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「伝えるやさしさ」と「伝えないやさしさ」


友達が落ち込んでいるとき
家族が泣いているとき
好きな人が悩んでいるとき


多分、言葉をかけたくなると思う。

「どうしたの?」
「だいじょうぶ?」
「私でよかったら話聞くよ」

その気持ちは相手を想ってのことで、


元気になってほしい
笑ってほしいなど

幸せになってほしいという想いが込められている。


それってすごく素敵なことだと思う。
自分ではない誰かのことを自分なりに考えて伝えようとしているんだから。

でも、

伝えるときと
伝えない方がいいときがあると思っている。


私が基準にしているのは、
「相手が日常生活を送れているのか、困難なのか」


これを基準にして
伝えるのか
やめておくのか決める。


例えば、
友達が風邪を引いて布団から出られない状態。

私は時間を置いてから連絡をする。

布団から出られないということは、
きっとご飯もまともに食べられないだろうし
スマホを眺めるのも苦痛かもしれない。

なにより、連絡するのは自分だけじゃない可能性があるから。

友達の家族だったり、職場だったり、
恋人だったりと。

それぞれが心配してメッセージを送る可能性もあるから、自分は落ち着いてからの方がいいなと思って後日メッセージを送る。


本当は心配だから連絡したいし、
だいじょうぶという言葉を聞きたい。

でもこれって、
自分が不安だから送りたいわけであって、
相手目線ではないなと思った。


自分の不安を解消したいから送るんじゃなくて
きっと今、相手はツラいだろうから
後日メッセージを送る。


送りたい気持ちを、ぐっ、と我慢することも
相手への気づかいであり、やさしさじゃないかなと思う。


伝えるやさしさもあれば、
伝えず見守るやさしさも必要なときもあるなと。



遠く離れていたら難しいかもしれないけど、
そのときは、

「落ち着いたら連絡してね」
「また改めて送らせてね」

一言だけ送るのもいいかもしれない。


我慢というと、
まるで修行をしているように思えるけど、

「相手を想う」

って、きっと一歩さがることなのかもしれない。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました🌸







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