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読まずにわかる「21世紀精神医学史」

21世紀の精神医学を知る3冊

読まずにわかる! 生物学・医学の一般書から医師がセレクトした3冊をテーマごとにレビュー「3冊でわかる」シリーズと銘打っていましたが、レビューだけでもそこそこわかる!という声が多いので読まずにわかる!シリーズに改名しました・・

今回は読まずにわかる「21世紀精神医学史」本。内科や外科などそれぞれの専門分野であれば、現役時代はそれなりに学ぶこともありました。しかし他の診療科までは手が回らず、その知識は医学部卒業時とたいして変わらない・・ってあるあるの話です。

私にとっては、その代表が精神医学です。その精神医学は、21世紀に合わせるように様変わりしていました。DSM-IIIというアメリカ生まれの診断基準が激変をもたらしたのです。

今回は、精神医学を大きく変えたDSM-IIIとは何だったのか、それが日本の精神医療をどう変えたのか、さらにはここにきて登場しつつあるDSM-III以前に回帰する動きを3冊の本で読み解いてみます。

DSM-IIIの歴史に隠されたドラマ「シュリンクス」

発達障害適応障害など、最近よく目にする精神科の診断名はDSMという診断基準に基づいています。DSMとはDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 「精神疾患の診断・統計マニュアル」のことで、アメリカ精神医学会が作ったものです。このDSM、1979年に出された第3版(DSM-III)によって、まさに革命的な変化がもたらされたのです。その1979年を境に、精神医学は全く姿を変えてしまいました。

そのドラマチックなDSM革命の歴史を日本語で読めるのが、今回の1冊目「シュリンクス-誰も語らなかった精神医学の真実」です(シュリンクス:Shrinksとは、米語で精神科医の隠語)。この本でDSMの歴史を知ることができ、かなりスッキリ理解できました。そして、ものごとが努力によってここまでドラスティックに変えられるのかと驚きもしました。一読の価値ありです。

精神疾患が医学の領域で取り扱われるようになったのは19世紀になってからです。それまでは精神的におかしいと思われる人は家の中に閉じ込められるか、収容施設に入れられるという状態でした(その一部は今でも行われています)。

そういう中、20世紀になって登場した人物があの精神分析のフロイトです。フロイトが、「精神疾患は無意識の葛藤が原因」だと言い出して、精神分析の時代になりました。そして世界大戦の時代に多数のユダヤ人精神分析医がドイツを逃れてアメリカに来たことで、1950年代にアメリカ、さらには世界中が精神分析の時代へと突入しました。

心理的葛藤が原因で精神病になる、こういう因果関係がはっきりした話にとらわれやすいのが人間の弱さでしょう。しかし、心理的葛藤というあいまいなもののために精神医学全体があいまいで、治療する側の好き勝手にできるものとなってしまったのも事実です。

昔のアメリカのテレビドラマによく怪しげな心理療法家が出てきましたが、まさにそういう時代のことです。次第に診断のあいまいさ、ばらつきが問題になってきて、1960-1970年代には精神分析中心の精神医学を糾弾する「反精神医学運動」が起こりました。

その精神医学の危機的な状況下で登場したのが、気鋭の若手精神科医スピッツアーです。スピッツアーは粘り強い努力の末、それまでは精神分析医学寄りだったDSMをまったく別物に作り変え、守旧派の抵抗を押し切って、第3版として学会で認めさせてしまいました。スピッツアーによる剛腕のプロセスをぜひこの本で読んでみてください。

DSM-IIIのポイントは、それまでの主観的であいまいな診断を排除し、「こころの病気の原因はどうせわからないのだから、病気の原因を前提とはせず、観察された症状のまとまりに基づいて障害を分類する」というものでした。

斬新なのは病気の原因を無視したところです。身体の病気であれば「原因aで症状Aが起こる」と考えますが、DSM-IIIでは「症状a1、a2、a3があれば障害名Aと名づける」ということです。病気の原因は何か、という部分をまったく考えないことにしたDSM-IIIは、まさに発想の転換

DSM-III定着に決定的だったのが、アメリカで医療保険を提供する保険会社があいまいさの少ないこの新しいDSMを支持し、DSM診断を医療保険支払の根拠にしたこと。DSM-IIIは保険会社も大きく関わったのです。

DSM診断が病人を作り出す時代へ

DSM-III革命が日本で本格化したのは21世紀になってからです。日本では、時を同じくする精神科医の激増やガイドライン医療ともあいまってDSM-IIIの本来の目的から次第にずれていき、まさにDSM診断そのものが病人を作り出す時代を招きました。

そしてそのことが「うつ病バブル」「発達障害バブル」を産み出したという声も聞かれます。そんな事態について「発達障害バブル」を例に解き明かしてくれるのが、2冊目「発達障害バブルの真相:救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援」です。

DSM-III診断の基本は「症状の問診」です。場合によっては問診表にマルをつけるだけでも「はい、あなたは発達障害」と診断されるのです。精神疾患は画像診断や病理診断のような明確かつ客観的な診断ができるものではないことはわかりますが、問診表で診断がついてしまうのは、DSM-IIIが診断基準としては特殊なものであると理解していることが前提です。

ところが患者や一般人、さらには行政においてはDSM診断も病理診断と等価の診断として受けとめられてしまいます。そしてDSM診断という、客観的な根拠のない診断が一人歩きして、障がい者支援立法に発達障害が組み込まれていく…そんなことが起こっているのです。

このDSM-III診断基準は、「あいまいな精神疾患に、とりあえずは症状だけで分類の指針を作り、その先の研究につなげよう」というのが本来の目的のはずでした。ところが、「発達障害」とDSM診断されると、あたかもそういう客観的な病気があるかのように誤解されていくのです。

著者のDSMについての理解は明解です。引用しておきます。

 DSMでは第3版から従来とは異なる方向に舵を切ったのです。そこで出てきたのは、もはや病気の原因を前提とはせず、観察された症状のまとまりに基づいて障害を定義し分類するという発想です。その分類に基づいて診断基準が作られたのです。
 その手法が正しかったかどうかについては、激しい議論が続いています。DSMには非常に大きな問題があり、「ないよりマシ」どころか「なかったほうがマシ」だとすら私自身は思います・・(中略)。
 本物(の診断)がどうしても手に入らないために、苦肉の策として打ち出されたのがこのDSMでした。代用品というよりも、代用品のそのまた代用品と言ってよいほど、本物とはかけ離れたものです。
その背景を知っている人は、あくまでも「そういうもの」として慎重に取り扱ったのです。ところがいつの間にか「本物」であるかのように扱われるようになり、いまや精神医学の「聖書」として崇拝の対象になってしまったのです。

「発達障害バブルの真相:救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援」より

さらにはDSM-IIIが日本で使われるようになる同時期に、
 訴訟リスクの少ない精神科医の急増
 電通裁判での過労による「うつ病」の労災認定
 うつ病、そして発達障害の啓発キャンペーン
などが重なって、最初はうつ病バブル、その後には、発達障害バブルが産み出されたのです。さらに、発達障害バブルが怖いのは自分で精神科に行かなくても、学校で落ち着きがなかったり、勉強がすすまなかったりするだけで「発達障害では?」とチェックリストにかけられ、精神科医療に巻き込まれてしまうことです。

アメリカでは医療保険会社が介在するため安易な処方には抑制がかかる仕組みがありますが、日本ではそれもなし。また本書にあるように、あたかも自治体が主導しているように見える発達障害支援に、多くの製薬マネーが流れ込んでいるという事実は驚くばかりです。学校で問題をおこさないように、学校の先生が服薬をすすめる事態まで起こっています。

著者はもともと現在の精神医療の闇をずっと追っている人なので、ちょっとそこは言いすぎだろう、という部分もありますが、大筋ではとても納得できます。

現代精神医学はフロイト的な「心」「精神」「精神分析」を否定して「脳に対する薬物アプローチ」を主体としてきたわけですが、その行き着いた先が精神疾患バブルだったのか…と。その出口の見えない結論にしばし慄然としました。

回帰する精神医療―「こころ」から「脳」へ、そしてまた「こころ」へ

DSM-IIIで「こころに対する精神分析」から「脳に対する薬物治療」に大きく方向転換した精神医学。ところが、ここにきて再び「こころ」を重視する治療が話題になっているようです。その代表格が3冊目「オープンダイアローグがひらく精神医療」にて取り上げられているオープンダイアローグです。

オープンダイアローグの考え方は精神医療にとどまらず、医療者と患者の心的交流(ラ・ポール)における新しいパラダイムであり、さらに広く家族や職場におけるコミュニケーションの改善にも応用できる可能性を秘めています。

「オープンダイアローグ」=「開かれた対話」。フィンランドで1980年代から行われている精神疾患の治療技法です。世界的に知られてきたのはここ5年くらい。治療対象は統合失調症も含めた精神疾患です。治療者側はチームを作り、複数のメンバーで患者の自宅をたずねていき、メンバー間で対話します。その対話というのは患者の現状分析であったり、治療計画であったりです。特徴的なのは、その対話が患者に対してオープンに、つまり患者もそこに居て対話を聞いているという状態で行われます。ゆえに名付けてオープンダイアローグ。

この対話の原則は「本人のいないところで本人のことを決めない」こと。対話は「治す」や「何かを変える」という直接的な目的というよりは、患者を含めて治療チームの対話を広げる、そのこと自体が目的というのですから、わかったような、わからないような。しかし驚いたことに、こうした対話を経験するだけで入院や薬物療法なしに、多くの場合は精神疾患が良くなっていくらしいのです。

これまで医師による治療といえば精神疾患に限らず、医師と患者が診察室で、一対一で向き合うことにより行われてきました。考えてみればこの一対一の関係は非常に不自然で、患者はどうしても医師に対して従属的な立場に置かれてしまい、一方通行の関係性になりやすいのです。

対してオープンダイアローグでは、治療者側も患者側も複数で開かれた対話を繰り返すことにより、病が癒えていくというのです。

DSM化の本質は、精神疾患の原因が「こころ」ではなく「脳」だと考えることでした(=生物学的精神医学)。そして生物学的精神医学は、数々の薬物が市場へ投入されたこととあいまって「うつ病」バブル、「発達障害」バブルを引き起こしました。しかし一方で、重篤な双極性障害や統合失調症に対してそれほど効果を上げているわけでもなく、DSM精神医学に対し、次第に限界を感じる精神科医が増えてきた…と本書の著者である斎藤環先生(筑波大教授)は考えています。

つまり、薬物主体である生物学的精神医学の将来に対して否定的な精神科医が、次の選択肢として「オープンダイアローグ」に注目を寄せているということです。これらを踏まえると、精神疾患の治療における「こころを対象とした精神分析」→「脳を対象とした生物学的精神医学(DSM-III)」→「オープンダイアローグ」という流れを読み取ることができます。治療の本質からいえば、「こころ」→「脳」→「こころ」と一周回って戻ってきたということですね。

まとめ

DSM-IIIが引き起こした精神医学のパラダイムシフトと最近の回帰の動きから、精神医学の医学としての特殊性をあらためて認識しました。

私の高校時代に人気だったフォーク・クルセイダーズのメンバーの一人、北山修さんは京都府立医科大学を出て精神科医になりました。時代的にはわたしと同じ精神分析主体の精神医学を学び、そこにひかれて精神科医になったのではないかと思います。しかしキャリアの途中で精神分析を否定するDSM-IIIの登場です。

その後、北山氏が私の母校の文学部心理学科の教授になったのは驚きでした。精神分析系では医学部精神科の教授にはなれない時代だということかもしれません。

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