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フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#009 私が母のご飯を食べられるのは、あと約1万回(書き手:矢野加奈子)

世界は一瞬で変わった

温かい味噌汁には、その日余った食材。ご飯はゆるめで、ハンバーグはひき肉より野菜の方が多い。適当に刻んだ薬味が大量に乗った冷奴。トマトはあさっての方向を向いている。おしゃれな器でもなく、なんなら少し端がかけたり、割れたりしている。

いつもと変わらぬ母のご飯を前に、私は考えていた。「私はあと何回、母のこの料理を食べることができるのだろうか」と。

2020年の1月6日厚生労働省が注意喚起を行い、私もこの頃ニュースで新型コロナウイルス(COVID-19)のことを知った。その時は遠い外国の話で、前にあったSARSの時も、新型インフルエンザの時もたいしたことなかったし、まあ大丈夫だろうくらいに思っていた。

街も普段と変わらず、年明けの少しのんびりした空気を引きずっていたと思う。2月になると少し状況が変わり、私の周りでも様々な対面式イベントの開催について会議をするようになった。2月27日に安倍首相が全国の小中高の臨時休校要請をして、私の友人はそのずっと前から「コロナを甘く見ちゃダメ、世界は大変なことになる」と言っていた。しかし、私はこの時も、予定していた地方開催のイベントができるのか、どうにか開催できないかそれだけが心配で、友人の言葉もあまり響いていなかった。

そして3月、いよいよ年度末の報告書やイベントで忙しくなる時期に、ニュースはコロナ一色になってきた。他の事件や事故や出来事なんてまるでないかのように、報道番組も人々の会話も、一気にみんなの意識が集中し出した時期だと思う。大型のイベントが中止要請を受け、いつ緊急事態宣言を出すのか?早く出してくれ!という雰囲気に世論が変わっていった。

そして4月7日、ついに非常事態宣言がだされ、引きこもれる人は家に引きこもった。街は静かになり、人に会うことはなんだか悪いことのように思われた。私もリモートワークに切り替え、それから今現在まで不要不急の外出は避けるようにしている。

私たちの生活は一瞬で変わっていった。私たちの当たり前は、当たり前でなくなってしまった。私たちの日常が日非常に変わっていく。集まることも、繋がることも、今まで良しとされていたものが、急に良くないことに変わったし、私たちの意識の中にもなんとも言えない感情が急激に芽生えた。この数ヶ月でそんなことを多くの人が感じ、考えたのではないだろうか。

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「食事当番を決めよう」

家にこもるようになって、私の生活も大きく変わった。以前は出張や外食が多く、週に1−2回ほど家でご飯を食べればいい方だった。食べられる日も帰ってくるのが遅く、私は実家暮らしで父と母と3人で暮らしているのだが、だいたいみんな食べ終わっている。リビングには私の晩ご飯だけがポツンとおかれ、虫除けのレースの傘の上だけみたいなやつが置かれている。こんな生活がここ5年以上続いていた。特にありがたいとも、寂しいとも、美味しいなとも思わず、まったく何も考えずに食べていた。

緊急事態宣言を受け、家にこもるようになってからは、当たり前だが3食毎日家で食べる日々に変わった。仕事、食事、散歩の毎日。それにも少しずつ慣れてきた。そんな家族全員が家で食べるようになって1週間ほど経ったある日のことだった、母が突然「食事は当番制にしよう」と言い出した。毎日3食作るのは疲れる、と。父も、それはその通りだなとなり、協力することになった。もちろん私も賛成だったが、少し心配なことがあった。私は料理が下手なのだ。

おでんやカレーで失敗することがあるほどの腕前で、味付けに変なもの入れちゃうこともなく、包丁が使えないとかでもないのだが、いつも「なんか変」な料理になってしまうのだ。普通の猫だと思ったら、「猫だよね?あ、うん、あ、猫だ、猫、たぶん猫」くらいの違和感なので食べられないことはない。救いなのは、料理が下手でも、嫌いではなかったことだ。父も母も子供達に自分の考えを押し付けるということもなく「女だから料理くらいできるようになりなさい」なんて一度も言われたことはないし、「なんか変」な料理をだしても貶すことも、心配されたこともまったくなかった。だから料理のことは嫌いにならなかったし、むしろ好きよりの普通だった。

だから「もう料理したくないから、あんたも作って」と言われ、もちろんこれに拒否権はなかったが、「まあ、この家族という組織の一員として従うしかないし、当番制だから週2くらいの料理はいい気分転換になるかもね」と不安はあったもののすんなり受け入れることにした。

おいしいものは好きだし、下手だけど料理だって普通くらいにはできるので、すごく困ったということもないだろうし、なんとかなるだろうと軽く考えていたのだ。しかし、実際はじめると冷蔵庫と睨めっこをし、作れるレパートリーの中から料理をし、ふるまうというのは週2回でも結構大変だった。いま、画面の前から「だろうね!」とうなずいている人も多いと思う。

暇なときたまーにする程度というイベント的な料理ではない、日常に組み込まれた料理をするのは初めてだったから。自分はなんとかできると思っていただけに余計大変さが沁みた。生活も仕事も料理や買い物の時間に合わせて1日のタイムスケジュールを組むことになる。これもなかなか面倒だった。

そして、一番何が大変だったか、そりゃもう、一番は「飽きる」だろう。作ることと食べることに飽きてしまうのだ。なんかもう白米と味噌汁だけでいいかなってなる。でも自分だけじゃないから何か作らないといけないとも思ってしまうのだ。いいんだよ適当で、と言われてもなんとなく「そうは言っても、まあね……」と思ってしまう。

人間って何かを食べないと生きていけない構造になっているじゃないですか、死ぬまで食べ続けるわけですよ。食べることは幸せなことだと思うし、食べるために人は生きていると言ってもいいかもしれないじゃないですか、でもね、飽きます。毎日毎日毎日……料理を作る人は、大変ですよ、これ。

なんだかやさぐれてしまったが、もうほんとこれにつきた。もちろん私の場合はってことで、みんながそうだとは限らないと思う。でも私は食事が作業になった時、飽きる人間なんだなということがわかった。これは新しい発見だった。

それはなんだか飛行機の機内食に似ていた。海外に行くときに長距離の飛行機に乗ると、次から次へと食事が運ばれる、スナック、夜ご飯、夜食、朝食、昼食、おやつ、長い便で軽食も入れると6食くらい出てくることもある。トレーに乗せられた機内食を配膳され、動くこともできず、食べて、回収される。時間になったらガチャガチャと無機質に配られる機内食。最初はワクワクするものだったが、慣れてくると正直飽きるのだ。昔私の知人が、機内食を食べる私たちの様子を「養鶏場の鶏に似ている」と言ったが、なんとなくわかる。知人と養鶏場、そして機内食の名誉のために言っておくと、これは決して悪口ではない。しかし、一連の作業の中に組み込まれたような違和感。これは確かにあった。

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普通の毎日が特別な毎日に

私の食当番も、しばらく経つとなんとなく作業のように感じて飽きてきてしまった。小さな変化でいいから刺激が欲しい、毎日が祭りだったらそれはそれで嫌だけど。こうなると母が当番制にしようと言った意味がわかってきた。父や母が作ってくれる日はちょっとした楽しみになった。こうきましたか、と人の料理を食べる楽しみ。誰かとあーだ、こーだ、いいながら食べる楽しみ。うまく言えないけど、そういうものが生まれた。

多分それって新しく生まれたわけではなく、そもそも自分の中にあって、子供の時は家族全員そろって食べるだけでもなんだかうれしかった。唐揚げは兄弟に取られ、取られないように必死にお皿を隠して食べる毎日でも。

私は料理を食べる喜びと、誰かの料理を楽しみにする時間と、みんなで食べる時間の楽しさそれら全てが食事の時間だったんだなと、誰もが思うであろうことをあらためて思った。たぶんこう思っている人は「赤いものといえばポスト」と思う人より、「ポストは赤い」と思う人くらいいるだろうと思う。ほぼ全員が思うことをもっともらしく言いました。

毎日イベントがある特別な日ではないけれど、実はこんな普通の日も私にとっては特別な毎日だった。そんな気がする。いや、そんなカテゴリーに分けてしまえない気もする。私の中では特別とか普通とか、そういうカテゴライズされたものではないのかもしれない。

これはあくまでも私の家庭環境や日常や、感情の話だ。人それぞれ違う食の多様性の恩恵を私たちも受けていると思うから、食べるものや食べる人、食べるシーンを簡単にカテゴリーに分けたり評価したりしなくていいと思う。何がいいかは自分が知っていればそれで十分。他の人の環境や感情を考慮しなくても、同じでないことを寂しいと感じなくてもいい。

そして、私はこの新型コロナウイルスによって変わった様々な変化も、フラットに捉えたいと思う。日常は確かに変化したかもしれないけど、これら様々な変化を「良い」「悪い」の2択で考えなくてもいいのではないかなと思う。

正直この、誰かに会えないことを、食事を共にできないことを、新しいサービスやつながりを、良いとも悪いとも判断しかねている。このような変化は評価されるべきものではないと思う。ただ川の流れのように、緩やかに流れたり急流になったりして私たちは起きた事象に合わせて生きているだけだと思うからだ。未来になって振り返ったら、小学館の少年少女日本の歴史、世界の歴史で2ページくらいにまとめられる出来事かもしれないし。

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1億万回は食べたい

そんな日常の中、家族と食事を囲んでいて思ったことがある。「私はあと何回、母のこの料理を食べることができるのだろうか」と。そこで計算してみることにした、私は実家に住んでいて、週4回程母の料理を食べる機会に恵まれている、朝、昼、夜と作ってくれるので週に12食は母の料理だ。1ヶ月だと大体48食、1年だと576食。私と母の寿命を考えてあと20年くらいフルで食べられるとすると11,520食。なんだかんだ作らなかったり食べなかったりするだろうからリアルに考えると約1万食だ。多いような少ないような、でも数字になって迫ってくると、急にいつもの食事が感慨深いもののように感じた。

父と母と健やかに食事を囲むこの毎日、特別じゃないけど楽しい普通の日々こそ、ある日突然変化が起きて、特別だと感じる日々が来るかもしれない。

母にこの事実を伝えてみたら「えっ! まだそんなに作るの? もう週一くらいにしてもらって、なんだかんだで後1,000回くらいでいいわ! 」とすっぱり言われた。でもやっぱり、私が1日12食食べて、父と母が世界最高齢とか目指して、是非とも1億万回、いや、10億万回くらいは食べたいなと思う。小学生みたいな発想だけど。

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『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。次回もおたのしみに!

今回の著者_
矢野 加奈子/Kanako Yano
合同会社流域共創研究所だんどり役員。東京農業大学大学院農学研究科造園学専攻博士前期課程修了。東京農業大学多摩川源流大学プロジェクト学術研究員。住民を巻き込んだワークショップの手法について研究しており、自身も様々な現場でファシリテーターやコーディネーターを勤める。Webサイトへの記事提供等も行う。


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