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小鬼と駆ける者 −その4


 日没は迫り、あたりは薄い紫色に染まっている。ブウムは森を眺め、背筋を冷やす。今にも小鬼たちが真っ暗な森から群れを成して押し寄せてきそうだったからだ。

 彼は慌てて灰色の戦士の、広いの背中を追う。

 ソレルは村を巡り、ある程度の間隔をあけて、咒印まじないいんを施していく。ブウルにはその印が、文字なのか何かの図形なのかさえ判然としなかったのだが、どういうわけか、どこかで見覚えのある形だったような気もしている。

「これは、野草から作ったの?」

「そうだ、オニグサ、ニガヨモギ、ダイダイカヅラにウルシと特別な腐食剤を少し加えて煮詰めたものだ。」

「ヨロイアロエとハツカイチゴは使ってないの?」

「ああ、それは使っていない。さあ、ブウムウの息子よ、やり方は見ていただろう? お前がやってみろ。」

「ブゥ、ブゥ」

「何だって?」

「ブウムウの息子じゃなくて、ブゥブゥ。村のみんなにはそう呼ばれてる」

「そうか、ではブゥブゥ、印を施してみるんだ。手袋は付けろよ、かぶれるぞ。」

 ブウルは見よう見まねで印を書いてみる。思ったよりも上手くできた思う。何となく印が青白く光っているような気もする。

「なるほど、やはりな」ソレルは呟く。

「ブゥブゥよ、お前には魔法の素質があるようだ。お前ならば、わたしが施すよりも守りの加護はずっと範囲が広いだろう。これならば、日没までに間に合いそうだ。」そう告げ、ブウムの背中をぽんと押す。

 どういうことだろう? ブウルは考える。自分に魔法の素質があるだって? だからどうだっていうのだろうか? 物語に出てくる魔法使いガールーラのように、ぼくにも炎や水が操れるというのだろうか? いや、そんなことがあるものか。ぼくは杖だって持っていないし、ほら印だってやっぱり光っちゃいないじゃないか。きっと気のせいだったんだ。ソレルは、ぼくをからかったのかもしれない。



「さあこれでおしまいだ。」

 作業を終えるとソレルが言う。「お前は皆の所に戻るんだ。後はわたしの仕事だ。」

「これで村は安全?」

「ああ、大概はな。だが一箇所だけ守りが薄い場所を作った。向こうの水車小屋に続くようにな。奴らは気づかずにそこに誘導されるという手はずだ。」そこにハツカイチゴの汁を体中に塗った野ウサギを閉じ込めておく。小鬼はその臭いに我を失う。ソレルは簡潔に作戦を伝えつつも、繫いでおいた野ウサギを乱暴に掴む。

「ねえ、ソレル。魔法を使うゴブリンって、そいつが頭目なの?」

「いや、その可能性は低いだろう。魔法というものは才能で扱うか、でなければ学ぶものだ。小鬼が学ぶという話は聞いたことがない。魔法の才能があるゴブリンは力も弱く、ばかで、ずっと小さい。なんなら手足すら満足に揃わない出来損ないの奴らばかりだ。」

 それを聞いたブウルは少しだけがっかりする。

「ところがどういうわけか、そういうやつには魔法の才能があるのだ」ソレルの話は続く。

「頭目になるようなやつは、普通のヤツよりも一回りも二回りもでかく、悪知恵も働く。だが魔法も使える頭目なんていう話は聞いたこともない」

 意気消沈するブウルの様子を察し、ソレルは手袋を外し、その頭を優しく撫でる。

「お前は違う。人間は違うものだ。才能というものは与えられ、磨くものだ」

 彼は風向きを読みながら、「お前も学ぶことができれば、あるいは…」

 魔法使いになれるかもしれないな。そう呟く。



「さて、」ブウルが去ると、ソレルは風下を避けて小屋の影に潜む。

 陽が落ちてからどれくらいの刻が経っただろうか、一瞬だけ月明かりが雲に隠れる。わずかに生臭いにおいがしたかと思うと、それさえも消え去り。辺りが静まり返る。

 ゴブリンが目くらましを使ったのだな。彼は直感的に感じる。ゆっくりと腰に差した二対のダガーナイフを抜刀する。

 やがて影が動き出す。子どもほどの背丈、長く尖った耳、ねじ曲がった背中に長い腕。間違いない。一匹、三匹、いや五匹いる。警戒してはいるが小屋のほうに鼻をならして進んでいく。

 真ん中にいる一匹は肩口から腕が無く、他のやつよりもずっと小さい。そいつが目くらましを使っているのだろう。ここからは、そいつのせいで細かい特徴は見えないが、どうやら頭目らしい奴は見当たらない。

 ゴブリンたちが辺りを見渡しながら小屋に入っていく。それに合わせ、ソレルも静かに動き出す。奴らには目くらましがあるがこちらにも技がある。小鬼の歩幅に合わせ、彼は音もなく歩み寄る。

 そうしてソレルは、最後に小屋に向かおうとする小鬼の背後に立つ。首を静かに鷲掴みにし、そのまま喉元に刃を食い込ませ、引き裂き、血液が床に落ちわずかな音を立てる前に、草むらに放り投げる。

 戸口に立つと、彼は少しだけ驚く。小屋の中には十匹以上いる。なかなか優れた目くらましじゃないか。彼は感心する。

 だが簡単な仕事に変わりはあるまい。

 側にいた腕の無い小鬼に向かい、素早く左手のダガーを投げつける。刃は首もとに刺さりそのまま吹き飛んだ小鬼が柱に釘付けになる。

「目くらましは厄介だからな」ストライダは独りごち、身構える。

 その声に気づいたゴブリンたちは一斉に振り返り、奇声を上げる。オオキジの鳴き声に似てはいるがずっと不快な音。ゴブリン特有の警戒音だ。

 ストライダはすかさず死体からダガーを抜き取り、中腰のまま群れに飛び込んでいく。右で切り裂き、その勢いで振り返り、左手で突き刺す。ストライダが一回転するごとに、しっかり二匹づつ倒れていく。不意を食らったゴブリンたちは混乱し、為す術もなく血を吹きだし、床に伏していく。

 最後のゴブリンは野兎にかぶりついている。ハツカイチゴの臭いに我を忘れているのだ。ソレルはそいつの片足を掴み、そのまま手足を縛り猿ぐつわして肩に担ぐと、何事もなかったように水車小屋を後にする。

 ところが小屋を出たソレルは、不意に立ち止まる。

 何となく不穏な空気を感じ取る。何かがおかしい。静かすぎる。

 ソレルは耳を使う。これもストライダの技のひとつだ。

 警戒しつつ、縛りあげたゴブリンをゆっくりと地面におろす。水車の音、水辺のせせらぎ、捕らえた小鬼のもがく音、蛙の声、虫の声、あらゆる音を聞き分ける。聞き分けた音を除外し、さらに小さな音を選別していく。風の音、葉の擦れる音、葉が落ちる音。

 それから、何かの息づかい。

 ソレルはすかさず葉むらを睨む。真っ暗な闇の中、赤い目玉がぼんやり鈍く光る。見つけた。赤い目玉と目が合う。すると闇が輪郭を成していく。一匹、十匹、二十、…いや、かなりの数だ。

 真ん中にいる二匹がひときわ大きい。一匹は布きれのようなものを腰に巻いている。もう一匹は頭に鍋をかぶり、胸当てのようなものを着込んでいる。こいつが頭目か? ソレルは観察する。どちらも何か武器のようなものを持っている。確認はできないが、目くらましを使う奴もどこかに潜んでいるのだろう。

 彼はダガーに手を掛け、今度は勢いよく抜刀する。冷たい金属音が闇夜に響く。すると鍋をかぶったゴブリンが奇声を上げる。それに同調したように、他の奴らも一斉に叫ぶ。辺りの木々から鳥たちが飛び立つなか、彼は低い姿勢で臨戦態勢を取る。

 ところがゴブリン共は、奇声とともに森の方へ逃げ帰っていく。瞬く間に、何事もなかったかのように夜の静寂が戻ってくる。

「頭の良いやつめ」ソレルは追いかけようとはせずに、捕獲した小鬼を再び肩に担ぐ。

「何かを察知し、あらかじめ斥候をたてたか。」そう呟き、長たちの家へと向かう。



 戸口での物音に、長たちは身構える。手斧を携えた男衆が前に出る。扉が開き、ソレルと分かると大きく安堵のため息を漏らす。

「ものすごい叫び声が、ここまで聞こえてきましたぞ」

 興奮気味に長が言い、捕らえた小鬼を見ると、さらに周りも色めき立つ。

「水車小屋に小鬼どもの死骸があ。」ソレルだけが落ち着いて告げる。「すぐに腐り、ものすごい臭いを放つだろう。朝にでも焼いたほうがいい」

「こんなにも簡単に、」村の誰かが言う。「こいつがおれの息子をさらったヤロウか、」ひとりの男が前に出る。

「これはまだ役に立つ、手を出さないでいただきたい」

 興奮した男たちはソレルに制され、何とか踏み留まるが、今にも捕らえた小鬼に掴みかかりそうだ。

「それで? この後は?」長が訊ねる。

「少し眠るとしよう。それから朝に森に入り、巣を叩く」ソレルは簡単そうに答える。

「我々はどうすれば?」

「まじないの印は村中に施しておいた」ブウルを見つけたソレルが目配せを送ると、彼は恥ずかしさと誇らしさで顔を真っ赤にする。

「もう村に小鬼がうろつくことはそうないだろう。あなたたちは、明日からでも穴を見つけたら塞げばいい。兎の穴でも蛇の穴でも何でも、穴を見つけたらとにかくだ。青鷲の季節には落ち着くだろう。次の朱鷺の季節には、何事もなかったかのように収穫もできるだろう。」

 それで終わりだ。ソレルは淀みなくそう言うと、長たちの返答を待たずに、隣の小屋へと去っていく。

 明朝、ソレルが村の出口へと向かうと、長たちが待ち構えている。

「見送り、というわけでもなさそうですな」ただならぬ様子を彼は察知する。

「村の者を三名ほど連れて行っていただきたい」長が言い、ソレルは眉をひそめる。

「ソレル殿、あなたは昨夜、これで終わりと申しました」ソレルは頷く。

「だが、我々は納得いきませぬ」

 そこで男が三人、前へ出る。そのなかにはブウルの父親も含まれている。

「どうしたいと?」

 ソレルは肩をすくめる。誰も何も言わない。皆、手斧を握っている。

 どうするというのだ?」語気を強める。

 何匹か捕まえて袋だたきにでもするのか? それで満足するとでも? そんなことをしても失った者はもどらぬぞ」

 三人はしばらく黙っているが、代表してブウムウが口を開く。

「足手まといにはなるつもりはねえ」

「そちらに無くとも、必ずなるぞ」

「その時は捨てていってもらっても、かまわねえ」

「命の保証はないぞ」三人は顔を見合わせ、決然と頷く。

 しばらく押し問答が続くがソレルは折れる、というよりも放っておくことにする。何よりも時間が惜しいからだ。

 それにしても森を知る地元の人間が全く役に立たないということはあるまい。彼は良いように考えてもみる。もとより、森に入ればわたしが面倒を見るという義理もないだろう。ただ、この者たちがストライダを物語の英雄かなにかと勘違いしていなければよいのだが。ともあれ、不安要素はあれど、仕事にそう差し支えることもなかろう。ソレルはそう判断する。

 ブウルが父親とソレルを交互に見ている。二人ともそれに気付きながらも、敢えてそれを無視をし、森へと向かう。


−その5へ続く−


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