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All is well

 いつの頃からだろうか。どんな愚痴を牧師に宛てて書いても、「All is well」としか返ってこないようになった。

 牧師に愚痴を言うなんて、ですって?

 そう、わたしも愚痴という形で書いていたわけではない。でも「何々について祈ってくださいますか」と言いながら、クリスチャンは愚痴を語りがちなのだ。

 祈りのリクエストという名の愚痴、またはゴシップ、それから自慢話。

 All is well「ぜんぶ大丈夫だよ」

 どれだけ長い文章を送り付けても、答えはそれっきりだった。怠慢か、とすこし思った。けれどもそれは、信仰の言葉だったのだ。

 牧師が言っていたのは、こういうことだった、

 「神を愛するものには、すべてが良いことの為に用いられるのです」

 その言葉を、信じること。心から神を信じること。悪い状況から目を背け、負の感情を拒んで、困難なときでも、希望を持つこと。

 「信仰とは、目に見えないものに向けるまなざしである」

 と、シモーヌ・ヴェイユが言っていた。希望も、神も、目には見えない。信仰がある、というからには、わたしたちは目に見えないものを見つめながら、生きていかなくてはいけない。

 だからわたしは心配しません。足掻いたりしません。その日暮らしの人間みたいに、いつもあかるい歌を、口唇にのせていようと思います。

 わたしは退いて、キリストにゆだねます。不安を抱くくらいなら、こころのなかに湧いている生きた泉の感覚を確かめていようと思います。

 周りになにが起ころうと、ただキリストを見つめていようと思います。

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