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二つの手から託された私。

 祖父母のお見舞いへ。私自身も体調が良くなく車椅子に乗って……

私の病気を知らないまま天寿を全うしてほしいと思っていたけれど、生きているうちにと個別に握手会をしてきた。

 祖母は病気のことは聞いていたようだけれど、車椅子に乗っていることには気づかず。私を母と勘違いした程度で

「小さい頃は可愛くてねえ」

と言われたから、思わず

「今は? 今は?」

って何度も聞き返しちゃったよ😂(笑)昔の話になった時に、幼稚園時代に早く帰った日は祖母のおにぎり🍙をいつも食べていたから、そのお礼を伝えた。

「おかげで大きくなったよ」と。

祖母の手は私の柔な手よりも分厚く、できたてのお餅を熱いままちぎっていただけのことはあると感じた、しっかりとした手だった。


 祖父は寝ていたのだけれど、ふと

「じいちゃんって福耳やったんやなあ。
 髭もきちんと剃ってくれてるわ~」

と触っていたら目を覚ました。(ごめん🙏💦起こすつもりはなかったんやけど……あまりにも立派だったもので🙇やからって触る自分が謎すぎる😂)

最初はぼんやりとしていたその目も、今では白濁としていたけれど、しばらくするうちに昔から鋭かった勘や認識が徐々に覚醒していくのが見ていてわかった。


 親類からは声を出す姿をもう何ヵ月も見たことがないと聞いていたけれど、私が無理に起こしたというのに咳き込みながらも必死で何かを伝えようとしてくれた。

なのに祖父が訴えていた思いをちゃんと聞き取ってあげられたのか自信がなくて、泣きそうになるほど歯がゆさを感じた。

その姿が発声しづらくなった時や、息切れで意識朦朧となる時の自分と重なって見えたからかもしれない。でも、もしかしたら祖父も祖父で、私の病気については一切聞かされていなくても勘づいていたのかもしれない。

そのくらい祖父は観察眼に長けた人なのだ。

だからこそ

「じいちゃんの思いは
 目からも伝わってくるよ。
 やから無理せんでええで」

と何度も伝えても、上顎や舌の裏に口内炎が出来て痛そうな中、祖父は必死で言葉にならない声を発していた。見かねた父が止めるほど。(最後は保育士で鍛えたぽんぽんで寝かしつけた🤫)

祖父が訴えたかったことをどれほど受け取れたのかはわからない。

その時は「孫だとわかってるよ」と伝えたがっているのかな? と捉えていたけれど、もしかしたら私が祖父を励ましたい気持ちと同じように、祖父は祖父なりに私を励まそうとしてくれたのかもしれない。

骨太だった祖父の身体は今や私と変わらないくらい痩せ細っていて、家族に「元気だった頃を知っている分、実際に見たらショックを受けるかもしれない」と心配されたりもしたけれど、握手したその手の力強さは私よりもずっと今を懸命に生きていることがひしひしと伝わってきた。

これはあくまでも直感だけれど、祖父は周りが思っている以上に色々とわかっているんだろうなとも感じた。視力も落ちているから目での会話ももう難しいけれど、ちゃんと意思を持った鋭い眼光をしていたから。

まだまだ生きてやるぞ! というバイタリティを持ち合わせているからこそ、きっと苦しいんだということも。

ああ、それがあの声だったのか。

声を上げることで甘ったれた私に活を入れてくれたんだね。祖父はぼそっと嫌味を言うこともあるけれど、我慢強さや不器用な優しさも持ち合わせた人なのだ。(そういや、晩ごはんにカツオ活を食べたな🐟️)

そして、これは祖父母ともだけれど、顔や体の皺や染みは長年生き抜いた証で、まだまだ伸びる髪や眉毛や鼻毛や爪は今を生きている証だとも。(みんな眉毛と鼻毛はよく伸びるよね😅髭はちょうど剃ってくれたばかりだった模様。)

そして、その祖父の手は義理の親子だから血の繋がりはないのに、性格が一番似ているという母の爪の形とそっくりだった。不思議なこともあるものだ。

 温度も形も分厚さも全く違う祖父母の手。



似ているから衝突することも、似ていないから振り回されることもあったけれど、その手から受け継がれて私は今、ここにいる。


だから、祖父母孝行・親孝行は
もちろんのこと、自分のためにも
もう少し強く根を張って生きていこう。



ほどよく強くなりたい
かつ🐟️ちょっと追記した
一休さんより

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