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「自分らしく死ぬ」これが私にとってのウェルビーイング|いつでも死ねる勇気と覚悟

自分らしく生きることが
認められてる現代ならば…

「自分らしく死にたい」



明けまして
おめでとうございます。

今年からは読書セラピストとして
noteで活動していきます
タルイです。


突然ですが、
あなたは死ぬ準備をされてますか?


新年いきなりに
いかつい質問から
スタートですが


いわゆる「終活」の準備です。


私も一昨年に父を亡くし
残された母も病気がちとなり
生と死がより身近なものとして
考えるようになりました。

今日のテーマは
終活するために必要な
「死生観」について書きます。


死生観とは読んで字の通り
「生と死に対する考え方」
のことです。



ちなみに
日本人の「死生観」について
検索をしてみたところ



●死ぬ時は病院派自宅派か?
「終活」はいつから始めるべきか?

といった「どうやって死ぬか」
話ばかりが検索から出てきました。


もちろんそれも
大切なことだとは思いますが


私の求めていたのは

「死生観とは何か?」
「なぜ死生観が必要なのか?」

こういった情報なのです。


というのも
私にとって死生観とは

死ぬことだけではなく

生と死の両方を
考えることであって

これはウェルビーイングと
同義だと考えてます。


1948年に
WHO(世界保健機関)は健康を

「身体面・精神面・社会面の
 すべてにおいて良好な状態
ウェルビーイングにあること」

と定義しました。

かつては健康で長生できる
社会の実現は
見果てぬ人類の夢でしたが


いざそのような社会が到来すると、

「ただ単に長生きしても
 しょうがない」
とか

「人様のお世話になってまで
 生きたくない」
など


さまざまな意見が
出てくるようになります。



死生観について
私の結論を書きます。




とってもシンプルです。

あなたが生まれたとき、
周りの人は笑って、
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、
あなたが笑って、
周りの人が泣くような
人生をおくりなさい。
ネイティブ・アメリカンの言葉


私の死生観とは

「笑って死ぬ」ことであって
そのために生きることです。



私はただただ
「自分らしく死にたい」


その準備のために
参考になった書籍を
3冊ご紹介したいのと

最後にまだまとまってませんが
私の終活の準備を書いてみます。




◆死生観①いつでも死ねる覚悟を持つ


まず最初にご紹介したい本は
私に「死生観」を持つことの
大切さを教えてくれた本です。


「いつでも死ねる」


著者の帯津良一
(おびつ りょういち)先生は

西洋医学だけではなく、
さまざまな療法でがんに立ち向かい、
人間をまるごととらえる
ホリスティック医学を提唱してます。

帯津先生は
心に死生観を作ることが
すべての治療の土台と考えてます。


そのために必要なことは

「あきらめない」こと

 そして

「こだわらない」こと。



帯津先生は全国から集まる
ガン患者さんと接したことで

「生きたい、生きたい」という
生への執着を強く持つ患者さんよりも


「死はそんなに悪いものじゃない」

「死んでもいい。でも生きぬくぞ」


という死生観を築いた人は
医療者が予想もしない回復や、
思った以上の生命力
発揮することがあることに
気づきました。


人は死生観を築くことができると

焦り、不安、いらだち、悲しみ
などの感情が消え去って
表情が穏やかになるのだそうです。


犬でも猫でもチンパンジーでも
人以外の動物は
過去や未来に執着したり、
不安を持ったりしないのです。


いつでも死ねる覚悟で、
今日を生きています。



これはつまり、
今を生きることが
できているのです。



いつでも死ねる覚悟で、
今日を生きている。

これはまさに
ありのままに生きている
状態ではないでしょうか。


以上、
がん治療の名医である
帯津先生のすすめる死生観は

「あきらめない」
「こだわらない」

この互いに相反し
両極端に位置するような
言葉だったのです。



◆死生観②武士道とは死ぬことと見つけたり


前述しましたが

死生観はどう死ぬかに
注目されがちです。


ですが
「どう生きるか」
やはり死生観だと私は考えます。


「どう生きるか」の死生観について
考えるきっかけになった本があります。


「葉隠」


葉隠とは
約400年前の江戸時代の中期に
佐賀鍋島藩士:山本常朝の談話を

後輩の田代陣基が筆録した
武士の心構えの書です。


「武士道とは
 死ぬことと見つけたり」


葉隠の第一の教訓として
紹介されている有名な言葉です。


「滅びの美学」

桜の散り際が美しいと思うように
終わりがあるから美しいと考える
日本人独特の心情といわれます。

またこの言葉は
とうてい勝てそうもない敵に対し、
死を覚悟しながら
勇ましく戦った武将や兵士たちを
指しても使わます。


「武士道とは
 死ぬことと見つけたり」


太平洋戦争中の日本軍は
この言葉を強調し曲解され

特攻、玉砕、自決の場面で
使われ多くの人々を
死に追いやった
忌々しい言葉でもあるのです。


さて、ここが重要です。

「武士道とは
 死ぬことと見つけたり」


この意味は
日本人が好む「滅びの美学」
ではなかったのです。


武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。
葉隠より


山本常朝さんは
武士の職務遂行に関して
悟りました。


「武士道とは死ぬことだと」


生きるか死ぬかの
二者択一の場面では
死に近しいほうを選ぶべし。


なぜならば、
あれこれ考えず
腹を括って取り組めるからです。

人間は生きる方を選択しがちだけど
こちらを選択してしまうと
「生きたい」という願望が迷いを生み


生きたいために
言い訳を考えるようになってしまう。
生への執着がそうさせてしまうのです。

しかし死を覚悟していれば
他に何の迷いもなく
目的だけに取り組めます。

たとえその結果
失敗して犬死しても
それは恥にはならない。

と、悟ったのでした。

要は
「一切の迷いを捨て去て
 何事も死んだ気になって
 一生懸命取り組みなさい」

というです。


私は葉隠を読んで、
スティーブ・ジョブズ
あの伝説のスピーチを思い出しました。


スティーブ・ジョブズが
「死」について語るシーンです。

17歳のとき、こんな言葉に出会いました。「毎日を人生最後の日だと思って生きたなら、いつか必ずそれが正しいと分かる日が来るだろう」。私はこの言葉に感銘を受け、それ以来33年間、毎朝鏡に映った自分にこう問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日これからやろうとしていることを本当にしたいだろうか?」と。「ノー」の日が続いたなら、何かを変えるべきだと分かります。

このジョブズが17歳で出会った言葉が
はたして誰によるものかは不明です。


しかし、
ジョブズの愛読書であった
『弓と禅』を書いたヘリゲルは、
『葉隠』に多大な影響を
受けたのだそうです。

よってジョブズもまた
「葉隠」の影響を
受けたのかもしれません。




◆死生観③「自分らしく生きる」より「自分らしく死ぬ」

最後にご紹介したいのは
死から人生を考えた哲学
ご紹介します。

ハイデガーの「存在と時間」


ハイデガーは人間の存在の意味に
「時間」という要素を取り入れました。

現在、過去、未来の時間です。


ハイデガーの哲学とは

この人は過去に
こうした生き方をしてきたようだ

だから現在はこう考えている。

さらにこうした未来を
選びたいと思っている。

というところまで
考察しなければ

実存(現実に存在している人間)を
本当にとらえきることは
できないはずだ

と考えたのです。


本書は「自分らしく生きたい」
と考える方に
是非おすすめしたい本です。


幼き頃は
「自分は自分でしかない」
と思えていたが

成長するにつれて
他人と比較するようになり


「自分のレベルが徐々に見えてきた」
と感じている。


また、自分は自分で
「代えのきかない自分でありたい」
と切に願うようになった。



そんな方に読んでほしいです。


その通りなんですよ。


人間はみんな
代わりのきく人間なんて
いないのです。


なぜならば

誰も自分の代わりには
死んでくれないからです。


人は生まれてくるときも一人ならば
最期も一人で逝かなければならない。
ということです。

私がお伝えしたいのは

「自分らしさ」とは
いつか自分に訪れる死を覚悟して

死を意識した時にだけ
感じることができるのです。


人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない。
マルティン・ハイデガー


ハイデガーはこれを
「本来的な生き方」としました。

もしもあなたが本当に
「自分らしく生きたい」
のであるならば

まず死を意識することです。


死を意識せず
「自分らしく生きる」とは

ただただ
『生』への執着になるだけです。 

これはハイデガーが示す
非本来的な生き方です。




以下に紹介するのは
あなたが本当にやりたいことを
みつけられる質問です。

●「もし明日死ぬとしたら何をしたいですか?」

「もし一週間後に死ぬとしたら何をしたいですか?」

「もし1ヶ月後に死ぬとしたら何をしたいですか?」

「もし一年後に死ぬとしたら何をしたいですか?」

最初の質問から順番に
書いていきます。

そして最後に


「一年後にやりたいこと」


これがあなたが本当に
やりたいことなんです。


私も実際にやってみました。

やって気づいたことは

もし明日死ぬのだったら
美味しいものが食べたい

もし1ヶ月後だったら旅行がしたい

と自分の好きなことを
したくなるのですが

1年後だと
自分が叶えたいことの
「問題解決」になります。

私の場合は仕事である
飲食業界において
「AIとロボティクス」と
「心理的安全性が確保された職場」

この2つを体現するお店を
実現させたくなりました。


「好きなことをして生きる」のではなく
「自分が解決したいと思う小さな問題を探す」

これは二年前に読んだ
落合陽一さんの『働き方5.0』に
書かれていたことです。

このトリガーもまた
自分の「死」を意識すること
だったんですね。




やっぱり
「自分はまもなく死ぬ」
という認識が
重大な決断を下すときに
一番役に立つのです。

先ほどご紹介した
ジョブズの伝説のスピーチの続きにも
その重要性が語られてます。


なぜなら、周囲からの期待、プライド、羞恥や失敗への恐れといったあらゆるものが死を前にして意味を無くし、本当に大切なことだけを残してくれたからです。既に失うものなど何もない裸の状態だと感じれば、自分の信念に従わない理由などなくなります。
スティーブ・ジョブズ





◆【まとめ】私が笑って死ぬための覚悟と準備

今回のまとめを書きます。

●いつでも死ねると思う死生観を持つ
●人生の選択に迷ったら後悔しない方を選ぶ
●死を意識して初めて「自分らしく生きる」が見つかる


以上が私が笑って死ぬための覚悟です。

この覚悟が私の勇気となって
行動も少しずつですが変わりました。

いま安楽死について調べてます。


この考え方には
異論反論あると思いますが
一つの意見として
書き残しておきます。



現在の日本において、
安楽死は法的には認められていません。

たとえ本人が希望しても
故意に人を死なせることは
殺人と同等の罪になってしまいます。


私の父は逝く最後の1年で
3回危篤状態になりました。

日本の医療技術は素晴らしく
三度父は息を吹き返しましたが

その都度集まる家族のもとで
父はなんともやりきれない
思いを口にしてました。


私の父は
笑って死ぬことが
できなかったのです。



なぜ日本では
今際の際に「死にたい!」
と言っている人間を
死なせてあげられない
のでしょうか?



これは自殺幇助とは明確に違います。

なぜならば
自殺をすること

それは理想の死を
望んでいるわけではなく


生と死を天秤にかけた
妥協の産物だからです。



自殺を考える心理の
根底にあるのは


「自分の人生は今よりもっと
 良くならなければならない」


といった『べき思考』や

高すぎる理想
からくる
強迫観念です。


よって
安楽死と自殺幇助は
一緒ではないのです。



態度や振る舞いに潔さがなく、
未練を持ってぐずぐずしていたり
悪あがきをしていたりする様子を

「往生際が悪い」と言いますが

往生際の本来の意味は
「死に際」です。

今の日本における死に際は
「往生際が悪い」
とさえ思えます。

日本では合法化されていない
安楽死ですが

ヨーロッパのいくつかの国や
アメリカの一部の州では
認められています。

2021年には、
スペインやニュージーランドでも
合法化されています。


私は生があるかぎりは
「あきらめない」で生きたいですが

自分の死に際は「こだわらない」

生への執着なしに死にたいのです。



●「ありがとう」と「おかげさま」

これが笑って死ぬための
一番の極意と考えてます。


自分の環境に不満を抱いたり
嘆くのはカンタンです。

今の私だったらこのnoteに
想いの全てをぶちまければ
いいだけです。


政治が悪いのかもしれない
経済が悪いのかもしれない

はたまた

毒親のせいかもしれない
会社の上司が無能なのかもしれない


ですが
こういった原因論では

生きづらさの理由の
説明にはなりますが

生きづらさの解消にはなりませんよ。


やっぱりその先には
「笑って死ねる」道筋は
見えてこないのです。

私は
自分で自分の運命を可哀想だとは
やっぱり思いたくはないです。



そう考えると、
不思議なくらい
自分の半径5mの人が
愛おしくなる
のです。

これが
「ありがとう」と「おかげさま」

の感覚なのだなー
と思えてくるのです。


私が死ぬ時に
周りが泣いてくれるかは

もちろん私が
強要できないところなので
はあります。

だけれども、
もしも私が死んだら

「ざまぁ!」とか
「せいせいしたわ」

と爽快感よく笑われたら…


これはさすがに悲し過ぎます。



そのためにも、
やっぱり
「ありがとう」
「おかげさま」
です。


大切にしたい言葉です。



あなたが生まれたとき、
周りの人は笑って、
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、
あなたが笑って、
周りの人が泣くような
人生をおくりなさい。


私の死生観は
「笑って死ぬ」ことであって
そのために生きることです。

そのためには

「あきらめない」「こだわらない」
「ありがとう」「おかげさま」


まだまだ
まとまってはいませんが
自分らしく死ぬために
大切にしていきたい言葉です。


最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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