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なんでも調べられる世の中だからこそ「いらない情報」を自分の中に多く取り込もうと思った。

正解にたどり着くスピードが速く、そもそも正解自体の概念があやふやになってきている現代社会。

正解という「たった一つ」という意味を暗黙に持ち合わせていたこの言葉も、時代の変化とともに「多様」な形へと強制的にゲームチェンジを迫られた存在の一つだと思う。

矛盾はしていると思うが、正解に早くたどり着けても正解がなんなのかがあやふやになってきている現代では、

そもそも何をもって正解を証明するのかもあやふやになってきていると思う。

正解は不正解の反対だと思う。

いる情報、正解というのは往々にして「要らない情報や不正解」を知っているからこそ判断できる素材

それらを失敗と一括りにしてみると、基本的に過去の経験から導き出されるものが多い。

最短で金持ちになる方法や月三千円の投資で1000万貯める方法、フォロワーを増やす方法など

巷には私たちの潜在的な欲求の解決策と思われるような胡散臭い情報は沢山あるが、

情報が手に入りやすくそもそもの価値が薄くなってきたからこその問題だと思っている。

価値のある情報は日々増えていく情報の中にどんどん潜り込み、木を隠すなら森の中と言わんばかりの見つけれなさ。

でも本当に大切な情報は確実にオンラインにあるわけで、見つける方法が間違っていたり分からなかったりすることがほとんどだと思う。

私たちは積極的にいらない情報を求めていかないと正解はわからないし、判断もできない。

必要な情報のための回り道は20年前は当たり前で、それがあるから多様な視点で問題を見つめ直したりできたのだと思う。

物事の多様性が広まっている現代では多様な視点を持つためにも、利便性に特化したオンラインとの付き合い方を見直す必要があるのかもしれない。

多様性を理解する視点は多様な情報から成り立つ。

多様な情報は分野の違うさまざまな情報の集合体から構成されるので

自分の興味のあること、知りたいことだけを突き進めていくことにも少し疑問が生まれてくる。

それは料理人として働いているとよく同じ現象が起きて、
料理人は料理人を作っていればいいわけではないということが歳をとってから理解する。

「好き」という感情の構成には目には見えないが「嫌い」という存在がいる。

対になる存在を意識することで好きなこと大切なことをより追求できるのではないかと思った。






働きたい飲食店を目指して目標に進んでいます。