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黄金の翼に乗って (短編)



*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とはなんら関係はありません*




 「ばぁ ぺんしぇーろ、
 すらーり どらああて」

 そう歌が口をつきそうになって、鷲尾夫人は自分を嗤った。六十幾つになるくせに、黄金の翼に乗って、故郷に飛んでいきたいだなんて。彼女の乗った特急は、いま故郷の信州に向かっている。これだって黄金の翼と言えるかもしれない。

 年を取ったからかしら、夜ごとに故郷の夢を見る。あの青い北アルプスの山々と、街ごしに聳える美ヶ原高原、そして水堀に映るうつくしい松本城。そう、でも変わらないのはそのくらいだわ。わたしの知っていた街は変わってしまった、帰るたびに驚いてしまう。

 もう根なし草みたいなものだもの、と鷲尾夫人は、すこし伸び加減の、ふっくらとした柔らかい手を見つめた。虹色にゆらめくオパールの指輪は、金枠に繊細な彫刻が施されている。戦争中になんとか隠して供出を免れたという、母がその母から受け継いだもの。いつも付けている訳じゃない、今日は特別だから。

 晴れた冬の朝、空席の目立つ特急列車で、ひとり窓に頬を寄せる。鷲尾夫人はいまでもきれい。黒い絹をまとい、ようやく灰色に変わった長い髪を、ゆるやかに後ろで纏めている。気品のある大きなキャンバスのような顔は、鼻筋がとおっていて、はっきりした二重瞼のなかにはいつも光が灯っている。わたしは母に似てきた、とトンネルの暗闇に映るじぶんを見ながら、鷲尾夫人。

 「しんちゃん」

 と、鷲尾夫人は思わず声に出して呟いた。はっとしたけれど、がらがらの車両とモーターの音に吸い込まれたらしかった。信吉、信ちゃん、わたしのたったひとりの弟。あの生暖かい雨の日、松本の街をみはるかす坂の墓地に母を葬ったとき、黒い傘をさしながら信ちゃんが言った、「お母さんにそっくりになったね」と。

 六歳離れた弟で、もう五十後半の中年男だ。地元の国立大学で教えるのに忙しくて、わたしたちにはいつだって素気なかったけれど、信ちゃんを見るといつも、そのくしゃくしゃの頭を掻いて抱きたくなった。同じ親から生まれたのに、こんなに違う姉弟ってあるかしら、と思いながら。弟は無神論者だった。

 小さな頃に通っていた、カトリック教会を思い出す。あそこもとうに建て替えられて、いまは無い。お城の北にある教会に、わたしたちはアイロンのかかったよそゆきを着て連れていかれた。「父と子と聖霊の御名によって」と、こう十字を切らされて。いまだってまだ出来るわ、と鷲尾夫人は軽く右手を動かしてみた。

 信吉に信仰が芽生えなかったのは、不思議じゃないわ。御ミサに通うのは、母の虚栄の一部だった。見栄っ張りで、お家自慢の母。別に大したこともなかったのよ、ただ士族で、祖父が戦前に市長をしていたってだけ。それでもあのひとを憎めはしなかった。あのひとはわたしたちを愛していた、時として息が詰まるくらいに。

 白い雪のなかに温泉の煙の立つ、上諏訪の駅に列車が停まって、そうでなくても少なかった乗客を、ほとんど下ろしてしまった。わたしが小さな頃は、毎年のように諏訪湖が凍って、お神渡りが出来ていたのに。今年もきっと明けの海ね、こんなに雪が積もって寒いのに。いまでは諏訪湖でスケートをしたなんて、笑い話でしょうね。

 結局わたしがイエスさまを信じるようになったのは、と頬杖を付いて雪景色を眺めながら、鷲尾夫人。お父さんに会ってからだわ。四十年前の春休み、名古屋の大学から帰省して、懐かしさにかられてお城に登った。母に行けと言われたカトリックの大学で、わたしも家から出るのが嬉しかった。それでも名古屋は標高が低すぎた。青いアルプスの山々もないし...... 

 なのに、あの日お城の階段から落ちたところを助けてくれた男の子のため、ずっと標高の低い東京に住んでる。二つ年上の医大生だった。純という名前そのままのひと。いまではもうお祖父さん、孫はいないけど。鷲尾小児科内科の二代目で、近所でも有名な子ども好きの優しいおじいちゃん先生。

 純さんのお父さまは、最初わたしが気に入らなかった。カトリックの家の娘だったから。鷲尾家は明治の頃からプロテスタントで、お父さまはご先祖の誰よりも熱心だった。ただのキリスト教徒ではなくて、キリストのようなひと、という意味のクリスチャンだった。いつも聖霊の動くところを追っていて、新しい啓示を得るたびに、飛び上がって喜んでらした。

 いつの間にかわたしは、お父さまの情熱に感化されていた。イエスさまは、ほんとうに存在するのかもしれないって。だってあの方は、夢中でキリストに恋してらしたから。イエス・キリストと仰るとき、お父さまの細長い目が輝くの。こうぱあって、まるで色が変わったみたいに。

 ある時からお父さまは、「イエス・キリストの御名によって洗礼を受けたい」と言い出して、何人もの牧師に頼み込んでは断られ、憤慨なさってた。使徒行伝に書いてあるじゃないか、どうして洗礼を授けてくれないんだ、って。そう言われてみればそうだわ、とわたしも思った。ついにお父さまは、アメリカに行ってくる、と仰った。純さんに留守番するように言い付けて。

 アメリカで、求めていた真理を見つけたお父さまは、まるで聖書が新しい本になったみたいだ、と興奮してらした。知ってるかい、旧約聖書の神もイエスキリストも同一人物なんだよ、とわたしに教えてくださった。あちらでは、賛美のときに聖霊が触れられるくらいに降りてきて、みんなが叫んだり踊りだしたりするんだ、とも。わたしも見てみたいわ、と思ったけれど、その頃はまだ娘が小さくて無理だった。

 それがわたしたちの歴史だわ、と鷲尾夫人。それからお父さまは、若いフィリピン人の牧師と、東京に教会をお建てになった。終わりの時代のためのメッセージを語る教会を。キリストが花嫁を迎えに来てくださるのを、いまかいまかと待ち望む教会。教義でも教条でもなく、パウロやペテロたちが教えた通りを語る教会。

 わたしたちは柱みたいなの、目には見えない柱。毎日曜日に、わたしたちは神さまのために建物を作る。勿論、雨風をしのぐための教会堂はありますけれど。誰かキリストを求めるひとが来たときに、そこに教会を見いだせるように、いつだってそこにいるのが柱の役目。それがわたしの人生で、後悔なんかしてないわ。


↓松本に到着してから




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