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私は万年成長期、フラフラのゆい!

↑妙にリズム感のいい言葉ですが意味はね…笑

万年ダイエッターなんて言葉があったりするけど、それでいうなら私は「万年成長期」だ。万年成長期でフラフラのゆいだ。(悪魔の実を食べたみたい)なんでそんなことを思ったのか、今日はそんなことを書いてみます。


こないだバイトの面接を受けるために履歴書を書いたんです。改めて自分の履歴書を書いてみてすごく大変だった…。だって私何回も転職しているから!!!笑


自分の履歴書を見て、なんか「ゆとり世代代表」って感じがしました。笑
なんなら履歴書には書いてないけど、インドにも行ってるしバックパッカーもやったし、大学生の時「なんかここは私の居場所じゃない気がする…」ってちょっと浮いてたし、私ってなんかすごくステレオタイプのゆとり世代じゃん!超かわいい!!って思った。笑(ネタ通り越して最近はかわいいとすら思います)

ちなみにやった仕事は大学病院の看護師、エステティシャン、保育園の看護師、治験専門病院の看護師、大学医務室の看護師、産業保健師。一応だいたい医療系でした。そして上海で約3年間主婦生活(その間に精神世界と文章で表現することの沼にはまる)という空白の期間があり現在に至る。

これはなかなかモテない履歴書だぞと思った。そして次に応募をしたところは全く違う分野。だからもし受かれば私の履歴書はさらにカオスに染まっていくことになる。

私は仕事以外の「好きなこと」であっても移り変わりが激しい。新しいことに興味を持つのはいいことがだが、やり切ったぞ!と満足しちゃうとそれ以上続かなくなっちゃうのが玉に傷だ。(太く短い情熱、全力じゃないともうやる気にならないのだ)

例えば子供の時は少林寺拳法を全国目指すくらい結構ガチめにやり、中学生はバスケ部だったけどバスケが下手くそすぎて陸上部に派遣され駅伝の大会出た(え)。高校生の時はミュージカルに身も心も捧げ、学力と引き換えに勉強する時間すら捧げた。笑

大学生になったらインドにハマった。そのまま独身時代は仕事をしている間もお金を貯めてはインドへ行った(8回くらい)。もはやインドに行くために休みを取りやすい派遣の看護師をした時もあった。どれもこれも飽きるまでやって、あるときふと「ふう、もう満足した!お腹いっぱい!」となってやめてしまう。

それから、いきつけの飲み屋さんをつくり「常連さん」と呼ばれてみたいって若かりし頃からの夢もありがたく叶わせていただいた。こちらも独り身で激しく通っていた時代に比べると、彼氏ができた頃からすーーーっとフェードアウトし徐々に通う頻度が減った。まあ、これはライフスタイルの変化に伴う自然なことか。笑(久しぶりに行ってもいつもウェルカムな雰囲気で迎えてくれるのには本当に感謝だったなあ。)

とまあ、こんな感じで私のやることは長くは続かないし、私のやることはずっと移り変わっている。どれか一つ、仕事じゃなくてもいから、趣味でもいいから続けていたらどうなっていただろう?少林寺拳法、走ること、ミュージカル…細く長く続けていれば、違う人生があったかもしれない、なんて思うことは何度もあったし、今でも思う。メンタル具合によってはそんな移り変わりやすい自分に飽き飽きしたりする。


でも、やっぱりその時その時の、過去の私の選択や行動を今の私は尊重するし、そうやって移り変わってきたから今の私があると思いたい。たぶんちがう行動をしたら今の私はいない。私は今の私がいいから、もう移り変わりやすい自分を受け入れるしかないんだなーって思う。



ある日、履歴書を書きながら「こんなごちゃごちゃした履歴書だと落ちちゃうねー」と私は冗談ぽく、でも自虐するのが当たり前のように言った。すると夫は「なんでそんなこと言うの?そんなことないよ」って本当にきょとんとして言った。

夫は大学の頃からずっと同じ研究をしている。なんなら高校の時から天文一筋だ。私からすると、一つのことを長く続けることができる人はかなり尊敬に値する。でも同時に、無意識にそうではない自分を責めていた。夫の「なんでそんなこと言うの?」って言葉に気付かされた。夫からしたら別にカオスな私の履歴書はモテないダメな履歴書ではないらしい。(一般的にはそうだとしても)

「ちゃんと自分のことを書ければいいんだよ」と夫は言った。そうだよね、と転職履歴ばかりが目立つそのページを見るのをやめ、隣のページの志望動機を、夫の言う「自分のこと」ってやつをしっかりと書いた。



私はなかなか成熟しない。成長し終わらない。
落ち着くことなくフラフラと、次から次へと自分の居場所を変え、まるでずっと成長期の尻の青い未熟な新参者みたいだ。成熟して立派な実をつけ、次の世代を育ててみたいものだと憧れたが、なんだかずっと新参者でいる。

こんな風に生きるのが私の性分なのかな?と思った。
昔は認めたくないと思っていたけど、たぶんこういう移り変わってしまう人なんだ。移り変わりながら居場所を変えて経験すること、それ自体をとても楽しんでいる。
だからずっと成長期、ずっと未熟でずっと新参者。だけどそれでいいかって思う。
こういう性分の私だからこそ味わえる人生の楽しさや面白さがあるのを私はちゃんと気づいている。

たぶん私には、その場所その場所に自分の隠れテーマのようなものがあって、それをクリアすると今度は違う場所で別のテーマでトライしたくなるんだろうなあ。

無事に履歴書は通り面接をしてもらった。
あなたのやりとげたことはなんですか?って聞かれた。かなり雰囲気のいい面接で、すっかり等身大の自分でいたので、あやうく「何もありません、生きることそのものが楽しくて、それをやり遂げている途中です」的なことを口走ってしまいそうになったが、なんとかハンドルを切り替え、ギリギリちゃんと答えになる回答をした。笑(それも今思えば可笑しな答えだったが)

私は生きるのが楽しい。というか、生きることが自体が楽しい。ずっとやっている趣味は「生きること」です、と言いたいくらいだ(面接官にぶん殴られるね)。笑

なかなか終わらない、なかなかゴールしない、なかなか成熟しない、でもそれを楽しんでいる。フラフラしていて、ちゃんと地に足つけて生きている感覚ではないんだけど生きるのが楽しい。今はそれでいいねって最近は思う。そんな私をだんだんと受け入れている。

だからまた居場所を変えていろんな経験をするのだろうけど、いつかそれがたくさん集まって点と点が繋がったりしたらサプライズみたいで嬉しい。でもそうならなくても、私の宝箱が面白い経験という宝物でいっぱいになったらもうそれでいい。

私は万年成長期、フラフラのゆい!

追記
バイトの面接の準備ってすごく自分と向き合わされるねー。
さて、次の私のテーマはなんだろうか。きっと私の隠れテーマに取り組める場所と縁があるんだろうなあ。

ちなみに一つのことを長く続ける人は、それはそれでずっとそれに向き合いながら学んでいることがあるんだと思う。それぞれの隠れテーマがあるね。

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