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「書けない」とき、何が起こっているのか?

shibatomok913さんの、「書こうと思っていることほど、なかなか書けないナゾ」という記事を読んで、状況は違うのだけど、私もまったく同じようなタイトルの下書きが、何日も半端なまま置いてあるよなあと苦笑した。こんなの↓

「自分にとって大切なことほど書けない?」
「書けないにも種類がある」

なので、今日はそのうちのひとつを書き終えようと思う。

「自分にとって大切なことほど書けない?」改め、「書けないとき、何が起こっているのか?」

書きかけて途中でやめるとき

こんな気ままな毎日のnoteだけど、書き上げられないままevernoteに残っている下書きが大量にある。今数えたら51あった。今日これを投稿すれば50に減る(笑)

下書きと言っても状態はバラバラで、すぐUPできるくらいほぼ書き終えているものもあれば、途中で書きたい気分じゃなくなってぷつっと終わっているもの、単に数行のメモレベルのもの、それ以外の理由で書き終えていないものなど、さまざまだ。

一番多いのは、あるテーマやことがらについて、「書きたい」と思って書き出したものの、

「今の気力だとたたかえない(書き切れない)」
「自分の文章力だと、ものすごい時間がかかる」

と思い、断念しているケース。

noteは、締め切りがあるわけじゃないし、誰かに急かされるわけじゃない。自分で勝手に書きたくて書いているわけだから、断念するのは容易だ。誰も止めない。

だから、「書きたい」気持ちと、「書こう」という気力と、時間がどれだけかかってもいいという覚悟が、心の障壁や甘えを超えないと、なかなか書き切ることができない。

そこまで大げさなことじゃなくても、noteをアップしようとしたときに「書くことが思い浮かばない」状態になることも多い。これは、正確にいうと「何もない」わけではなく、書きたいことは列になって並んでいるんだけど、パワー的に書けない状態だ。

そこで今日は、その「書けない」状態を、もう少し詳しく分析してみようと思う。書きかけたことを途中でやめるときには、大きくわけると5つの状態がある。


1)気まぐれ

「〇〇について書こう」と思って書き始めたけど、なんか今日はそんな気分じゃなくなってきたとか、これをUPするのは今のタイミングじゃないという感じがしてきて、やめる。

今、noteの投稿時間を、毎日19時前後に設定している。その時間が近づいてきてるのに気まぐれ状態になってしまうと焦る。下書きがあるとはいえ、体力がなくて挫折したものばかりだから、その状態からだと挽回できない大物のテーマが多い。

<こうなったときの対処法>
こんな状態のときに他の人のnoteを見ると、とくにおもしろい記事などを読んでしまうと、余計に焦るので逆効果。自分の過去のブログなどを見返して、そこからネタをさがしたりヒントを得たりして、今の、持ち時間と体力と気力で書けそうなものを書く。ハラハラする。だが、そういう「間に合わせ」のときの方が、意外とたくさんスキをもらったりするからおもしろい。


2)情報提供への抵抗感

名前を名乗ってWEB上に何かを書き残すからには、「自分の専門性を発揮して誰かの役に立つ情報を提供する」ことが一番適していると思っている。ただ何かを呟きたいだけならば、匿名でいいのだから。

自分の専門分野などの他の人に役立ちそうな内容を、「わかりやすくまとめて」提供することが、きっと本来自分が「すべき」ことで、自分にとっても読んでくれる人にとっても、一番有益なのではないかとも思っている。

だけど、今は、なぜかそこに、自分の「書きたい」が向かわない。だから「こういうことを書いておいたほうがいいな」とあれこれ思いつきはするのだが、筆(指)が進まない。今は長期休暇モードに入っていて、仕事をいったん脇に置いて、自分が本当にしたいことを見つめている時期でもあるから余計にだろう。

<対処法というか、現状どう考えているか>
そこまでやりたいと思わないことを「がんばって」やるのはよろしくない(やりたいことはどれだけでも頑張ってやったらいい)。noteに限って言えば、今の自分のスタンスは、ビジネスのためではなく純粋に一個人として「書く」ことを生活の一部に組み込むためにやっているから、情報提供をしようとすると、エネルギーの方向がずれるのだろう。

なので、情報提供をするのであれば、noteでなく自社のWEBサイトでやるか、ビジネスアカウントを別でnoteにつくって、分けてやらないと成立しないように、今は思っている(この先コロっと変わるかもしれない)。


3)見栄を張ってしまう

読んで印象に残った本とか、自分にとって重要な学びをしたときは、ぜひ文章に残しておきたいと思う。貴重な学びを他の人とシェアしたいと思う。だけど、書き始めると、自分にはそれについての知識や理解が十分じゃないと怖気づく。他者から「こんな程度しか知らないのか」と思われることを恐れて、途中で書くのをやめてしまう。最近多いのは、文学と宗教に関すること。結構学んでいるのに、書けない。

こうなると「記録に残したい」と「どう思われるか怖い」という2つの気持ちが葛藤しながら書き進めることになるので、結果的に、かっこつけた文章か、はりぼてやつぎはぎの文章になってしまうことが多い。まあ、備忘録としてUPすることにも意味があるとは思うので、それでもいいのだが。

<こうなったときの対処法>
これに関しては、書こうとする内容に対しての理解をもっと深める努力をするとともに、書きながらその都度、見栄を張ろうとする自分に気づいて、その見栄を張ろうとした文章を削除したり直したりして、と手を打っていくしかない。ここはかなり改善が望まれるところ。がんばれ、私。


4)逃げる、へこたれる

3)とも似ているんだけど、今書くべきことだ、今書きたい、と自分で思っているにも関わらず、大きすぎる山を目の前にして引き返したくなったり、書いたとしても言葉がペラペラすぎて「こんな程度しか書けないことにいやになっちゃう」と勝手にスネたり、目のまえの壁にひるんで立ち止まり、書くことを先延ばしにしたり、ということがまあまあ多い。

<こうなったときの対処法>
おそらく「書こう」と思っているなんらかの「かたまり」が大きすぎるのが原因なので、こういうときはいったんそれに関することを何でもいいから紙にだーっと書き出してみて、少しずつ部分を切り出して、その部分についてだけ書くということが有効だと考えている。いきなり長編小説を書けないのと一緒だ。短編だって、短いから書けるというわけじゃない。それはそれで違う難しさがある。まずはワンシーンを書くところから始めるということだ。

もしくは「書きたい!」の気持ちが「逃げたい」を超えるまで、寝かせておく。でも本当は、ここを毎日しっかりやっていかないと、書くが深まっていかないというか、ずっと平地をぐるぐる歩いてるようなものになってしまうと思っている。1日に1歩でもいいから、ぐっと踏み込んで、昨日までは見られなかった景色を見てみたい。筋トレだって、同じ重さでずっとやってるんじゃなくて、徐々に負荷をあげていくはずだ。ここはnoteを続けることで、ちゃんと鍛えていきたいところだ。負荷のあげかたについては今度また詳しく。


5)大事なこと過ぎてナイーブになってしまう

「自分にとって大切なものほど書けない」と題をつけた下書きが、1か月以上前から、眠っていた。今書いているこの投稿だ。
これは昔から思っていて、理由はたくさんある。

「微妙な感じがなかなか言葉になりにくい」
「大事だから雑に扱いたくない」
「途中でじゃまなものがいろいろ出てくる」
「こんなもんじゃないと思ってしまう」
「言葉での表現が薄すぎて、大事さを表現できている気がしない」
「大事なものを人前に出したときの反応がこわい」

特に、人の反応はやっぱり怖い。書いてUPしたときに、スルーされることも、否定されることも、軽く扱われることも、何か反応があってそれに左右されてしまうことも、全部怖い。だったら自分しか見ないノートに書いとけばという話なのだが、誰かにというんではなく、外に向けて見せたいという欲求があると思うのだ。大事なことほど。

あと、大事なことは、どれだけ書いたとしても「そんなもんじゃない」とつきつけられる。書き切れないから、めためたに打ちのめされる。大事に思っているがゆえに、残酷なほど、「自分の書けなさ」をつきつけてくる。だから余計に書けないのだなと思っている。

これまで80何日間か、noteに書いてきたことが、大事じゃないというわけではない。やっと書けるようになって書いた、というのもいくつかあるし、ほんとにピロピロっと書いたものもある。そして、読んでくれる人の反応は、自分のかけた時間やそこに込めた思いとは、そんなに相関しないこともなんとなくわかってきた。

「駄文なんていくら書いてもしょうがない」、「書きたいものを書くんじゃなくて、読まれるものを書くべし」ということもよく言われている。文章は読み手のために書く。1000%、そう思う。

だけど、いちばん最初にその文章を読むのは、いつも自分だ。まずはその自分の大事なものを、言葉にしてあげたい、と思うのは単なる自己満足だろうか?

そうじゃなかったら、こんな風に時間をかけて、お金にならないものを、書き続ける理由はないような気がしている。書き続ける理由といえば、自分を癒し、満たすためでないのか?

まあ、これは個々人の書くスタンスなので、一概に言えることではない。そもそもの「書く目的」や、そのなかでの「noteに書く目的」をどこに置いているかで、十人十色、まったく違ってくるだろう。

<最近とっている対策>
5)に限らないけど、朝いちばんの元気な時間帯に、下書きを片っ端から見直していって、書けるところだけ部分的に書き足していく。完成は目指さない。気が向いたときに、ジグソーパズルのピースを、置けるところに置く感じだ。

で、夕方、noteをUPする前に、ある程度内容が揃っていそうな記事を、1つのまとまりや流れができるように書き直す。朝、素材の下ごしらえをしておいて、夕方料理をする感じ。

ただ現状、箇条書きの羅列みたいなものが多いので、料理するには時間がかかる。なので、書き直せるものがなさそうなときは、完全にゼロから、そのときの気分やノリで書くことも多い。ということであまり対策になっていないのだ・・・むむむ。


最後に

なんかちょっと暑苦しい投稿になってしまったが、いずれにしても「書けない」に陥ったときに、自分の中で何が起こっているかを把握しておけば、その起こっていることに対しての手の打ちようはあるのではないか。

一歩でも前へ。一文字でも書き、一文字でも削る。

これは修士論文が進まなくなったときにとった戦法だ。

次回は、このような「書けない」時間も、実は「書く時間」の大切な一部である、ということについて書こうと思う。下書きはあるのですよ。。。下書きは。

5/28追記:続編を書きました。


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