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私は友達が少ない。

皆さまこんにちは(^^)ごまふです!

今週ふと、思い出した出来事があったので、勇気を出して書いてみようと思います。

私が、聖書と出会い、神様を信じて生きよう!と決心して、教会に通い始めたばかりの頃のお話。
(あくまでも、私サイドのみの話ですので、その点をご了承ください。)



タイトルは「私は友達が少ない」。


私は、音楽大学で、クラッシック音楽を専門に学んでいました。

大学時代…喩えるなら台風の目のような、揉め事をいつも起こしてしまう性格だった自分。

それでも、仲良くしてくれる友人は多くいて、
ある一人の友人のことを、私は、親友だと思っていました。

学生時代、様々な舞台や企画を一緒にやり遂げ、大学を卒業してからも、一緒に音楽活動を続けていました。
音楽以外でも、色んな事を語り合いました(今考えても若かったあの頃😶)。



そんな折。

私は、聖書と、神様に出会います…!
元々、宗教音楽を専門に学びたいと願っていた自分にとって、聖書について学ぶことは、自然な事でした。

聖書の勉強は楽しく、音楽については勿論、何より謎だった「自分について」はっきりと知る事ができ、

今まで暗く暗澹としていた人生が、神様の愛を知って、薔薇色に変わった瞬間でした。

神様視点の善悪や、生きていく目的を知った私は、その事が「もっともだ」と分かったので、自ずと、考え方や生活も変わっていきました。

…その友人には、自分が教会に通い始めたことを、いつか、ちゃんと話そう!!そんな風に常々思っていました。



が。

ある日、その友人から「もう一緒に音楽活動はできない」と告げられます。

唐突すぎてびっくりしました。

理由を聞いても釈然とせず。
そのまま、友人との音楽活動は休止となり、関係性も、一気によそよそしくなってしまいました。





暫くしてから、なんとか話す機会を作ると、
友人はこんな風に切り出しました。

「…ごまふちゃん、変な宗教に通ってるんじゃないの?」

(O_O)

聞くところによると、大学の中で、「ごまふさんがおかしくなった。キリスト教系の変な宗教に通っている」との噂が流れている、、、そうです。
だから、音楽活動を、もう一緒には出来ない、との事でした。

…その場で大泣きしました…苦笑

噂話の心当たりはありました。

聖書の勉強を始めてから、私は、大学でも聖書を読んだり、お祈りしたり、…「堂々と😅」行っていたからです…。別に恥ずかしいことでも何でもないですから。
(大体の音大生は、大学を卒業しても図書館で楽譜を借りたり、練習室を借りたりするため、続けて大学へ訪れることが多いです。私もその1人📕)

そりゃ、日本人で教会に通っている人は、マイノリティでしょう。
でも、西洋音楽を学んでいる以上、ルーツであるキリスト教や、聖書について、日本人である私たちだってきちんと知るべきではないでしょうか?
何より、教会等に通ったり、信仰を持っている←人を避けるって、差別じゃないの?
クラッシック音楽の伝統を築き上げ、現代の私たちが褒め称える作曲家、演奏家たちは、ほとんどがクリスチャンです!
歴史に名を残した人のことは偉い!凄い!と崇拝しているのに、身近な友達である私のことは疎外するの…?
私の通っている教会のことも、何一つ知らないのに、変だ、おかしい、と言うの…?

何より、親友だと思っていたその人が、当人の私に確認することもなく、
私とのこれまでの繋がりを振り返ることもなく(振り返ったのかもしれないけど💦だとしたらますます哀しい)、
他人の噂話を信じ、行動したことが、心から悲しかったです。

そして、噂話を楽しんでいるであろう人たちの事も…なんてことだ、と泣けてきました。

頭の中では色んな言葉が渦巻いたけれど、ショックが余りにも大きく、涙も止められず、
教会に通うようになった経緯や、自分の思いをしっかりと伝えることが出来ませんでした。

…情けない話です。

その日はどうやって別れたのか、思い出せません。
結局、その友人とはそのまま疎遠になりました。


その一件以来、教会に通う前までの…特に大学時代の…友人や関係者の方々のほとんどと、連絡を取ったり、会うことをやめてしまいました。

こわくて。

またあんな思いをするのがこわくて。





あの時は、自分の状況を上手く説明できなかったし、誤解も解けぬまま、親友だと思っていた人と、様々なものを自ら手離してしまいました。

説明責任を果たせなかった、当時の私が本当に悔しいです。

今の私だったら、なんて返しただろうか…?

71:1 主よ、わたしはあなたに寄り頼む。とこしえにわたしをはずかしめないでください。
71:2 あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください。あなたの耳を傾けて、わたしをお救いください。
71:3 わたしのためにのがれの岩となり、わたしを救う堅固な城となってください。あなたはわが岩、わが城だからです。
71:4 わが神よ、悪しき者の手からわたしを救い、不義、残忍な人の支配から、わたしを救い出してください。
71:5 主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです。
71:6 わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。あなたはわたしを母の胎から取り出されたかたです。わたしは常にあなたをほめたたえます。
71:7 わたしは多くの人に怪しまれるような者となりました。しかしあなたはわたしの堅固な避け所です。
71:8 わたしの口はひねもす、あなたをたたえるさんびと、頌栄とをもって満たされています。
71:9 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。
詩篇 71章1〜9節

聖書を読むと、神様が遣わした大きな使命者は、皆、人々から誤解され、迫害を受け、命を奪われる人もいました。その最たる人物は、他でもないイエス様でしょう。

この詩篇を書いたダビデも、当時の王サウルに理由なく憎まれ、命をつけ狙われるという困難と共に、半生を過ごしました。

それでも、ダビデは神様を愛し、仕え賛美することを喜びとし、
困難や、無念な目に遭う時こそ、より一層神様に縋り付き、神様に哀願し、祈りました。

神様は、ダビデが、神様の心を分かって、神様の目から見た時本当に可愛らしく生きるから、
ダビデの心、困難、全ての問題を解き、結局、歴代最高の王として、名を轟かすまでの生を生きました。

今週の御言葉は、


「解いてあげよう」

ダビデは、神様が全てのことを解く根本者だと分かって、いつも神様に解いてくださいと祈った。
ダビデが、涙を流して、本当に哀切に祈った。
哀願し、気を揉み、切実に祈った。
皆さんも、自分の心、つっかえているところを解いてください!と、哀願して祈りなさい!
ただ、神様、主が岩だ。
神様と一体になってこそ、解いて下さる。
私のせいでそうなった、と思う時に、神様が解いて下さる。

解いてあげるから、悔い改めて自分のことを悟って、慟哭もしなければならない。

簡単な抜粋ですが…😓

あの時のことを思うと、今も、後悔や悲しみがふつふつと沸いてきます。

ここでは話せませんが、数年経ち、その友人と離れて、大きく感謝すべき面もあったことに気付きました。

今となっては、その子の本心は知る由もありません。
でも、自分には、その子を誤解させる落ち度が、確かにあったと思います。

自分自身について、もう一度知るために。
自分の心、周りの人の心、様々な問題を神様が解いて下さるように。

今週は、心から、切実に祈ってみようと思います。

今回も、私の稚拙な文章に最後までお付き合い頂き、本当に感謝致します…!



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