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「終活」について思うこと

先日、近所にある郵便局へ行ってきた。

その時目に入ったパンフレットに「終活の
準備は出来ていますか?」と書かれていた。

「終活」とは「人生の終わりのための活動」
という意味になる。

何となく目に入ったそのパンフレットを
読んでみることに。

そこに書いてあることは理解出来た。

生前整理やお墓の準備、確かに自分が生きて
いるうちに残されていく家族に向けて諸々の
手続きをしておくことは、後々トラブルを
起こさないためにも良いなと思った。

その反面、まだ年齢的には若い自分からする
と率直にその言葉が寂しく聞こえてしまう。

僕はまだ、この終活の意味、本質を理解して
いなく客観的に見ているからそんな寂しい
感情に陥ってしまうのかもしれません。

終活を実際に行う人にしか本当のところの
感情は分からない。


ただ、この「人生の終わりのための活動」は、
僕が思ってしまうような感情的なものではなく
単に事務的なものであり続けて欲しいと思う。

僕がこの人生の終盤を迎えた時に、
この終活と向き合うことが出来るか不安です。

あくまで事務的な手続きという意味合いの
ままであって欲しい。

この「終活」の本来の目的から打って変わり、
「ある程度の年齢になったらなりふり構わず
大人しくしていないといけない、そんな含み
のある終活にならないことを願います。

たとえ人生の終盤を迎えた年齢になっても、
活力に溢れた人々がこの世の中にもたくさん
いると思う。

それに歳を重ねていくにつれて、より人間味
が増して人間として成熟していく人々もいる。

そんなことをふと考えると、

この「終活」という言葉が悪い意味を持って
飛躍しないことを願いたい。

「就活」「婚活」だったりと、色々な活動が
あるけれど、この「終活」については色々と
僕も考えさせられる。

他にも終活について調べていくと、
「周りに、そして残されていく人達に迷惑を
かけないように」という言葉を目にした時、
とても日本的な考え方の一つだと思った。

故人が残していった財産で思わぬトラブルを
招いてしまい、誰かの人生が狂わされること
もあるかもしれない。

そういったことを考慮するとやはり終活は
役に立つのかもしれない。

しかし、あくまでも僕の考え方ですが、
そういった故人が残していったことで起きた
思わぬトラブルも含めて、その故人の人生の
一部なんじゃないかと思うのです。

そんなトラブルを残していくのもある種の
「その人らしさで」あって素敵だし面白い。

中には笑えないこともあるけど。笑

亡くなっていった故人の部屋を家族が整理
していると机の引き出しから、残された家族
に向けたユーモアと愛に溢れた手紙が偶然
出てきたり、

故人が亡くなってから何十年後も後に故人が
生前長きにわたって大切にしていた人に、
自分の形見を残していて、それも思いもよらぬ
ところから出てきたなど、

そんな予想も出来ないある種の演出もまた、
残された家族や大切な人達に、素敵な瞬間を
与えてくれると思う。

その何とも言えない、心にグッとくる感情は、
計算された、用意された演出なんかではない
からこそ素敵なんじゃないかと思う。

そんなことをボーっと考えていました。

ありがとうございました。

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