初めての凪良ゆうさん
こんばんは。
12月ももう下旬となりましたね。
今回は本のお話です。
ついについに凪良ゆうさんの本を読みました。
一作目はポプラ文庫さんの「わたしの美しい庭」です。
屋上に断ち物の神様を祀った神社のある「縁切りマンション」。
そのマンションに縁のある人々で章ごとに視点を変えつつ綴られます。
6章それぞれで、少しずつ異なる苦しみを抱えた人々が過去とともに未来へ向かっていく話の流れが読みやすく、あっという間に読了しました。
血のつながっていない家族である百音と統理。
屋台バーを営むゲイの路有。
年齢による周りからのプレッシャーに苦しむ桃子。
家族の形、愛の形は人によるということを教えてくれる恋愛小説はたくさんあるけれど、ここまで一冊の中で多様な形を表現し、かつ恋愛小説としてくくるのではなく、人生と心の機微に焦点を置いている話はなかなかないと思います。
人々は別れと出会いを繰り返し、辛い思いを抱える人がたくさん出てきます。それなのに、この人こそが「悪者」だという人がいないことが特徴的だなと思います。主人公の視点からしたら浮気をしたり、別れを告げたりした人が悪であると思ってしまうのですが、別の視点から見ると、その人の浮気や別れの決断は仕方のないことだと慰めてしまうんだと思います。
そんなままならない気持ちと繋がりに悲しくなりつつ、けれど最後には前を踏み出そうとする背中を支えてくれる言葉の数々に救われました。
そして、最初に「一作目」とつけたことからお察しだと思いますが、
凪良ゆうさん二作目「流浪の月」読み終わりました。
休日に朝から夕方までご飯読書ご飯読書をしていたら、読み終わってました。
これが本屋大賞の筆力かぁと納得の話。
でも感想が非常に書きづらい。
私が購入した時には単行本の帯に「実写映画化決定!」と書いてあったのですが、この話を読んだうえで映画化しようと思ったことにすごいと思います。
重く深く、ページをめくる手が震えるような物語。
小学生の更紗と大学生の文の話。関係性も出会いも互いの存在も何を書いても正しく書ける自信がない。
彼らにとってお互いの存在は「救いの象徴」なんだと思う。
でもそれはお互いにしかわからず、当人にしか理解できない世界なのだろう。
私たちは更紗の視点で話を追っているから「なぜ周りの人間は理解できないのか」「なぜ話をちゃんと聞いてあげないのか」「どうして幸せを邪魔するのか」と怒りが湧いてくる。
でも、きっとまったく関係のない人間で、適当にニュースを見ていてこの事件が流れたら真逆の発言をしているのだろう。
もしも親戚の子が同じようなことになっていたら、不安で彼女の思いよりも自分の不安を取り除くために、どう保護するかばかりを考えるのだろう。
そうなる自分が想像できるから、事実を知っている人と知らない人のギャップにただただ苦しくなる。
これは彼女たちにとってはハッピーエンドなんだと思う。
それでも、事実を知った読者である私は、もっと幸せになれたのではとか、もっと幸せにしてあげたかったとか思ってしまう。
こんな感情を本を読みながら抱くのはなかなかできない経験です。
これが凪良ゆうさんかと震えが止まらないです。
原作至上主義ですが、別に全ての実写化に反対しているわけではないです。
ただこの文の人生と更紗の人生を、実際に経験したのではない人間が演技できるわけないと思ってしまうのです。
でも見てない輩が文句を言うのは全ての関係者の方に失礼なので、文句を言った以上見に行きます。良い点悪い点はその後にまとめたいです。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
私は読書好きな方とたくさん繋がっていただけているので、すでに読んでいらっしゃる方も多いと思います。ようやく追いつけました。
また、読書の話をするときには気軽に遊びに来てください。