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暗闇の灯 (小説) 3


ひとつ前 暗闇の灯 2 

※この小説は虚構作り話であって、実在の団体や人物とは何の関係もありません※



 5

 陽の傾きかけた山に、きらきらと晩冬の薮が光った。大した山ではない。それでもここ三浦半島では、信州と違ってこんな丘陵でさえ山と呼ばれている。前方後円墳がふたつも載っかっているから、きっと立派な山だ。標高だってせいぜい百二十米ほどだけれど、三才の子どもを連れて登るには充分だった。すみれは聞き分けのいい子で、山道にも馴れている。けれど往復を歩きつめられるほどではない。いまもすみれは父に肩車されて、灯の前を進んでいた。

 この山道はむかし東海道に当たる重要な道だったらしい。尾根の上を木々に見下ろされながら行く、古代のかすかな息遣いを感じるような道である。斜陽が木々に見え隠れして、前をゆく父娘は時として逆光に黒い影となった。すみれはどこかでひっこぬいたらしい、大きな八ツ手の葉を手にしていて、それを頭の上にかざしたり、ひらひらと振ったりしている。

 獅子の穴から帰ってきたときに、灯は恋人に聞いた、わたしのことを受け入れてくれるかと。思い返しても弱気な発言だった。自分の声がいつになくかぼそく甘えているのを、灯は冷静に聞いていた。すこししなだれて、自分が男の目にうつくしく映っていることを意識しながら、心のなかで男をたぐりよせようとしている自分を。

 男は拒まなかった。もう十年来の付き合いである。灯が強いようでいて、もろいことなどもうとっくに知れわたっていた。美しいひとは、もろかろうがうつくしい。けれど男と灯の関係は、そういった外側の部分をすこしだけ超越していた。お互いのことはその恋愛すべても含め、知り尽くしている。安易な夢をみるには年を取りすぎていた。

 あかりちゃんみてみて、と父の肩の上から注意を惹こうとするすみれに手を振りながら、灯の意識はちらちらと光るダイヤモンドに留まった。エメラルドカットの石が鎚目の金枠に嵌まっている。つい最近のことだ。二度目のくせにそんな大げさな、と灯は思ったが、彼の初婚は婚約指輪だの悠長なことを言っていられない状況だった。親友として見てきたから灯もすべて知っている。辻褄を合わせるための結婚はあっけなく破綻した。それからひとりで娘を育てる親友を、フリーランスで余裕のある灯は度々手伝ってきた。
 
 山がひらけて、海がみえる。明るいところへ導かれるように進んでいくと、映画の大画面のように、海と富士山が視界を占めた。見晴らしのいい切り株に、男はそっとすみれを下ろす。切り株の上にしゃがみこんで、八ツ手の葉を振っているすみれはなかなか面白い絵で、男も灯もそれぞれカメラを構えた。おとなたちの注目を浴びて、すみれは照れてしまったらしい。おりる、と父にねだると、たったったっと灯のもとに走り寄り、はい、どうぞと八ツ手を手渡した。渡された八ツ手の茎は思っていたよりも手応えがあって、金色の光をうけながら空中にしなった。

 どうしてすみれの父と結婚するのだろう、あちらで真木や八枝に問われるまでもなく、灯はずっとその理由について考えている。結婚に拘るのは常日頃の自分からすれば愚かだ。彼を愛しているにしても、ジョルジュ・サンドとショパンのままでいたって何の不都合もあるまい。あちら側からは決して認められないだろうが、あちらを去ったのだからなんの関係があろうか。山の上から見下ろす海辺の町は、次第に電気が灯りはじめている。

 十数年前、こちらの世界に出てきた灯がまず知ったのは、価値観というのが窓にともる光の数だけ存在することだった。外に一歩踏みだすと、濁流のようにひとびとの思考が、生き方が、価値観が、襲いかかってきた。ともかくわかったことは、じぶんの育ち方は当たり前でなかったこと。清く生きなくてはならないなんて、外の世界では誰も言っていなかった。ひとつ、ひとつと灯は教えられていた掟の柵を乗り越えて後にした。それに呵責を感じるじぶんを嘲笑いながら。

 外の暗闇からは、どこの窓の光もおなじくらい明るく見えた。適当に選んだそのひとつを生きたって、べつにいまより悪いこともあるまい。一線を越えることに、灯は背中の毛が逆立つような凄みを感じた。あちらの世界で越えてはならぬと言われていたものはとっくのとうに越えていたけれど、やはり結婚というのは自分をあちらから完全に別つものだと感じた。ふふふ、母が生きていたらなんて言ったかしら。

 早く帰らないと日が暮れちゃう、というのをすみれは理解してくれない。崖のふちに咲く甘い香りの水仙の傍で、すみれは土いじりに夢中になっている。

「あかりちゃん、手ぇだして、つちをのせてあげるから」
 
 ふいに笑顔のすみれが目の前にいた。いえ、いいですと断るのも聞いてくれない。二度断ったのを無視されたとき、灯は観念して手を差し出した。細かい砂のような土くれが手のひらに載せられていく。土に触れたのは久しぶりだった。すっかり土まみれになった灯の手に、そんな言いなりにならなくても、と男が呆れる。手のうえの土は痩せていて、つめたくて、ぱらぱらしているようで、固まっていて、なにか本当のものに触れたような気がした。

 満足しきったすみれを、男が無理やり抱きあげた。いまにも暮れゆく木々の覆い被さった山を、急な土の階段で一段々々おりていく。山の陰はもう夜のようで、すみれがすこし怖がった。山を降りればもうすぐ海である。暗い海には月のみちがかかっていた。海辺の店で夕食をとってから、三人は灯の家へと帰った。
 
 山と海のあいだのこの家は、もとは祖父母の別荘だった。母が受け継ぎ、いまは灯の所有になっている。住みはじめてからもう一年になるが、室内は祖父母の頃そのままである。イタリア製のカーテンに、隣町の家具屋でそろえたソファや椅子、煤けた織物壁紙には知り合いの画家の海の絵が飾ってある。バブル期そのままな内装も、灯には一周まわって懐かしかった。どうせいま買い換えたところで、祖父母のと同等に上質なものなんて手が届きはしないのだ。
 
「灯の伯父さんと伯母さん、とてもいいひとたちだったな」
 
 伯父の家に挨拶に行ってからというもの、男はときどきそう言っては考えに更ける。そのたび灯の心はもやもやと煙った。伯父たちには八枝から報告がいっていたのだろう、婚約者とその子どもを連れていくと知らせても声色ひとつ変えなかった。伯父夫婦はそういうひとたちだ。

「あれが、灯の反抗している世界?」
 
 男は立ち上がって、机の上に散らばるコンタクトプリントの小さなコマのひとつずつに目を落としながら言った。

「伯父さんと伯母さんは特別よ」
 
 ソファに座り、膝のうえに眠るすみれの額の毛を撫でながら灯は言う。昼寝をしなかった子どもは、さっきこてんと意識を手放した。洗いたての髪はまだほんのすこし湿っていて、指に冷たく、いとおしい。

「あの世界にはなにかがありそうだね」

「改心でもしたの?」

「そういう気質はあるかもしれない。本当は頭を丸めようと思っていたのを、留まって写真を始めたから。いまは商業写真ばかりで思うようなものは撮れてないけど」 

 灯はまじまじと男を見上げた。短く刈った頭の下は精悍な風貌で、屋外の撮影が多いせいで黒ずんでいる。灯も男も、出会う以前の世界を引きずって生きていた。大学を横須賀で過ごし、そのまま自衛隊に三年勤めたあと、男 (彼の名前は田口と言った) はふらりと写真学校にやってきて、そこで大学を卒業してやってきた灯と同級生になった。友達が多く、面倒見の良い男だったが、撮る写真には影があった。複雑なものを感じとって、灯と男は近しくなった。恋愛関係ではなく、ただ対等に知的な会話の交わせる相手として。

「あの道に進んだとき、人類のためになにか善いことをしたいって愚かな夢を抱いてたんだ」
 
 男がいつになく雄弁に自分のことを語りだしたのに灯は驚いた。夕食のときに飲んだ酒のせいだろうか? 

「意外ね」

「だいたいそんなもんじゃないか? でも善意の搾取みたいな場所だった。あれ以上あそこに居られなくなったとき、それでもまだなにか善いことをしたかった。この経験を得た自分が表現することで、だれかを助けられるんじゃないかって」

 男は視線を決して合わせず、リビングの絨毯の上を彷徨っていた。ペルシャ絨毯の短い毛のうえを、骨ばった裸足の指が触れたり離れたりするのを、灯はぼおっと見つめていた。
 
「けれど自分のなかには、人に与えられるほどの善なんてなかった。俺がなにを作ろうと、無視されるか、消費されるか、評論家に小難しく解釈されるかそんな程度で、ときどき何のためにやっているのかわからなくなる」 

「それだから生きづらいんじゃない?」
 
 あしらうように灯は言った。できるだけ軽薄に、かるく交わせるように。

「寺の跡継ぎでもないのに、出家を考えるような人間が生きやすいはずないだろ」

「だからこの子がいるってわけ」

 皮肉な台詞を、灯は膝のうえの子へのいとしさを込めて言った。男の前妻はほとんどこの子を育てることをしなかった。灯だって子どもなんて好きじゃないはずだったのに、母に捨てられた子への不憫なのだろうか。この子が無意識で背負っているものは、形は違えど灯にも覚えがある。この子に感じるものは、灯のなかで唯一偽りのない感情な気がした。

 立ちどまることなく、静まりかえった部屋を歩いていた男が、ふいに窓の外に目を留めると「月」と言った。すみれを起こさぬようそっと灯も首をひねる。暖かな光に満ちた部屋から、外の世界は青かった。夕暮れのあとの藍がかった青の空に、満月が低くおおきく掛かっている。男はしずかにその月に見とれていた。

 自衛隊上がりの武骨な身体に、あまりに繊細な心が宿っている。彼の作品を見れば明らかだ。それに潰されるほど弱いひとではない。世間で立ち回れるだけの才覚のあるひとだ。けれど月をみている男は、どこかおぼろで、現実味を失って見えた。

 「呼ばれてるの?」
 
 ふいに灯の口をついて出た言葉に、何を突然、と男が振り向く。

「いま、まるで呼ばれてるみたいだった」

「何に呼ばれてるのかもわからない」
 男は否定しなかったが、自分でも何を語っているのかわからぬらしい。

「月を見て呼ばれるってことは、きっとかぐや姫よ。きっとお呼びなのはあなたじゃなくて、お嬢さん」
 
 灯は自分の言葉を理解していた。だからわざと茶化した。誰も彼もが呼ばれるんじゃしょうがない。きこえない、わたしにはきこえない。きっとわたしは呼ばれてなんかない、ほら、耳を塞げばなにもきこえないもの。

「あの世界」
 男がぶり返した。わざわざまたその話題、なにを言われたってわたしには完全に潰してしまう用意がある、と灯。

「あの世界に何があって、灯はそんなに反抗するんだ?」

「宗教なんて無しで生きていけた方が、ずっと賢くて現代的じゃない?」
 
 灯はまたあでやかに微笑んだ。これはあの世界に立ち向かうときに装けるスマイル。

「伯父さんとふたりで話していたときに、なにか言われたの?」
 
 あの瀟洒な白い家で、孫のいない伯母はひと目ですみれに心を奪われてしまった。あの家で居心地が悪いと感じるひとなどいない。あれだけ緊張していた男も、帰り際にはまるでずっと前から家族だったような顔をしていた。

「あのひとは本物だと思った。そしたら言われた、本物なのは私じゃない、私の神が本物なだけです、と」

「あなたまであちらに行く気? 言っとくけど骨ごとしゃぶられるわよ。百を捧げるか零かみたいな世界よ」
 
 男は気を殺がれた顔をした。灯が覚えたのはすこし黒い満足である。

「灯の作品に漂う傷や反逆心が、あの世界に向けられたものだとしたら、女の子写真を抜け出せない理由もわかるな、と思った」

「女の子写真って言葉自体が、女を枠に嵌め込もうとしていると思いません?」

「そういう意味じゃない。ただ自分ひとりの傷や反抗心に拘泥している限り、似たような閉塞感を感じている女の子たちには共有されるかもしないが、それ止まりだろう。なにかもっと深いものを灯は捉えられるのに、それから目を背けているような感覚がずっとしていた」

「それはまあご親切に」
 
 灯はふたたび俯いて、すみれを眺めることに居場所を見いだした。男の批評の確かさは知っている。呼ばれるだの、目を逸らしているだの、どうしてわたしはいつまでも逃げきれないんだろう? どれだけ遠くに走っても追いかけてくる。ほら、いまみたいに。この男と結婚することは、灯にとってあちらと義絶することだったはずなのに。離婚歴のある男と婚約したら、わたしはもう逃れられると思ったのに。なんで着いてくるのかしら、なにが着いてくるのかしら。

 灯はすこし息をついてから、そっと腕をすみれの首と膝の下にさしいれて、しずかに抱上げると寝室に運んだ。白いベッドにすみれを横たえて、ほのかな灯りのもと、じいっとその顔を見つめた。すこし粉をふいた白い肌、うらやましいようにながく重い睫毛、こどもらしい頬の輪郭。この子は父親似ではない、その母に似ている。灯はそのことに哀しさを覚えたが、それはいささかのざわつきをも伴わない、純粋な哀しさだった。


 6

 ふたたびこの地を踏むことに、灯は抵抗と気まずさを覚えていた。けれど息を呑むようにうつくしい青い山々が、そんな彼女を出迎えてくれた。季節はもう七月で、標高の高いこの山国でも、さすがに陽気は夏らしかった。

 けんか別れをした従姉妹は、個展の案内をあちこちに配ったり、置いてもらったりと暗に大活躍してくれていたらしい。どうしようもなく真っ直ぐで、忠実なひとだ。それはときにうざったく、そして哀しい。灯が半年ぶりに信州に入った昨日の朝も、八枝はめずらしくデニムのスカートにTシャツ姿で、ひと働きしますかとでもいうかのように、手ぬぐいを首にかけた久米とふたりで、大量の作品をギャラリーに搬入するのを手伝ってくれた。

 それからずっと会場にこもって展示に苦心していたが、今朝だけはそうもいかない。さすがの灯も、泊めてもらっている屋敷で行われる日曜礼拝からは逃れられなかった。しずかだった屋敷は、礼拝の始まる十時が近づくにつれ混沌としてきて、ひとの息遣いがせわしなく貝のように閉じた灯の頭上を行き交う。
 
 広い座敷に満ちたひとびとが、座布団から立ちあがって礼拝がはじまった。早朝に東京を出て、さっきこちらに着いた伯父夫婦、婚約者とすみれが灯のまわりをかためている。今日の夕方にあるオープニングパーティーのために勢ぞろいしたのだ。婚約者の田口はいつのまにか灯の伯父夫婦と仲良くなっていて、まさか彼らがおなじ車で来ようとは思わなかった。いまだって田口はすみれを抱きながら、この場の雰囲気に違和感を感じていないらしい。ずっとこんなような場所で育ってきた灯の方が居心地が悪い。

 賛美が終わって、前に立ったのは真木だった。彼は背が高く、涼やかで見映えのする中年の紳士だったが、いかにも居心地悪そうにひとびとの視線をうけていた。彼はすこし神経質にいつもより人の多い会衆を見まわした。ふと真木はうすい瞼を閉じて、ほんの一瞬祈っていたらしい。目をあけると、かすかに穏やかな顔になっていた。

 真木は口を開けると、とても緊張しています、とかるく自分を笑い、妻の家族が揃っていることを教会のひとびとに紹介した。お義父さんお義母さんと呼ばせてはもらってはいるが、実は妻よりも義両親の方が年が近いのです、と自虐的なジョークを交えながら。そう語りながらも徐々にその頬骨のこわばりはとけていった。真木は聖句を読むと、頭をさげて祈ってから語りはじめた。

 「このあいだ妻と、街でやっていたアートの展示を見に行きました。ぼくも妻も古い人間なので、現代アートはほとんどわからない。けれどそのなかに、ぼくの目をひいた作品がひとつありました。それは『光あれ』以前の世界を問うというものでした。『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』を見つめることこそアートだと思う、とその作家は書いていました。それはクリスチャンのぼくにもわかる言語でした。

 絶対的なもの、についてぼくは近頃よく考えます。日本人の生き方を考えていたとき、そのことばが鍵として思い浮かんだのです。絶対的なものとは何でしょう。決して揺らがないもの、いつまでも絶えることのないもの、すべてを判断する基準となりうるようなもの。そのようなものがこの世にあるでしょうか?

 『あのひとはぶれない芯を持っている』という表現をきくことがあります。ひとのなかに、そのような絶対的なものがあり得ましょうか。決して揺らがない核のようなものが?  ぼくは、ぼくの自分らしさをいかに追及していったところで、そこには醜いものしか現れない気がする。それはぼくが凡人だからかもしれないが、果たして自分のなかに、肉の体や魂に、絶対的なものが見いだせるものでしょうか。ひとは死ぬではありませんか。自分がどこから来て、何者で、どこへ行くのかもわからぬ人間に。

 ぼくは都会に住んだことがありません。日本でもアメリカでも、ずっと星の光が遮られぬところで生きてきました。空の星の位置は季節とともに移ろいます。けれども北極星だけは、常に同じ位置にあります。そういう意味で言えば、北極星は移ろう、相対的な星々のなかにあって、唯一絶対的な星なのです。(とはいえ北極星でさえ完全に真北にあるのではなく、歳月とともに入れ替わってしまうのですが) むかしアメリカ南部の農園から奴隷たちが北を目指して逃げたとき、目印にしたのがこの星でした。北極星は進むべき道を示してくれるのです。

 ぼくにも北極星がある。揺らぐことのない一点が。イエスキリストがそのひとです。イエスこそがぼくの芯であり、絶対的なものです。すべてが揺らぐとき、なにも頼れるものがないときも、イエスだけはしっかりとそこに立ち続けてくださいます。

 経済は崩壊し、政治は堕落しています。この肉体は日々老いていきますし、ひとの心ほど不安定なものもない。名声ほど不確かなものはないし、いくら教養を積んだところで行き着く先はむなしい。いつどこで放火事件や殺傷事件に会うかわかりませんし、日本が隣国から侵略される可能性だってある。糸魚川静岡構造線上に住んでいるのですから地震からは逃れられません。なにか確かなものがこの世にありますか。だからこそひとは言うのでしょう、この世に絶対的なものなどないと。

 絶対的なもの、と言ってもわかりづらいかもしれない。では、信じられるもの、と言い換えてみましょうか。信ずるに値するもの。揺らぐことのない確かな土台。

 信じられるものが無い生き方、絶対的なものがない生き方というのは、碇のない船のようです。波に揺られ、風に吹かれ、安定することがありません。羅針盤もなく、位置を知らせてくれる北極星もないのであれば。きっとそれがこの世界にいる大抵のひとの生き方でしょう。ぼくだって偉そうなことは言えません。いまのはキリストに出会う前のぼくの生き方のことですから。

 ほかの舟たちが波に揺られ、漂っていく時代に、イエスキリストという碇を下ろして生きるのは並大抵のことではありません。揺らぐことのない絶対的なものを持っているひとは、目立ちます。目立つだけならよい、時として迫害されることもあります。ぼくの背負う事情はもうみなさんご存知のことでしょうが、そのすべてはぼくがキリストを絶対的なものと定めたから起こったのです。

 この世でうまく生きていきたいのなら、碇を下ろさず漂えばいい。行き着く先は保証できませんが。キリストに従ってひとびとに憎まれるぼくの生き方は、きっとその目に愚かに映ることでしょう。そしてたしかに愚かかもしれない。けれどぼくはこの世から愚かだと思われようと、永遠に揺らぐことのない神に従いたいのです。この世はイエスを憎みました、だからイエスのものであるぼくも憎まれて当然ではありませんか。

 つい先日、ぼくは一族の菩提寺で、抜魂式とやらに出なくてはなりませんでした。妻は連れていかずに、ひとりで行きました。ひとりの方が耐え易いものもあるのです。ああいった場でぼくがどんな言葉をかけられるか、あまり再現したくはありません。また妻を傷付けることになりかねませんから。そのときに主に示された言葉は、右の頬を打たれたなら左も差し出しなさい、でした。

 けれどぼくは親戚から罵られながらも、嬉しかった。ふつふつと沸き上がる喜びがこころに満ちました。キリストのために罵られ、迫害されるとき、喜びなさい、大いに喜びなさいと聖書は言います。天の国はあなた方のものだからと。

 そうなのです、ぼくが生きているのはこの世の命ではないのです。ぼくは聖霊によって神の国を生きているので、この世を生きているひとびとには理解されないのです。封建的な世界観に生きる親戚からすれば、ぼくのような人間は迫害してしかるべしなのです。

『もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである』(ヨハネの福音書15:19)

 ゴーギャンの問いへの答えがここにあります。我々は神のもとから来て、我々は神の子であり、我々は神のもとに帰っていくのです。神をその心で知っているひとびとは、みな胸を張ってそう言えるのです。この世は仮の宿に過ぎない。

 それは教理問答カテキズムで教えこまれた答えではありません。ぼくは仏教の家に生まれた人間ですから。ぼくが神のものであるという自覚は、植物のように生えてきたものなのです。付け焼き刃はいつか落ち......」

 そろり、と灯は座布団から腰をあげ、低い姿勢のまま脇の襖から廊下にでた。失礼なのは承知だが、灯はこれ以上説教を聞いているわけにはいかなかった。話が悪いのではない。たしかにこちらへの嫌味のような言葉もあったが、彼にこれだけ説教ができるとは思わなかった。そうではなくて、ギャラリーの開廊時間が迫っているのだ。長い廊下をたどって玄関にでたとき、半衿をかさねた青い浴衣姿の八枝が座敷からでてきた。うしろでまだ真木が説教する声がしている。

「時間でしょう?」
「ごめん」
「車で送っていくわ」

 八枝は戸棚をあけて、車の鍵をとりだした。からりと玄関の戸をあけると、暗い三和土に並ぶ色とりどりの靴たちのうえに、光の帯がのびた。そのまま明るいところへ出ていくふたりの背を、追いかけるように説教がそとにまで響いていた。 


つづき


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