ブラックホールの中心で愛を叫ぶ

「死ぬこと以上に生産的な行為はないですよね」
 男はそういった。いや、部屋が真っ暗で何も見えないため、男なのかどうかもわからない。割かし低めのテノールが、かろうじて性別を呈示している。
「ああ、すみません。電気つけてなかったですね。今点けます」
 電灯の紐を引っ張る音がする。カチカチッという音が部屋に響くが、一向に明るくならない。
「あれ? 電気点かないなあ。……。そうだった、電気代払うの忘れて電気止められてるんだった。こりゃ失敬。いやあね、普段はこんなことないんですよ。登録したクレジットカードの更新をするのを忘れてまして。決して払えないとかではないので悪しからず」
 暗闇で男の表情は読めないが、早口なことから後ろめたさは感じているようだ。
「ええと、何の話でしたっけ。ああ、そうそう。死と生産性についてでした」
 椅子の軋む音が鳴る。男が座ったらしい。
「とはいえ『今この瞬間死ねますか?』と問われると、なかなか首を縦には振れない。それはなぜか。死後の機会損失が惜しいからですよね。じゃあどうすればいいのかといえば、答えは一つで、人生の終わりと世界の終わりが一致すればいいのです」
 男の顔が近づいた気配がする。
「でも、一致って、どういうことでしょう」
 私は答えることができない。それは決して答えが見つからないからではない。音は発している。しかし、聴こえない。可聴域からずっと低い周波数に引き伸ばされているせいだ。
「時間的な一致、というのは存在するのでしょうか。時間は相対的であることがアインシュタイン君によって示されています。そもそも時間ってなんなのでしょう」
 男はゆったりと間を取って話をするが、それは決して答えを待ってるわけではない。
「私達は4次元に生きている以上、時間に縛られている。事象の連関から逸脱することは不可能だ。正確には不可能に近い。私達は時間に囚われ、不利益を被っているような被害者ヅラをしていますが、その実、時間に守られている。嫌な思い出も時間が忘れさせてくれるし、やりたくない仕事も時間が経てば終わっている。すべて時間が解決してくれている。でも守られてばかりいるとそのありがたみを忘れてしまって、そこから抜け出したいと考える。その時、抜け出す方法は一つしかない。死ぬのです」
 男は立ち上がったらしい。少し離れたところで液体を注ぐ音がする。芳しい香りから察するに、コーヒーだろう。
「しかし死による逸脱にも限界はある。それは自分以外を相手取って逸脱させることができない。……そんな悲しそうな顔しないでください。実はね、自分以外を、有機物・無機物関係なく対象にして逸脱させる方法があるのです。それが芸術です」
 男はまた椅子に座ったらしい。
「芸術とは、対象を時間の連関から無理に引き剥がして、目前に孤立させて所有する行為です。時間の連関のなかで消え去りそうに小さな部分であった個別的なものも、芸術にとっては全体の代表であり、空間と時間のなかで無限に数を占めている多数のものと等価だといってよいのです。だからこそ芸術は、この個別的なもののかたわらに立ちつくす。芸術は時間の歯車をとめる。さまざまな相対関係は芸術のそばから消えていく」
 私は言葉を発しようとするが、依然音にならない。
「最初の話に戻りますね。死とは生産的行為です。そして芸術的手段の一つに死はあります。ただね、私はこれが好きじゃない。死はすべてを肯定し、すべてを芸術にしてしまう。それってズルいじゃないですか。凡庸で何者でもない、社会的価値が1ミリもない愚図でも、死ねば芸術として昇華されてしまう。死後に評価されるアーティストなんて碌なもんじゃない。そんな不可思議なことあってはならない」
 男は一拍置く。
「だからね、あなたは生きるのです。生きて、もがいて、苦しむのです。それがね、人間に与えられた最高の道楽なんですよ」

 気がつけば私は自室の机に突っ伏していた。
 私の目に映る景色は、何ら変わっていない。
 狂気が終わり、正気が訪れるとき、案外世界の外観は変わらない。

サポートされると税金とかめんどいっす