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核家族に限界を感じた話

正直、すべて終わりにしたかった。

度重なる家事と育児と仕事。

職場の雰囲気、人間関係は入った時点で最悪だった。
過去一よくない場所に来てしまったと思った。

家事は単純作業の繰り返しなのにそれを行う心がなぜこんなにもしんどいのか。

子どものわがまま、気に入らなければ泣き叫ぶ。
年齢特有のものだとしても辛かった。

朝は急かして怒って連れて行く。

それは時間に余裕がないから、

心にも余裕がない。

子どもの風邪で頭を下げて休み、

熱が下がり探り探りで園に預ける。

いつ電話が来るやもしれないと内心ヒヤヒヤしながら仕事をして、

休んでいたことに陰口を叩かれ、

毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
早く帰れていいですねという嫌味を受けて、

採用時わかりきっていた事だろうに。

でも、私は賃金に合わないような頑張りを続けて。

常に全力でやっていると
どんどん仕事が増えてきて。

いつの日か
あれはいいように使えばいいという言葉が聞こえてきた。


まず食欲がなくなった。

次第に毎日頭痛に襲われるようになった。

その次は吐き気と嘔吐が出てきた。

家事育児にも満足に手を付けられなくなり、

無気力で壁を背に座っているようになった。

部屋は荒れていた。

食卓を囲む子どもと夫の姿がとても遠くに見えた。

ちゃんと寝ているのに満足に眠れなくなった。

この寝不足で日中の頭痛はよりひどくなった。

子どもと旦那の存在が苦痛に感じた。

声も、生活音もすべてが耳障りに感じた。

そして頭の中で自力で最期を迎えるイメージが何度も流れるようになった。

そうするべきなんだろう。と素直に思っていた。

すべてがうまく回らなくなっていた。

いつの間にか夫に

一緒に逝こう
それが叶わないなら離婚してくれ
最期に誰にも迷惑をかけたくない

と何度も言っていた。

でも、彼はいつでも泰然自若だった。

それが苦痛だったけど、助けられた。

最期の防波堤だった。

職を辞して生き延びた。

考えなければいけないことはある。

悩まなければいけないこともある。

やらなきゃいけないこともある。

でも、今は家族との時間を大切にできる。

これからはそういう選択をしていく。




核家族の限界



今では昔のお話。



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