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窓辺で待つ猫

14歳。人によっては、人生で一番楽しく自由な年齢と答える人もいるかもしれない。しかし、私の場合、当時の生活はまさに戦いの日々だった。

父の仕事の都合で広島から遠く離れたベルギーに転勤になってから、ひと月が経っていた。中学3年生の秋。私は14歳だった。

「高校受験をしなくて済むから」という親の言葉を信じて、中学受験で入学した中高一貫の学校を泣く泣く辞め、転校した先はベルギーの首都、ブリュッセルにあるインターナショナルスクール。

校舎は森の中の広大な敷地にあった。学校の事務所は、かつてのお城の姿をそのままに残した真っ白な背の高い建物で、転校初日の私の前にそびえ立っていた。

当時、私は英語はまったく話せなかった。しかし、学校はアメリカ式なので授業はすべて英語。インターナショナルスクールとはいえ、中学までは義務教育なので、中学校の先生はほとんど皆アメリカ人。つまり、英語を話すスピードが超速い。それに加えて、英語の科目以外はネイティブの子たちと同じ授業を受けなければならないというおまけつき。ちなみに高2から編入した2歳上の姉は、英語の科目以外でもESLのクラス(ノンネイティブ向けクラス)があり、割とゆったりと過ごしていた。

学校には世界中からの生徒が集まっていたが、最も多いのはアメリカ人で次にヨーロッパ系。欧米からの生徒がヒエラルキーのトップに君臨する環境において、日本人を含めたアジア人は数と存在感の両方においてマイノリティだった。

じっくりとひと月が経ったが、英語をうまく話せず、聞き取ることも難しい私に友達はほぼいなかった。昼食は同じくまだ居場所のないESLクラスの子らと、カフェテリアの隅っこで食べていたのだが、年齢もバラバラなうえに互いに英語も流暢ではないので、いまひとつ会話も盛り上がらない。そんな頼みの綱の彼らとも、無情にも理科や体育は別のクラスに割り振られていた。

さらにつらいのは、その理科や体育でやたら、生徒同士のペアを組まさせられることだった。社交辞令の存在しない子ども社会は大人以上にシビアな面を持つ。明らかに劣等生で、足を引っ張りそうな日本人と一緒に実験や球技をしようという稀有な子はなく、常に私は余ってしまう。

いつものパターンとしては、大体のペアリングが仕上がった後、ざっと教室や体育館を見渡してみる。大抵、自分と同じように所在なくポツンと立っている子が一人や二人はいる。同性がいいなんて贅沢は言えない。余った同志で即製のペアを作るか、運悪くそこにも後れを取ってしまったときは、
「さっさと始めたいんだけど・・・」
という周囲の冷ややかな視線を浴びながら、最終手段として教師とペアを組む、という中学三年生にしてはやや屈辱的な選択肢を選ばねばならなかった。

来る日も来る日もそんな毎日が続くと、メンタルの強さだけが取り柄の私でもさすがに心が折れ、体育館の裏にでも駆けて行って大声で叫びたくなったりもした。しかし、現実にはそんな勇気もなく、せいぜい思い切り絶叫している自分を想像するだけにとどめ、帰宅して膨大な宿題の山に疲れ果てて床につくと、またあっという間につらい朝が始まっている。そんな毎日。

当時の通学手段は市バス。帰りのバスを降りると、私は150センチちょいの背をさらに丸めて家路を歩いていた。一歩一歩と重い足を引きずる度、リュックサックと同じネイビー色のサルのキーホルダーだけが呑気な笑顔で小柄な体を揺らした。

角を曲がるとようやく自宅のマンションがあらわれる。見上げると私たち家族の住む二階の窓に白い小さな顔があった。額をガラスにくっつけるようにしてこちらを見下ろしている。転勤が決まり、はるばる日本から一緒に連れて行った愛猫、5歳のメル(メス)である。

もともと野良の子猫で、やせこけた姿で近くの草むらをさまよっていたところを近所の子どもに保護され、近隣の間で猫好きと知られていたわが家にやってきたのだった。保護された直後は白猫とは分からないくらいに、泥やホコリで汚れていたが、家族からの愛情を一心に受け、全身純白の被毛を輝かせる、誰が見ても美しい猫に成長していた。

愛情深いこの猫は私の帰宅時間を心得ていて、夕方になると通学路が見下ろせる窓辺で待機するのを日課にしていた。5歳のメルの精神年齢は14歳の私よりもずっと大人だったはずで、ベルギーに来てからというもの、めっきり元気がなくなったその家の次女のことを彼女なりに気にかけていたのかもしれない。

当時のメル

「メル!メル!」下から名を呼び手を振ると、白い顔がぱっと輝く。距離とガラス窓に阻まれてこちらの声が届くはずはないが、応えるように口を上下にパクパクと動かしている。白く長い尻尾が揺れ、すぐその姿が消えた。

「ただいま」


玄関ドアギリギリまでやってきて出迎えをするメルの優しい顔が見えたときだけは、朝からの戦いを終えた私は心からの安堵を覚えた。強張っていた頬や口元も、本来の14歳らしく無邪気に緩んでいたことだろう。

メルは私が人生を振り返って、おそらく最もつらかったこの時期、ずっと私に寄り添い、彼女なりの方法で励まし続けてくれていた。ネイティブの生徒であれば1時間もあれば済んでいたであろう英語の宿題が終わらず、夜通し机に向かっていたときには一緒に起きていてくれたし、つらいときには柔らかく温かいその体を思う存分撫でさせてくれた。

この頃から、私は猫という存在を特別に感じるようになっていた。猫と人間の間でしか築けない絆、猫だから癒せる部分、私はそれをメルから教わった。

そしてあれから20年が過ぎ、私は猫ライターとしてライティングの仕事を始めた。メルを飼っていなかったら、この仕事への道は開けていなかったかもしれない。


1994年~1998年までのベルギー時代のエピソードをこれからちょこちょこ綴っていこうと思います。よろしければフォローください(^^)




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