうして私は新しい分野でもあるデンマークの職へ応募することを決意した。

面接での失敗?

9/1が応募の締め切りで、面接をしましょうと連絡があったのが9/6。そして実際の面接が9/12だったからかなりのスピード感で進んでいった。
面接は今思い出しても冷や汗がでる・・・

言い訳はすまい。私は面接でしくじった。簡単な数学と機械学習の知識に関する問いに答えることができなかった。言い訳になってしまうので多くを語ることはしないが以下は言い訳ではなく説明であり、未来の転職者への教訓である。

  • 線形代数は学部・修士時代に日本語で勉強したのだが、eigen vector(固有ベクトル)をunit vector(単位ベクトル)と勘違いして自信満々に答えてしまった。eigen value(固有値)の説明を求められ、unit element(単位元: identity)について答えていた。

    • 【教訓】学部程度の数学は専門用語を英語で覚えるために英語圏の教科書をさらっておいたほうが良い

  • 機械学習のこみいった質問には全く答えられなかった。けれど、これは仕方ない。普段勉強していないのだから。開き直って、これから勉強しますと締めくくった。何事もネガティブにしない。

    • 【教訓】面接ではいかなるときもポジティブに返答する

オファー

1週間後に採否の連絡をすると言われたが2週間が過ぎた。面接でやらかしたのでてっきり落とされたと思ったのだが、どうしても採用されたかったのでやる気を見せるべく教授にメールを送った。教授からの返事によると、「国際会議に参加していたので手続きが遅れている。候補者の中でも上位なのでもう少し待っていて欲しい」とのことだった。

手元の記録によると9/30にオファーが来た。9/1募集締切、9/15面接、9/30オファー、なのでかなりスピーディだ。


以上が、半年前には想像もしていなかったデンマークでのポスドク生活を始めるに至った経緯だ。海外ポスドクへの応募についてはWebに情報が少ないので体験談を残したくて書いた。今後は、オーフス大学の研究室の様子やコペンハーゲンへの出張の様子などを書き残していけたらと思う。

Hej hej(ほな、また)

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