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読書録 『安曇野』 臼井吉見 全5巻

 『戦争と平和』に匹敵するのではないか、というような膨大な質量の小説である。明治中頃のクリスチャン界、インテリ界、信州の農村から始まって、縦横無尽にあのひとこのひとが現れては、去っていく。ちらと聞き齧ったことのある名前、有名な名前、聞いたこともないような名前……

 『狭き門より入れ』

 という言葉が聖書にある。この小説に出てくる無数の思想家たちは、その狭き門の奥にある真理を、在るものは無意識に、在るものは意図して探しつ、生きることに翻弄される。

 松本出身の木下尚江なんてひとは、もうすこしで真理を掴むんじゃないかしら、と拳を握るように読んでいた。「あのひとはいつだってキリストを探しているひとだ、自分がなろうっていうタイプじゃない」なんてことを、新宿中村屋の相馬愛蔵に言われていたひと。

 大杉栄も登場する。ついには葉山の日陰茶屋で、彼を刺すことになる恋人の神近市子が、その恋愛に悩んでいたときに言われた言葉も面白かった。盲目のロシア人エロシェンコが彼女に言う。

 「あなたがた、自由思想家は日本の現在における未来のひとたちです。……あなたはその生みの苦しみを忍ばなくてはなりません。……あなたがたが自分の欲望のために、思想を裏切って、自分を亡ぼしたのなら、それはあなたがたの罪ではなくて、理想そのものの罪のように世間では思いかねません」

 勿論大杉にも神近にも、伊藤野枝にもそのような意思の力はなく、欲望はもつれて刺したりなんだりの事件に身を滅ぼすのである。

 この小説の要の部分に位置する新宿中村屋のおかみさん、相馬黒光というひとは、読み進めるごとにイゼベルらしくなってきた。イゼベルとは、旧約聖書のアハブ王の王妃のことである。支配欲の強い女性で、俗っぽく、傲慢で、聖書では忌み嫌われている。彼女の周りのひとびと、特に足下に敷かれる家族の惨めさは、この小説で嫌というほど味わえる。

 第四部を読み終え、日本は敗戦を迎えた。思えば自由民権運動や秩父事件から始まった彼らの旅が、焼け野原と化して、わたしの頭もぷつぷつと焦げている。山川菊枝だとか、馴染みの名前とも出会った。一体登場人物は何千人になるのだろう、ほんとうに『戦争と平和』みたいな小説だ。

 『光のあるうちに光のなかを歩め』という言葉もある。思想の花火大会のようだった世界が、だんだん第二次世界大戦が近づいてくることで、まず左に傾き、それから一国まるごと右に絡めとられていく様子が息詰まるほど克明に描かれていた。

 狭い門の奥にあるもの、『戦争と平和』でアンドレイとピエールが辿り着いたような真理を、見出すかもしれない、と思っていた木下尚江が、岡田式静座の教祖なんかに絡めとられてしまったのは残念でならなかった。ピエールはプラトン・カラターエフの向こう側に神を見出だすことが出来たのに、木下尚江は、尿毒症なんかでぽっくり死んでしまった、はかない教祖を崇めるに留まってしまった。

 いま5巻を読んでんいるが、東京裁判、徳田球一、ケリー旋風、ヤマザキパン、武田泰淳なんて名前も出てきた。相馬黒光が亡くなると、『ぼく』こと臼井吉見が、九十九里の海岸沿いでむなしく本土決戦にそなえる少尉殿として登場する。『戦争と平和』でも、トルストイが突然軍事や世界の動きやらを語りはじめるターンがあったから驚かない。あちらの方はよくわからなくて読み飛ばしてしまったが、臼井吉見の『ぼく』は、やはり身近な歴史なだけあってなかなか面白い。

 大宰の娘である津島佑子の『火の山』を思い出す。あれも一人称で語っていたところを、これからは三人称で書くことにする、と話者が言い出したり、一人称の話者の語りにイタコのようにその姉たちが出張ってきたり、かなりワイルドだったが、そんな技法の荒業など気にならない、押し寄せる土石流のような小説だった。

 時々回帰するように出てくる信州の、松本平のうつくしい景色、それもこの長い小説を読み進める後押しをしてくれる。臼井吉見の生家に集まって、近所のひとたちがしていたという会話が、信州弁も相まって可愛い。

 「もう駄目だじ、日本は敗けだじ」
 「いまに見ていましょ、神風なんか吹かなんでも、いよいよというときに連合艦隊が出てきて、いちどきにやっつけるから、いまに見ていましょ」
 「連合艦隊なんて、あてにしたって駄目だじ、とっくのむかし、南の海に沈んで、いまごろァ、鱶や鮫の巣にでもなっているずら、駄目だじ、もう駄目だじ」

 この恐ろしいボリュウムの小説は、ふさわしく安曇野の地で、禄山美術館の雑役夫のおじさんが拙いオルガンで弾き歌う、信濃の国で締められた。それまで語っていた天皇制や共産党や、柳田國男に、斎藤茂吉と高村光太郎の戦争讃歌の比較、戦中の文人たちの姿勢だの、頭がもうこちこちになっているところだったから、ふわりと解き放たれた感じだった。長野オリンピックでも歌ったんだったなあ、あの信濃の国のうたを。信州のひとたち以外は置いてきぼりだったでしょうに。講義を何十時間も詰め込まれたような小説だった、当分頭の凝りがとけそうにもない。

 


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