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妖精王の憂鬱 −終話


 「それではずいぶん話が散らかったようなので、我の話は手短にいこうではないか」妖精に抱きしめられたルーアン王が口を開く。

 「ファフニンよ。我が従者よ」

 「んー。なぁに? 王さま」ファフニンが王をほおずりしながら言う。いささか調子は狂うがな。ルーアンはそう感じながらも話を続ける。

 「お前は、妖精の国に帰るつもりはないのだろう?」

 「もう王さま帰りたいの?」ほおずりの手が止まる。

 「いや、我は妖精の国には戻らん」「じゃ、ぼくも帰らない」ファフニンは即答する。「そうだな」王も落ち着いて答える。

 ファフニンは反射的に王を抱え上げる。

 「ぼくは王さまとずっと一緒だよ。ぼくは従者として、王さまを守るんだ!それは、妖精の国を出た時から約束したじゃないか」

 わかっている。この従者はいい加減だが、この事に関してはもうすでに腹を決めているのだ。水掛け論はよそうではないか。

 「それでは命令する。妖精アリア・アルア・リンデ・ファフニンよ」

 妖精はぴくりと背筋を正し、いつになく真剣な顔をする。

 「我とお前との旅は、ここで終わりだ」お前は素晴らしい従者であった。そう言ってやりたい所だが、王は言葉を飲み込む。

 「我は今後、この沼地の魔法使いメチアと行動を共にする。旅は過酷を極めるうえ、生身の妖精では足手まといとなろう」

 妖精の瞳からはすぐにポロポロと涙が溢れる。それでも真っ直ぐに王を見つめている。そんな従者の涙に、王は断腸の思いで言葉を続ける。

 「今後は…」

 「これからは、ファフはあたしたちと旅をする!」フリセラが割って入る。

 「ね、そうでしょ?王さま。」見れば、フリセラも涙を流している。「ね、そうでしょ?ファフ」妖精は声をあげて泣き出す。まだ気持ちの整理がつかないのだ。

 「くれぐれも頼んだぞ。フリセラ殿」ルーアンは心から願う。

 それから、気がつけばとなりでは何故かウンナーナもドンムゴも泣いている。彼らも強くうなずき合っている。ウンナーナはもはや完全に妖精のことが見えるようになったようだ。それにしても本当に涙もろい連中ばかりだ。王は、自分の身体に瞳がないことを、この時ばかりはありがたく思う。



 場がしめやかになり、しばしの沈黙がその場を包む。それから、頃合いを見計らって、黙っていたメチアが口を開く。

 「それではマイナリシア殿、わたしがここに来た理由を簡潔に話させていただこうか」

 「わかっています。竜の仔じゃろう?」

 メチアは頷く。

 「その通り、…神話によると、先の大戦でベラゴアルドからドラゴンが飛び去って三千年余り経つ…」メチアが静かに語り出す。「…ところが十一年前、ベラゴアルドに竜の卵が孵った。そしてその頃から魔の物の動きが活発になった。竜の仔がどう関係しているのかは定かではないが、なにかしらの因果があることは確かだろう」

 「メチア様らしからぬ、判然としない物言いで」婆がしわくちゃな両手を擦りながら言う。

 「うむ、分からぬのだ、本当に。」世界がどうなっていくのかがまるで分からぬのだ、メチアは何度も繰り返す。

 「わたしは故あって、十一年間その竜の仔を隠してきた。なるべく人に会わぬよう沼地に隠遁し、そのためだけに長らく過ごして来た」メチアは一度、アルベルドをちらりと見やり、それから続ける。

 人となるべく遇わぬようにし、交流は野を行く者、つまりストライダたちや一部の信頼できる人間に限り、守りの咒具や魔具などを造り、それを日々の糧とした。いつしか沼地に住まう偏屈な老人として、近隣の町から遠ざかっていった。

 「おい、ちょっとまてよ」そこでアルベルドが口を挟む。彼にも何か思うところがあるようだ。しかしメチアは深く頷き、それを制する。

 「…のうメチアよ、仔とはいえ、竜と共に暮らす人間など、あり得るのか?我には到底考えられぬ。…第一、竜とはベラゴアルドで最も巨大な生き物であろう。」ルーアンが質問する。

 「いや、竜といっても、姿かたちは人間の子どもそのものといってもいいでしょう」

 一同からざわめきが起きる。メチアは眼をつぶり、一呼吸置く。

 「正直に話そう。わたしはこの十一年間、その子と暮らしを供にしてきた。守ってきたといってもいい。」

 「誰から?」今度はファフニンの質問。

 「魔の物から、いや人間からかも知れない。わたしはその子を普通の子として育ててきたつもりだ。いや、育って欲しかったのだ」メチアはつらそうな顔をする。

 「…だが、今ではそれさえも、果たして正しいことなのか。確証が持てぬのだ」メチアはそうして口をつぐむ。



 夜もだいぶ更けてくる。金熊亭の常連客たちも千鳥足で店を後にする。婆と魔法使いを囲む卓では、今だ話合いが続いている。ウンナーナ団長とは古なじみの気の良い店主は、嫌な顔ひとつしない。

 それにしてもなんだっていうんだい。団長は思う。妖精に、妖精王ルーアン。で、今度は魔法使いにドラゴンの子どもときたものだ。これじゃまるで、お伽噺の中に入り込んだみたいじゃないか。

 彼は軽い疎外感を感じる。こんな場所に自分が居てもいいものだろうか。辺りを見渡す。フリセラとファフニンが成り行きを見守っている。この子たちは何かしらの運命を感じているのかも知れない。彼はははっきりとそう感じる。

 だったら、おれはおれの役目をこなすまでだ。彼は考え直す。おれはこれからもこの気性の荒い我が娘と、この小っこい妖精を守っていかにゃならん。それから、ついでに無口な若者と偏屈なばあさんもな。

 彼はフリセラが町のごろつきと面倒を起こしたという話を思い出す。タミナの町の治安はそれほど良くはない。民兵はよそ者を守ってはくれまい。山向こうの山賊団との繋がりの噂も聞く。

 すぐに出発する準備をしなければ。すぐにでも金熊亭と話をつけなければ。店に迷惑をかけるわけにもいかないだろう。なぁに、明日からは気ままなどさ回りの再会だ。こうしちゃいられまい。

 そうして団長は、誰にも気取られぬように席を外す。



 「…それで、メチア様、あたくしめの許に、こうしておいでなさったことについてですが」婆が口を開く。

 「ああ、それは他でもない…、」メチアが話し出そうとするところを、婆は両手で遮る。

 「わかっております。メチア様。あなたはこれからの我々、いや、これからの竜の仔の行く末をば、この婆に占えと…、そう仰りたいのでしょう?」

 メチアはしっかりと頷く。

 「…いや、…そのことなのですがの…、」婆は言い淀む。「…そのことですがの…あたしにゃ、到底、占えませぬのじゃ」メチアが意外そうな顔をする。何故?

 「…ご存知のとおり、昨夜、あたしは精霊を降ろしました。そして、それがメチア様の霊気に触れ、こうしてあなた様はおいでなすった」婆が再び両手を揉みはじめる。

 「そして、…その時に、あたしゃあ、少しだけ竜の仔にも触れた。」ほんの少し、少しだけですじゃが。婆が僅かに震えだす。

 「…あれは確かに、人間の姿をしているが、まったく違うものですじゃ。…人間の理のまるっきり外にいる。」理の外側を占うことなぞ、誰にも出来ぬのです。そこで婆は顔を伏せてしまう。

 僅かな沈黙が場を包む。そこに居合わせた誰しもが魔法使いの次の言葉を待っている。

 「わかりました。ベラゴアルド一の占い師であるマイナリシア殿が占えないというならば、誰が占えましょう。」

 えっ。フリセラがおもわず声を漏らす。「婆って、本当にそんなすごいんだ」それじゃ、アムストリスモ魔法学校で学んだって話も、嘘じゃなかったんだ。彼女は密かにそう思う。

 それから、メチアはしばらく物憂げに考えを巡らせているようだったが、皆が自分の言葉を待っていることに気がつくと、穏やかな声で話を続ける。

 「この度、精霊を通じてマイナリシア殿と触れ、ここに参上したわけだが…」彼は金熊亭を見渡す。

 「その道中、こうしてルーアン王に出会った」妖精に抱かれたルーアンを見る。

 「四の残り神がひとつ。妖精王ルーアン」魔法使いが穏やかに言う。

 「そして、どういうわけか、そこにストライダも居合わせてもいる」

 今度はアルベルドを見る。彼は忌々しそうな顔つきをしているが、それはいつものことなのでメチアは気にしない。

 「野を駆ける者。ベラゴアルドの監視者。」そう呟く。

 「それから、同じく、旅を重ね、野を行く者たち」次にはフリセラを見つめる。「妖精を連れし旅芸人と占い師」

 そうして彼はふっと笑う。

 「これがまったくの偶然だと?わたしには到底そうは思えません。そうでしょう?」メチアがそう言うと、婆も手を揉みつつも深く頷く。

 「いやはや、しかし、この邂逅は、わたしの思っていたよりも、ずっと不思議な体験だったようだ」

 「まるで何かの物語をなぞるように」言葉を受け取る婆に、今度はメチアが深く頷く。

 そうして魔法使いは立ち上がる。話は唐突に終わりを告げる。

 「お手間を取らせましたな、マイナリシア殿」メチアが手間賃を渡すと、婆は素直にそれを受け取り、鞄にしまう。



 フリセラは少しだけ拍子ぬけする。読んでいたお伽噺が唐突に終わってしまった気持ちになる。

 「おい、ちょっとまてよ、じいさま。それじゃあ、あいつが竜の仔ってことなのか?」そこでアルベルドが引き留める。

 「うむ。そういうことだ」詳しい話はまたな。メチアが気安く彼の肩を叩く。

 アルベルドは鼻で笑う。「ま、うすうすは感じてたがな。あいつがただのガキじゃねえことは明白だ」それだけ言う。

 「時に、アルベルドよ。お前はこれからどうするのだ?」身支度を調えながらメチアがじとりと彼を睨む。

 「どうするもなにも、おれぁ、このまま…。」言い淀むアルベルドに魔法使いは厳しい物言いをする。

 「まだこの町に留まる気か?それでストライダの勤めをはたしているつもりか?」

 「まあぼちぼちだよな…、」アルベルドはしらばっくられうふうに頬を掻く。

 「あ、このひとはあたしたちと行きます。魔法使い様」するとフリセラが思い立ったように言い、割って入る。アルベルドの腕を掴み、引き寄せる。

 「なんだと!?」アルベルドが吠えように言う。しかしフリセラは少しも気に留めずに、「なによ、元はと言えばあんたが全部いけないんじゃない。ちゃんとあたしたちを守りなさいよ!」と、さらに痛烈に吠える。

 まるで飼い犬をしつけるようだな。その様にメチアは微笑む。

 「…まあ、それも良かろう。」そうして、彼は赤い石を二つばかり渡す。

 「お!早火、助かるぅ」アルベルドはよく手もみして石を受け取る。

 「アルベルドよ、くれぐれもこの者たちを守るのだぞ」メチアが釘を刺す。

 「わかってる、わかってるって、心配しなさんなよ、じいさま。このバシリ・アルベルド様に任せなさい」すっかり気を良くした彼が調子良くへらへら笑う。

 「それでは」メチアは改めて皆を見つめる。

 「これ以上の長居は無用のようですな。行くとしましょう」

 そうしてルーアンを胸のあたりに括り付ける。ファフニンがその様子を食い入るように見つめるが、ルーアンは何も言わない。

 出て行こうとする魔法使いを、今度は婆が呼び止める。

 「メチア様は、これからどちらへ?」

 「一度、アムストリスモに戻ろうかと」

 「学院長の責務にお戻りで?」

 「いや、そうは考えてはいません。ただ、気になることも多いのでね。それに、強い魔素を持った子が引き取られもしたもので」

 婆は、そうですか、とだけ言うと。深々とお辞儀をする。

 「それでは運命が再び重なるその時まで…。」

 それから魔法使いは、フリセラとアルベルドが自分の正体に驚愕している様子に少しだけ苦笑いをし、金熊亭を後にする。



 レムグレイド歴三百五十二年。金鷹の季節。

 かくして、妖精王ルーアンは記憶を無くしたままに、沼地の魔法使いメチアと行動を共にすることになった。

 何が切っ掛けなのかは誰も分からない。運命というものが存在するとすれば、それは確かに、運命の出会いだったのかも知れない。

 しかし、世界はそんな言葉だけで簡単に片付けられる訳でもなく、そこに息づく命たちもまた、時に抗い、時に身を任せていくものである。

 後の世を鑑みれば、それは新たな神話の始まりと語られるかも知れず、あるいは、年代記として書されるものであるのかもしれない。

 だがそれは、ベラゴアルド中のどんな種族も、どんな占いも、どんな魔法でさえも、与り知ることは今は出来ない。

 そしてそれは、この物語を記している者でさえも、同じ事が云えるだろう。

 往々にして、運命とは、そんなふうにして流れていくものなのだ。


【エピローグ】 


 自由都市タミナからやや西、ラームへと続く街道に、二頭立ての馬車がみえる。よく晴れた朝、遠くには麦畑が金色に光る。

 馬車からは賑やかな声が聞こえる。御者台に座るドンムンゴだけが無口に手綱を操っている。その隣ではウンナーナ団長が上機嫌にシパーリを奏でている。

 さあ 新たな旅路だ
 我ら気ままな我ら大ウンナーナ団
 何にしても景気よくいこうじゃないか

団長が即興で歌う。

 荷台の後部ではバシリ・アルベルド座っている。不真面目なストライダは眠い目をこすりながら、団長の歌を聞いている。退屈そうな旅だが、たまにはこれも悪くはねぇ。そんなことを考えながら赤毛の少女を眺めている。

 「ねえ、ファフ。これ読もうよ。」フリセラはタミナの町の古物屋で買い込んだ挿絵付きの本の山から、一冊を手に取る。妖精のファフニンが彼女の肩で期待に眼を輝かせる。

 「…えっと、ガンガアクス」読めないな。これなんて読むの?彼女はアルベルドににじり寄る。

 「ん、こりゃ、あれだ、ガンガァクスの、えっと、」アルベルドが頭を掻く。

 ガンガァクス英雄奇譚。

 荷物に埋もれたマイナリシア婆が寝言のように呟く。

 「あーそれだ!それそれ、その話なら知ってるぜ。貸してみろよ。フリセラ」「嫌よ、あたしが読むんだから」「えー、じゃあ、みんなで読もうよぉ」じゃれ合う二人と妖精を眺めながら、婆はまどろみに任せている。

 フリセラは意欲に燃えている。彼女は御伽噺がただの作り話ではないことを、もう知っている。言葉が、物語が、誰にでも勇気を与え、生き抜く知恵を与えてくれることを、もう知っているからだ。

 遠い空から鳶の鳴き声に似た合図が響く。

 「おっ。」アルベルドが荷台から顔を出す。

 「来てみろよフリセラ、」彼に呼ばれ、フリセラも隣に並ぶ。

 なだらかな蒼い丘陵のてっぺんで何かが光る。

 「あの心配性のじいさん、ご丁寧に見送りときたものだ」

 丘陵の上で、ロバと、豆粒みたいな人影が見える。

 「ねぇ、王さま見えるかな、フリセラ、王さま、あそこにいるんだよね」ファフニンがフリセラの赤毛を引っぱる。

 「うーん。王さまはちょっとみえないかなぁ。向こうからは見えるかもね」

 「ふふふ、王さま小っこいもんねぇ。」ファフニンがころころ笑う。

 「おーい!王さまぁー!」フリセラが荷台から身を乗り出して叫ぶ。

 「おーい!王さまぁー!」ファフニンも彼女の肩で叫ぶ。

 丘陵の豆粒が片手を挙げるのが見える。陽光に白み、魔法使いの胸のあたりがきらりと光る。



−終わり−
ベラゴアルド年代記 −妖精王の憂鬱

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