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妖精王の憂鬱 −その3


 金熊亭の夕げは賑やかしく過ぎていった。忙しなく動き回る給仕の間を縫うように、占い婆が各テーブルに取りつき、占いを勧めたり、守りの咒具(まじないぐ)を売りつけていた。

 大方の出し物を終えたフリセラが、盛台の縁にちょこりと座るファフニンの隣に座る。

 「駄目だね、ハイドランドに向かう冒険者なんてひとりもいないよ」フリセラがため息を吐く。妖精は先ほど与えたハチミツに夢中で、あまり聞いていない様子。

 「て、いうか、王さま!ハイドランドって遙か昔に滅び去った都市だっていうじゃないか。そりゃ、そんなとこ誰も行きゃしないよ。客に笑われたよ!」彼女は頬杖をついて、甘い葡萄酒を煽る。

 「え!」王は固まり、青くなる。いや、見た目は固い黄玉石なのだが。それでも表情が読み取られない石ころで良かったと、この時王は心底思う。

 「で、では、ハイドランドはもう無いのか!?」

 「知らないよ、そんなの。あたしゃ学がないもんでね」フリセラはぶすりとむくれて干し肉をしがむ。「客に笑われたんだからね」もう一度言う。

 「それでは、いまの人間界は誰が治めているのだ?」そう質問するが、フリセラは不機嫌な顔のまま、「知らないよ」そう言い捨てて、席を離れてしまう。

 仕方が無いのでフェフニンに命じて占い婆のもとに飛んでもらう。婆の背中に取り憑くと、王は同じ質問をする。

 「そりゃ、ここは、自由都市だで、治めるだとかいえば、商人だとか船乗りだとか、なにかの組合でないかえ?」

 何一つとして分からない。自由都市?ギルド?人間の政治は複雑でいけない。王は焦る。

 「ええ、…そういうことじゃなくてだな。ハイドランドが無いとして、…ええと、そうだ、ヴェゴの道、ヴェゴの道はどうなっている?」

 婆は首をかしげる。

 「ええい、それじゃあ、アラングレイド、アラングレイドの末裔はどこにいる!」

 瞼に押しつぶされてほどんどみえない婆の瞳が、わずかに明るくなる。

 「アラングレイド。ふむ、竜大戦の英雄アラングレイド。そうですなぁ。」婆は腕を組み考え込む。

 「アラングレイドの子孫なら、レムグレイドですな。ここから南東に海を渡った島々がレムグレイド領ですな。それからタミナはさておき、ここハースハートン大陸も、一応はレムグレイド統治下とされておりますが、まあ、この大陸は、街がそれぞれ独立して成り立っておりますがな。」

 婆は話を続ける。レムグレイドを語る上で欠かせないのが、双頭フラバンジ大陸及びフラバンジ帝国。両国は小競り合いが絶えないが近いうちに大きな戦争になるという噂があるという。それから東にガンガァクス、西にドラゴニア群島、名も無き島々、最南のタイロン大陸、未開の地に未開の部族。ハーフリンク、ウルフェリンク、バードフィンク、巨人族、等々。

 王はようやく思い出していた。人間が短命だということ、国がひとつではないこと、すぐに争い合うこと、国もすぐに滅びること。それから、老人の話は長いということを。

 だが、困ったことになった。ハイドランドが消えたとして、どこを目指せばいいのか。マイナリシア婆のいうことが正しければレムグレイドということになるが、果たして我はそこでどうしろと?王は自問自答する。

 「それはそうと、妖精王様、ハイドランドには何用で?」話が脱線していることに気づいた老婆が問いかける。

 「うむ、それがな…」

 王はもったいぶる。それから尊大に言う。

 「…我も思いだせぬのじゃ。」

 金熊亭の夜は更けていく。



 翌日、王は一応のこと、街へ出てハイドランドへ向かう者がいるかどうかを、探すことにする。ファフニンは渋るかと思ったが、「街を見物がてら、」という言葉に魅了されたようだ。

 滅んだ国との情報なので、そういった場所に出向く輩の相場はいつの時代も決まっていた。盗掘団、ごろつき、野党、罪人、脱走兵。そのような類いの人間達だ。

 そこで王は繁華街ではなく、下町の暗がりやじめじめとした裏路地へ向かうこと妖精に命じた。案の定、従者の妖精は不機嫌になり、散々文句を垂れ流していたが、それでも何とか飛ばせ続けることができた。ところが田舎者の従者は、人間の街ならばどんなところでも物珍しいらしく、次第に文句も減り、機嫌も治っていった。

 通常、裏通りような物騒なところは、人間ならば避けて通るか、通るとしてもかなり用心しなけばならないものなのだが、妖精においてはそういった常識は通用しないのだった。

 というのも、妖精というのは、人間たちの精神状態が豊かであればあるほどに、発見され易くなるもので、逆に、精神が逼迫していたり、目先の利益ばかりを考えている人間には、まったく見えないものなのだ。

 だからこそ、妖精たちにとっては、ある意味、その世界が物騒であればあるほどに、発見される可能性は少なくなるとも謂えた。妖精は、その気になればゴブリンの巣はおろか、オーガや巨人族の耳元を歌いながら飛び去ることも可能なのである。

 「ねぇ見て、王さまぁ。あの人間ずっと口からよだれ垂らしてるよ」「あっち見て、あの人間全身傷だらけだよ」「あそこの家燃えてるのに誰も気づかないのかな」「あ、あの人間なんて目つきが蛇そっくりだよ」「うわー、この川、汚ったなぁい」面白いねぇ。ファフニンは何を見ても楽しい様子で、忙しなく動き回っている。お陰で、裏社会の噂話などは山ほど収集できたが、肝心の情報はまるで掴めはしなかった。

 しかし、はしゃぎすぎたファフニンは、案の定すぐに飛び疲れてしまうのだった。

 それからというもの、王らは野良猫に話をつけて背中に乗せてもらってはいるが、猫という生き物は、往々にして人間の通れない細道や抜け道や屋根の上を好むもの。とてもではないが情報収集どころではない。

 「ねぇ、もう帰ろうよぉ。王さまぁ、お腹へったー。フリセラにハチミツもらいに行こうよぉ。疲れたぁ、この猫くさいー。あ、ごめんねー、うそうそぉ。ねこちゃん怒らないでねぇ」

 日頃から思ったことを口にするやつだが、腹が減るとさらに酷くなる。もはやこんな屋根の上で猫の背に乗っていたとて、成果など望めはしないだろうから、このまま帰っても構わないのだが、こやつの言う通りにしてやると、どちらが従者なのか分からなくなるのが悔しい。王は威厳を保つためだけに、むきになって捜索を続ける。

 そんな矢先、怪しい男を見かける。そいつは二件先の屋根を伝って、北の方角に向かっている。長マントで隠しているが、かなり物騒な装備をしているようだ。

 「おい、ファフ、あいつ何だ?屋根の上で何をやってるんだ?」

 「なんですかねぇ、屋根の修理でもしてるんですかねぇ」悠長にあくびをする従者を叱責して、後を追うように促す。

 はやり妖精は文句を垂れ流しながらも、仕方なしに飛び立つ。



 男は屋根伝いに、軽業師のようになめらかに進んでいく。「あの人間すごい、フリセラみたいに身が軽いね」妖精が感心する。確かに、フリセラ以上に素早い男だ。

 タミナの屋根は全て橙色のスレート葺きなので、どこをどう進んでいるのかがわかり難かった。中心街に見える尖塔を目安にして考えると、男は寄り道をしながらも、やはり北へ進んでいるようだ。

 そうして男を追いかけて行くうちに港へ出る。男は港の巨大な倉庫の屋根を伝うと、不意に消え去る。

 そこでファフニンが上空高く舞い上がってみる。倉庫の屋根に天窓がある。どうやら男は建物の中に入った模様。

 「どうするのぉ。ぼくたちも入りますかぁ?」ファフニンが面倒くさそうに訊く。「当然だ」そう告げると妖精は「はぁい」と生返事をして急降下する。

 天窓に近づく。中は暗くて見えない。人間の気配もしない。妙な予感がする。王はファフニンに用心するように言う。そこで妖精は、風に煽られた枯れ葉のような飛び方をする。こうするだけでも人間には本物の枯葉にしか見えないからだ。

 窓から侵入し、暗がりに入る。すると、不意に圧力を感じる。

 「ファフ、避けろ!」

 暗がりから伸びてきた大きな腕が、ものすごい速さで妖精を掴み取ろうとする。すんでの所でそれをかわすが、風圧でまっすぐ飛べない。

 「逃げるのだ!」王は叫ぶ。ファフニンは全速力窓に向かうが、どういうわけか、窓がすでに閉じられている。

 「えええ!どうしよ、王さま!」ファフニンが取り乱す。とりあえずどこかに隠れるように指示する。口を開いた麻袋があったので、ひとまずそこへと逃げ込む。

 まずい状況だ。どんなことが起ころうとも、我にはどうすることも出来ない。如何に妖精の里で安寧に浸かった生活を送っていたことか。王は実に千余年ぶりに我が身を呪う。いざとなればせめてこの妖精だけでも逃がしたいところだが、それも容易くはないだろう。

 「ファフ、出口を探すのだ。ここは屋根裏だろう、どこかに下へ通じる階段があるはずだ」小声でそう言うが、ファフニンは麻袋の中にあったじゃがいもの芽を齧っている。

 「おい、そんな場合じゃなかろう」「だって、お腹減ったんだもん」「じゃあ、食べててよいから、我に外の様子がわかるようにせい」

 ファフニンに麻袋の縁に置いてもらい、王は外の様子を覗う。気配がまるでしない。おかしい。ただでさえ人間が気づくことすら珍しい我ら妖精の尾行、感づかれること事態が稀だというに、あまつさえ、その我らから姿を隠すとは。

 「よし、ファフ、出来るだけ低く飛ぶんだ。暗くとも床との距離は測れよう。風が変わったら、そこが下へ続く階段だ」

 「なぁるほど、さすが王さま!」ファフニンは意気揚々と飛び出す。用心だけは怠るな。王は何度も言う。

 「ねえ、王さま。光っちゃだめ?」「光っちゃだめ、そんなことしたら居場所がばれてしまうだろう?」「だって、あんまり暗いから」

 しばらく飛ぶと風を感じる。そちらの方へ向かうと、下から吹き抜ける箇所をみつける。「あった」このあたりが階段に違いない。

 ファフニンが下降を始めると、王は不意に強烈な重圧を感じる。

 「まずい!ファフ、やっぱり光れっ!」

 その叫びを聞いた妖精は慌てて急停止して、両手をかざす。

 妖精が強烈な光を放つ。

 光があたりを照らす。瞬きほどの瞬間、男が映し出される。何か武器を握っている。階段に隠れていたのだろう。上手いこと顔前で閃光を放つことができたようだ。男はもう片方の手で瞼を塞いでいる。

 妖精はすかさず気配を消し、男の脇を通り過ぎようとする。

 ところが、ものすごい速さで腕が伸びてくる。

 「まさか!」それでも見えているというのか!

 王が次の指示を出す前に、王は妖精もろとも、その素早い腕に掴まれてしまう。いささか強い力で握られたようだ。ファフニンは抵抗する隙もなく気絶してしまう。

 「…ふん、何だと思えば、妖精じゃねえか」

 黒髪の男が、自分の掌に掴んだそれを見て、つまらなそうに呟く。



−その4へ続く


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