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Home sweet home (散文)

"When the August is burning low" という一節の詩が、あたまを漂っていた。それ以外は思い出せないけれど、ただなんてうつくしい言葉だろう、と口ずさんでいた。あれはエミリー・ディキンソンの一節だったらしい。

八月が低く燃え尽きるとき、と検索を掛ける前に、わたしはそれをリヒャルト・シュトラウスの『四つの最後の歌』の一節なんじゃないかしら、と思っていた。あれも、ただただうつくしい歌詞だ、と記憶に残っていた。あのなかに『九月』という歌があって、わたしはそれと混乱していたみたい。

『庭は喪に服し/雨が花々に冷たくしみ込む/夏は震える/静かにその終わりを待ちながら』というその詩は、調べてみたらヘルマン・ヘッセの作だった。どうりで惹かれていたわけだ。わたしはヘッセの『庭仕事の愉しみ』を座右の書にしていた時期がある。庭仕事の才能は一切なくて、サボテンを枯らす才能が発見されただけだけれど。

いまがちょうど『八月が低く燃え尽きて』『夏が震える/静かにその終わりを待ちながら』といった季節だ。まだ真昼はそとに出る気がしないけれど、午後の光はすこしにぶくなり、ながく伸びるようになった。

きょう海辺の公園で、松の林のあしもとのほそい草を、黄金色の光が照らしていた。わたしはあの光を知っている。あれは夏の終わりのアラバマの、松林に照っているひかりだ。荒涼とした赤い丘がどこまでもつづいている、あのひかりの透んだアラバマの。

そのアラバマ州の片隅に、100エーカーの森があって、そこにわたしのふるさとの教会がある。わたしは娘時代、毎年夏をそこで過ごした。十何年も通いつめた場所は、近所のようにすべてを知り尽くしていた。ほんとうにそこがどうして近所じゃないのか、わたしにはわからなかった。

日本と米国とのあいだに海があって、十三時間飛行機に乗ってそこに行くのだけれど、ひとたび空港からその教会の敷地に連れてきてもらえば、わたしはいつだってそこにいたような気分がした。どうして裏庭への扉をあければ、そこがアラバマってわけにいかないのかしら? わたしはこんなにここに属していて、ここのすべてを知っているのに? ここのひとたちはわたしの家族で、わたしは彼らの一部だっていうのに?

けれど結婚して、子どもを産んで、そして飛行機にのって外国に行くなど思いもよらないような時代がやってきて、しかも1ドルが140円になって、もうアラバマに帰ることなど出来ないかもしれない、とわたしは諦めはじめている。あのころのように、というわけにはいかない。わたしもみんなも人生を進んでいる。若いころ、移動の自由がないのは己の怠慢だと思っていた。そして精神が停滞するのだと。いまのわたしはその罰を受けているのかしら、日帰りで信州に行くことだって不可能だ。

黄金の光、松の林。それはまるでアラバマが日本に訪れたような光景だった。わたしはここに縛りつけられている。移動の自由はない。けれども光はどこでも行き交うことができる。こちらの世界では、もう二度とアラバマの家族に会うこともないかもしれない。けれど永遠の都があって、この黄金色の光なか、そこでわたしは彼らといつまでも暮らすのだ。

その光のなかから、神はわたしに内面に潜れば見えてくる、とささやいていた。通りすぎるモノレールの端に、漏れた光がちらちらと『わたしは世界の光である』と言っていた。そうなんだ、神さまって、ほんとうに光なんだ。わたしが光に神の存在を感じるのは、けっして嘘じゃないんだ。

わたしのなかに神さまがいて、アラバマのひとびとのなかにも神さまがいる。この世界はいまにも崩れてしまいそうで、すぐにもあたらしい世界に、わたしたちは呼ばれていく。そこでわたしたちはこの光と溶けこんで、神さまの建てた都にいつまでも暮らす。(そう、そしてわたしはそこにマイホームを建てる。古いお屋敷がいいと思っている)。おとぎ話だと思います? わたしはこれにすべての希望を懸けている。

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