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命ある花・枯れゆく花をデザインする


1.序章


「すぐ枯れるから……」

それが気になって、
花を買い控えたことはありますか?

「誰かにプレゼントを買うとき」
「部屋を華やかにしたいと思ったとき」

そして、こんな意見も。

「花は(切らずに)自然の姿を楽しみたい」
「花を切ったら、早く枯れてしまうから可哀想」
「自然の花を作為的にアレンジす抵抗がある」

花を学びながら、花の仕事をしながら、
必ずついて回る声の数々。

だから、花をデザインして飾ることの意味
考えることがある。

この記事では、命ある花への様々な考え方に対して、
なぜ、花をデザインするのか?
デザインした花を、どのように鑑賞するのか?
個人的に感じていることを、共有させて頂きたいと思います。
最後に、枯れゆく花をも魅力的に飾るアイデアをご紹介します。

その前に、
日本を拠点に活躍するフラワーアーティストの
命ある花への考え方にも触れてみようと思います。

2. 命ある花への考え方
(日本で活躍するフラワーアーティスト二人)

①ニコライ・バーグマン Nicolai bergmann

デンマーク コペンハーゲン出身
北欧スタイルを活かしたヨーロッパのフラワーデザインと、
日本の細部にこだわる感性や職人技が一つに融合されたスタイルが特徴。
香水、ファッション、音楽など様々なコラボレーションなど幅広く展開。

代表的なフラワーギフト商品「フラワーボックス」は、
黒い箱の中に花(生花・ プリザーブドフラワー)を敷きつめたスタイル。
多色使いながら、どこか優しくスモーキーな印象もあり、
モダンスタイルのインテリアに自然な華を添えてくれそうな
スタイリッシュなデザインです。

参照HP(2022年5月20日)https://www.nicolaibergmann.com/locations/flagship-store/

【お店の紹介】
ニコライ バーグマン フラワーズ & デザイン フラッグシップストア

南青山(本店)のお店には、何度か行ったことがあります。
フラワーショップには、カフェやスクールが併設され、
無機質なコンクリートで囲まれた広々とした空間に、
生花や自然が感じられるディスプレイが飾られています。
カフェは、自然光に融け合う照明、キャンドル、BGM、
アートのオブジェがあって、北欧らしい雰囲気が漂います。
お洒落なブティックのようで、
日本人好みの心和む雰囲気も共存しています。

ニコライ・バーグマンさんの著書の中で印象的だった言葉

「自分の好きな花は、季節やその時の気持ちで
変わっていいと思っています。人間も花も、日々、変化しています。
いきものが、いきものらしく、そのときの心で感じる花を選び、
手で触れる。
そうすれば、花というギフトに心がこもることでしょう。」

自宅のインテリアに花を飾る際は、次のように語っています。

「花のつぼみを楽しみ、最高のクライマックスを眺める。
そのあとすこしずつ元気をなくし花びらが散っても、水を替え、
世話をして、そのまま飾っておく。
こうすればさまざまな姿や変化を味わえます

著:ニコライ・バーグマン 花と幸せを運ぶ日常 2013年 株式会社かんき出版

好きな花は、そのときの自分の心に聞く。
自然の流れの中で、自分の心、花の命の変化をありのまま味わい、
変化そのものを積極的に楽しむ柔軟な姿勢は、
ニコライさんの人生観までも表しているように思いました。

②東信 (あずま・まこと)

21歳のとき花屋のアルバイトから独学で知識や技術を身につけて、
その後、独立して花屋を立ち上げ、国内外でアーティストとして活動。
2008年には「東信、花樹研究所」を立ち上げ、
花や植物の神秘性に注目して、その存在価値を高める活動を展開。
2021年NHK紅白歌合戦のメインステージの装飾、
「虹」を歌ったゆずの衣装の花もプロデュース。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/東信_(フラワーアーティスト) 2022年5月18日

【お店の紹介】
JARDINS des FLEURS ジャルダン・デ・フルール(南青山)

(店名はフランス語で「花の庭」の意)
花を一輪も置かずに注文にあわせて花を仕入れ、
お客様の想い(色や種類、目的、シーンなど多様なイメージ)を形にする
オートクチュールの花束を販売しています。

余った花を無駄にしないという考えから生まれた
「ボトルフラワー」という商品は、水を入れた瓶に花が詰められ、
鮮やかな花、花色~徐々に色が水に移り、
朽ちていく自然の姿が鑑賞できます。

参照HP(2022年5月18日)http://jardinsdesfleurs.com/

東信さんの著書では、
100人のお客さまのストーリーに応じてデザインされた花束が
写真付きで紹介されています。
(著:東信 花のない花屋 2017年 朝日新聞出版)

まるでカウンセラーに打ち明けるような
深い想いを託されて表現したデザインは、
花屋さんでもあまり見かけない珍しい植物を使っているものも多く、
それぞれ違うデザインながらも、色彩も形も斬新で存在感があって、
心に迫ってくるようです。

花、植物に配慮しながら、
お客様のリクエストに真摯に寄り添う姿勢を感じます。

著書の解説の中で印象的だった言葉
「人生の様々なシーンで常に花という存在は身近にあります。
私の仕事の原点はそういった贈り手の気持ちを花に束ねることです。
花はただのモノではなく、生き物。いわば、殺して生かした命を
贈っています。」
そして、お店の販売スタイルとしては、
「古い花から売ったり、余ったものを捨てたりすることがないように
お店に花の在庫を置くことはやめました」と語っています。

著:東信 花のない花屋 2017年 朝日新聞出版

花の命を尊ぶ心、それゆえに花を活かそうという姿勢は、
日本の花文化、いけばなの根本義にも通じるところがありますね。

日本では、多くのフラワーアーティストやデザイナーが
フラワーショップを経営していますが、
その理念の多くは、「生きものとしての花や自然を大切にする」
「花農家さんや地域とのつながりを大切にする」
「人(贈り手、贈る相手)の心が豊かになる」ことに
重きがおかれているように思います。

3. 花に求めるもの(日本とヨーロッパの違い)

日本もヨーロッパも
花の命を大切にしてデザインするという基本はありますが、
花に求めるもの(人々のニーズ・お店の販売スタイル)は、
少し異なるように思います。
それは、街を歩きながら、フラワーショップを見学しながら、
個人的に感じたことです。
ヨーロッパ(英国・フランスなど)では、
アーティストさんの美学、独自のスタイルがあって、
デザインに重きをおいているお店が多いように思いました。
花を買う側も、多様なスタイルの中から、
自分の好きな花屋さんを見つけて、花を買うというイメージです。
そのスタイルは、土地の自然観、生活感なども絡みあい、
アーティストの個性とブレンドされ、ブランド化されています。

 日本(特に大手の花屋さん)では、お客様の好みに寄り添うような
販売スタイルが多いように思います。
花が人々の日常生活の延長線上にあるというよりは、
花を買うのは、お祝い、ギフト、イベントなど
特別なシーンに結びつくことが多い。
ギフトでも、花よりもスイーツの方がお手軽
という方もいるのではないでしょうか。
そのため、日本のマーケットに受け入れやすい販売スタイル
(価格、用途、デザイン)に配慮されているように思います。
最近は、生活スタイルの変化(家時間が増えたこと)から、
花に興味を持つ人も増えてきて、
少額からの花の定期便サービスも人気になっています。

また同時に、花の素晴らしさをより多くの人々に知っていただくための
新たな試み、活動も広がっています。

4. 花とは?を考える


花はきれい、癒される、儚さがある……。
花が好きと言っても、その感覚は人それぞれかもしれません。

生きている花の表情はそれぞれだから、
ひと言で表そうとすると、とても難しいですね。

個人的には「花はロマン」
ロマンとは……(理想主義のようですが)
「愛のある幸せ」と、ここでは定義します。

例えば
花は好き、観るのは大好きだけど……
「(花はすぐ枯れてしまうから)買わない」

その本音は、
「買うほどの価値を感じてない or なくても困らない」
と、思っているから。

当然のことながら、
「自分のため(利益)になるか」が大切だし、

好みだって人それぞれ(花が特別好きか、そうでもないか)
お財布事情もある(生活に必要なモノが優先される)
花より優先すべきことで忙しいかもしれない(今回はたまたまかも)

または、
他にもっと自分の欲求を満たすことがあるかもしれない。

それは、自分が持つ(消化する)ことが前提の
スイーツ(食欲を満たす)
モノ(物欲を満たす)
ヒト(承認欲を満たす)等……

花は、自分が持てるものじゃなくて、いずれ枯れてしまう。
(プレゼントする、飾るなら別ですが)
花を慈しむ心の余裕がなければ、
お手入れも必要、お金も一瞬で消えていくようで、
その価値を感じにくいかもしれません。

いずれ枯れると分かっていても、
立ち止まって、その命に感謝するように。

「花が持つ命の輝き(魅力)を慈しむ」

花は人々に、様々な欲求の先にある、少し現実離れしたような
ロマン(愛のある幸せ)に気づかせてくれる魅力があります。
だから、命ある花でしか表現できないものもあると思います。

5. 命ある花と向きあうまで

実は私も、花を枯らしてしまうのが嫌で、
生花を扱うことから、心が離れてしまうことがありました。

20歳の成人を機にフラワーアレンジメントを習い始め、
その後、花の仕事を経験して感じたことは
フラワーデザインは芸術分野の一つでも
生き物を扱うということで、大きく違うこと。

当時、フラワースクールには、会社帰りに行っていたこともあり、
帰宅後は疲れ切って、花のメンテナンスを怠ることも度々。
アレンジした花を玄関においたまま母にお任せしてしまうことも。
花をゆっくり味わうこともなく、睡眠欲が優先されていました。

だぶん、心に余裕がなかったのだと思います。

また、ホテルのフラワーショップで働いていた時も
生花を扱う大変さを痛感したことがありました。

花は生き物だから(それゆえに)
デザインするにも、直前に一気に仕上げなくてはいけない。
(ウェディングや空間装飾などは特に、時間制約があり、体力も必要)
花材も、同じ品種でさえ、色味や大きさ、品質や価格が
仕入れるまで分からないことも。
花を枯らしてしまえば、お金を捨てることになるし、
枯れやすい花は使えず、理想のデザインができなかったりする。

その時は、宴会やウェディング装花も手掛けていましたが
前日は、終電になってしまうほど遅くまで働き、体力的にもハード。
ホテルの全部屋に一斉に花を飾る作業では、
時間制限の中で駆けまわり、まるでジムのトレーニングのようでした。
下働きだけに、機械的に作業をこなしていくことも多くて、

「自分にこの仕事が向いているのか?」と、自問自答の日々。

ホテルの仕事は2年間の修行のつもりで働いていたので、
その後、スクール講師なども並行しながら
単発のレッスンを開催したり、フリーに向けて準備していました。

でも、そこでも、
小さく始めればよいというものでもなく、
花は束(ロット)で購入するから、
花の在庫、デザイン変更の融通もつけにくいうえ、
(花の価格やデザインが不確実な状態で)
先にお金を預かることに、様々な難しさを感じました。

「お金以上の価値を感じてもらえたか?」という部分が
曖昧に思えることが多かったのです。

そして他の業種でフリーで活動をしている方々などに
様々な意見を伺ったりしました。

当然、どこに行っても「~(職業・肩書)になるために」の優先度が高く、
その目的を達成する必要がありました。

一方で、「~になる」よりも大切にしたいことを高めようとすると、
私の場合、それがトレードオフの関係になってしまい、先に進まない。

結局、他の人の意見を聞くことで、
個人の目的達成には競いあいも同じくらい必要だと痛感。
社会の中で、自分のズレているところ(弱点)にも気づいたのです。
それでも、変えられない価値観は、むしろ独自なものとして反転させて、
得意なこととあわせて発信することにしました。

実際、花以外にも幅広く表現することに興味があったので、
他の方向性も想定して、学んだり、体験したり……。
そんな中、行く先々で、花はいつも近くに存在していました。

生花に限らず、もともと関心のある芸術分野には、
必ずといっていいほど、花が大きな存在価値をもっていたのです。

「本当に心動かされるもの」
それを何度も、花が教えてくれているように感じて

それが「人の幸せ」だった
と、気づいてからは、霧が晴れたようにスッキリしました。

それからは、生花に限らず、花がもたらす幸せ(感動)を、
リアルに感じられるような表現やアイデアを提供したり、
その魅力を人の感動につなげていく活動をしていきたいと
考えるようになりました。

生花を扱う仕事といっても様々です。
花を大切に育て、世話をすることが好きなら
花を生産する花農家さんにやりがいを持てるかもしれません。

他にも
花市場の卸、仲卸の仕事
フラワーショップの経営、スタッフ
フラワー教室、講師
フラワーデザイナー、アーティスト
(個人で活動しながらショップや教室を経営することも多い)

また、花は花でも、それぞれ専門があって
小さなブーケや花束~空間を彩る大きな装飾まで
販売スタイルもネット~店頭販売まであります。

花の仕事は、全てを一人で行うのが難しいことが多く、
多様な役割の総力によって、命ある花を、
様々なニーズを持つ多くの人々に提供しています。

6. 花は人の心にロマンを灯す


花も人も、自然の中で共存しています。
もっと言うと、「人の心も自然の一部」と思うことがあります。

自然と触れあうことで、リラックスできて、心癒される一方で、
時として、災害によって命を脅かされることもある。
人の心も同じように、心の交流によって、癒されたり、喜びが生まれたり
時に、傷つけられ、存在価値を脅かされることもあります。

そして、その心は個人の自由だから、
自然の流れのように、人の心も、
コントロールが難しくて捉えどころがありません。

だから、
「ロマン」(愛のある幸せ)
は理想で、現実逃避だと片づけられることがある。

一方で、表面から見える幸せばかりに、意識が向けられることもある。
それは現実逃避ではないのか?そんな疑問も残ります。

心も含めて全体を見ないと分からない本質も、
表面に見えるものだけで判断したり、そのような幸せを追い求めたり、
表面に見える部分だけで心まで評価したり……。
その行き違いが増幅すれば、手の付けられない問題や責任が
曖昧なまま、「社会とはそういうもの」として片づけられる。

実際は、場の空気、社会、時代が変わっていくのも
目に見える姿形が変わる以前に、
人の心が存在し、それを作り出している。

それは、プラスの連鎖となることもありますが、
(現実を無視した逃避の先は)時に、
マイナスの連鎖となって、人と人の軋轢、環境汚染など、
自然の姿を、苦しい現実に変えてしまうことさえあります。

そんな社会の曖昧さとは一線を画して
花は(社会(人の心)がどのように流れようと)
その個性を輝かせるように咲いている。

自分の心の中の真実に目を向けさせてくれます。

「ロマン(愛のある幸せ)はここにある」と。
希望を持つことを後押ししてくれるように、
人の心を癒したり、元気づけてくれます。

「自然に咲く花を摘み取って飾るのは可哀想」
という声も多く聞きます。
確かに、自然に咲く花を作為的に摘み取るようで、
抵抗があるかもしれません。

一方で、次のように考えることもできます。
人の心が花の存在価値を決めている

花を飾ることは長い歴史があります。
古代エジプト時代の遺跡などにもその痕跡が残されていて、
日本でも室町時代には、生け花や茶室に飾る茶花の形式で親しまれ
形を変えながらも、花を飾る習慣を続けてきました。

そして、いつの時代も、
花の命に配慮するという姿勢は変わっていません。
生物として、肉や魚、野菜など
人が美味しく味わう食物と同じように思います。

それを食べて、人は命をつなげてきた歴史があり、
その命に感謝していただく。
そうやって、生き延びてきた背景がある。

誰にも見られずに散っていく花は果たして幸せなのか。
花も生物としての価値(魅力)があるのだとしたら、
その魅力を大切に味わうことは、自然なことのように思います。

そして、そのような人の心(幸せを感じること)によって、
花は生かされるのではないでしょうか。

実際、イギリスやフランスの街を歩きながら、
生活の一部として花を楽しんでいる人々の姿に
感動したことがあります。
住宅の窓際に、それぞれの家の建物やインテリアにあった
多彩でユニークなデザインのアレンジメントが
華やかに飾られていたからです。

野に咲く花を鑑賞して感じる
「花に癒される」「花はきれい、かわいい」
それも一つの楽しみ方ですが、

花を飾ることは、
もう一歩、能動的に楽しもうとする心から生まれる。

それは、花を贈るシーンでも同じです。

ニコライさんの著書の中に、次のような言葉がありました。

「ヨーロッパでは花は誘惑の小道具、
花を恋の駆け引きにつかうようなセクシーなテレビCMまであります。
ヨーロッパが好むアプローチと日本が好むアプローチは違うと思いますが、
花を贈りやすい状況がもっとあってもいいのではないでしょうか」

著:ニコライ・バーグマン 2013年 花と幸せを運ぶ日常 株式会社かんき出版

日本では、パートナーに花を贈るというと、
特別なイベントがないと(イベントがあっても)恥ずかしい、
買いづらいと感じることがあるかもしれません。
一方で、心の中で思っていることは変わらないのだとしたら、
それを表現できた方が幸せかもしれないと思うことがあります。
そのような花を贈る習慣が広まったら、
人とのオープンなつながりが生まれて、
心にも良い循環が生まれるのではないでしょうか。

7. ロマンを込めて、枯れゆく花を飾る


命ある花を切花で楽しむときは、その尊さも感じながら、
鑑賞したときに感動が生まれるように
その命の輝きを、デザインすることも求められます。

それは、枯れゆく花でも同じです。
そのありのままの姿を味わうこともできますが、
その命の輝きが尽きるまで、魅力的に飾ることもできます。

最後に、そんな想いを込めてデザインした花をご紹介します。

花にあわせる花瓶の色はブルーを選びました。
命の誕生から終わりまでをも包含する
生きるために必要な自然界の水、海、空、地球の色……
枯れるという現実と、生きることへのロマン」の調和を表現しました。

①元気のない花をドライフラワーにして飾る

首が曲がって硬いつぼみのまま(咲かない)花に出会うことがあります。
花びらが茶色く腐食しかかった花を見かけることもあります。
そんな時はドライフラワーにして、長く楽しむという方法も☘
綺麗に咲くはずだった花。その願いを叶えるように。
ドライとは対照的な、潤いと透明感あるガラスの花瓶をあわせて☘
水色(ライトブルー)なら明るく自然な印象に。
(花材:バラ、ユーカリ、ププレリウム)

②花びらが散ってきた花を絵画のように飾る

(ご参考)土色の器も自然界の色なので、枯れかかった花も自然に馴染みますが
ブルーの器はまた違う味わいになります。
重厚な地球色の壺に絵画のように飾って味わい深く✨
命への希望が感じられます。

8. まとめ


 花は、人の心に純粋な幸せをもたらすような魅力があります。
人や時代の変化をよそに、いつも花は身近に咲いている。
でも、花を見てどう感じるかは、人それぞれで、
その人の心の状態によっても変わります。

 古くから、花と対話するような詩や和歌がありますが、
その多くは、人の心と重ねあわせて表現されています。

平安前期の女流歌人、小野小町の代表的な歌があります。
 「花の色はうつりにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに」

著:大塚英子 2011年 小野小町 笠間書院
(出典:古今和歌集・春歌下・一二三)

この歌の解釈も様々で、諸説ありますが、
個人的には、美しい花が移ろい枯れゆく姿(色)を自分の姿に重ね、
その物悲しい心を(花に打ち明けるかのように)、
花色に喩えることで、自分の心を慰めている歌のように思います。
 
あるがまま、そのままが美しい。
枯れる姿さえ受け入れて、感謝して生きよう。
それも自然の姿。
 
でもそれを宿命と決めつけてしまうことは、
自然なことでしょうか。
枯れゆくなかでも、幸せを求めてロマンを抱く。
それも自然の姿。
 
それは、誰でも心の中に自由に持つことができるもの。
そこから、社会に、心の豊かさがつながっていき、
さまざまな文化が生まれていく。
 
そんな世界が広がっていったなら……
と、願いを込めて。
 
忙しい日常にも、身近に咲く小さな幸せがあります。
命ある花の豊かさに、心かよわせてみませんか☘

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