note_h_2その5

妖精王の憂鬱 −その5


 ストライダは、海辺から町に繫がる下水路の暗渠に入り込んでいる。

 「沼地だの、小鬼の穴ばかりの生活が嫌で街に入ったが、結局こんなくせぇところに潜り込んじまって…、」忌々しげに言う。

 「おまえは、あまり仕事熱心なほうではないようだな。」男のポケットの中で黄玉が喋る。

 「ん、まあな、ストライダつっても、色々だ」物語に出てくるような奴らばかりでもねぇよ。男はぶっきらぼうに言う。

 「…して?何を探しておる」

 「まあ、当然、魔の物だよ」商人ギルドに依頼された。男はそう語る。なんでも、商業地区あたりを中心にして、豚が盗まれたり馬の足が囓られたりする事件が勃発しているらしいのだが、誰も姿を見ていないし、その痕跡すら残っていないという。

 「足跡がまるで無いってのが解せねぇ、」男は続ける。「それでおれはピンときてな、ストライダに伝わる特別な薬を塗ったんだよ。で、案の定、現れたんだよな、足跡が」街に出没し、姿を消す魔法を使うとなると獲物は限られてくる。囓られた家畜の歯形から推測しても小鬼のものじゃねぇ、こいつは業畜顔、タウンイェガーの仕業に違いない。おれはそう踏んでるんだよ。ストライダはあけすけに語る。

 「それで、この先にそやつの巣があると?」王がそう言うと、男は、まあな、と気楽に返事をして、ランタンに火を付ける。

 「ところで、我を、外に出してくれぬか、こう暗くて狭い場所では、何も見えぬ」王がそう言うと、「何?見えるのかよ、石のくせに」男は意外そうに呟くも、ちゃんと言われたとおりにポケットから取り出し、ランタンの下に吊してくれる。

 「ふむ。わずかに靄が出ているな。タウンイェガーが自在に姿を消せることは?」「もちろん知っているさ」男は事もなげに答える。

 見えない敵をどうするつもりか。記憶が定かなら、業畜顔とは妖精の言葉で云えばウンバズのことだろう。やつは姿も消すが、人や動物も狡猾に騙す。凶暴でなかなか手強い魔物だ。無論ただの人間ひとりが手に負えるような化け物ではない。

 ここはストライダのお手並み拝見というところか。

 「お前、名は?」

 「ん?ああ、バシリ・アルベルドだ。ラームのバシリ・アルベルド。知ってるか?」

 「いや、知らんな」

 「ありゃりゃ、ま、そりゃそうか。知るわけないよな、石ころが」

 「石ころではない!我は妖精王、」厳粛なる妖精王、残り神…と、はじめるがアルベルドはまるで聞く耳を持たない。

 「我のことは、少しも気にならんのか?」王は少々寂しげに訊ねる。

 「ああ、気にならんね。お前が誰だろうと、おれにしてみりゃただの石ころだ」アルベルドは冷たく言い放つ。

 不思議だの魔法だのにはもううんざりなんだよ、おれは。

 彼はそう独りごちる。



 しばらく進むと、通路は二手に分かれる。アルベルドはしゃがみ込み、例の薬品を振りかける。ところが、もはや通路には夥しい数の足跡だらけで正しい方向が掴めない。

 「南だ」そちらの方に靄が濃く見えたので、王がそう助言すると、アルベルドは黙ってそれに従う。訳も聞かずに我に従うとは、こやつは賢いストライダではないのかも知れん。密かにそんなことを王は考える。

 さらに進むと、そこら中に食い散らかした動物の骨が散乱している。よく見ると人間の骨もある。明らかに魔物の住処が近いことがわかる。

 しかし、どういう訳か、靄の先ですすり泣く声が聞こえる。さらに進むと暗闇の中で少女がしゃがみ込んでいる。

 「おお、迷い子かの…」王が漏らす。すぐに保護してやらねば。

 ところが、アルベルドは背負っていた弩弓を取り出し、素早く矢を装填する。そして王が止めようとする間もなく、矢を放つ。

 「なにをっ!」王は咎めるが、背中に矢を受けた少女は奇怪な叫び声とともに、靄の中に消えていく。

 「なぜ、確かめもせずに撃った!?」それでも王は納得いかずに叫ぶ。

 「心配ねぇよ、ストライダは人間と魔物を間違えねぇ」

 「だが、もし間違えたら!」

 しかしストライダには妖精王が怒る意味が分からなかったようで、しばらく間が空く。

 「ああ、そうか、あんた妖精の仲間だったな。妖精ってのは疑うことを知らねぇもんな」

 「だからどうだというのだ」

 「あのな、あんな所に人間の子どもなんているはずねぇっつーの。ふつーは。」いたとしたら早々に魔物に喰われちまってるだろが。アルベルドは呆れる。

 「だとしても、だとしてもだ!お前は思慮に欠くぞ!先ほどもなぜ理由も訊かず、我の助言通りの道を進んだ」

 「あのなぁ」彼はうんざりしたようにため息を漏らす。

 「ここまで突き止めて、道が別れてりゃ、ああだこうだ考えずに進みゃいいじゃねえか。あんたが石ころだろうが何だろうが、自信満々に言うなら、おれもそれに乗る。どうせ分かんねぇんだしな。で、違ったら戻って、別の道に行けばいいじゃねえか」

 あー!どうしてこう、我の周りにはいい加減な奴が多いのか。だがこやつは駄目だ。ファフニンと違い可愛げがない!それに思慮もない。王は憤慨する。もう口を聞いてやるものか。ここでこやつが倒れたら、我はこの暗渠のなかで永遠の時を過ごす羽目にもなるのだろうが、もうどうにでもなれだ。王はふてくされる。

 そんな王の心情などお構いなしにアルベルドは進む。

 空気が不穏な湿気を帯びてくると、腰に十字に差していたふた振りの剣を抜く。どちらも片刃で、短くもかなり太い段平の剣だ。

 すると、アルベルドの背後から突然に、鋭い爪が現れる。

 爪はマントを引き裂くが肉には至らない。

 ストライダは振り向きざまに水平に切りつける、敵はすでに姿を消している。それでも彼もう片方の刃を垂直に振り下ろす。さらに下から上、斜め上方、両手の剣を交互に切りつけ、物凄い連撃を繰り出しながら前へ進む。

 めちゃくちゃだ。王がそう思うのもつかの間、何もないところから青黒い血がぽたぽたと滴り落ち、ぼんやりと怪物の輪郭が現れる。

 「ほう、手ごたえは感じたが、運よく当たったかな」アルベルドが無邪気に言う。

 やはりこの男はめちゃくちゃだ。爪が現れた方向にあたりをつけて、反射的に適当に攻撃していたのか。

 「しかし、これはこれは。でかいな。年寄りイェガーといったところか」ストライダが改めて身構える。

 確かに見えない敵だとて、不意を突きさえすれば、あれほど凄まじい連撃は効果的ではあるだろう。しかし、次はそうはいかぬぞ。

 イェガーがじんわりと姿を表す。腹と腕に深い傷を負っている。背はそれほど高くないが、身長に似つかわしくないほどに巨大で赤く醜いその顔が歪む。全身から憎悪の殺気を放ち、大きな瞳が怒りで濡れる。

 飛び込める間合いでないにも関わらず、ストライダはさらに踏み込む。案の定、敵は瞬く間に姿を消す。それでも例の連撃を繰り出す。今度は上手くはいかず、双刀の段平が空を切る。

 「ありゃ、やっぱり当たんねぇえか」悠長に漏らす。

 それから、敵の爪だけが現れては消え、現れては消える。その度にアルベルドはでたらめな応酬を繰り返す。彼はすんでのところで敵の攻撃をかわしてはいるが、逃げの動作からの反撃では腰が入らず、やはりはじめのようにはならない。

 王は次第に焦れったくなってくる。いつまでこんなことを続けるつもりか。この男の実力は、優に敵を上回っている。もっとよく観察し、対策を練れば簡単に倒せる相手だというもの。

 そうこうしているうちに、爪がアルベルドの頬をかすめる。ほとんど気にならないほどの傷だが、後少しでも深く食い込んでもしたら、致命傷にもなりかねない。

 「ええい、まどろっこしい!何をやっている。よく見ろ。」

 「うるせぇな、石ころは黙ってな」アルベルドはぺろりと頬を垂れる血を舌先で舐め取り、腰のポーチから徐に赤い石を取り出す。

 「こいつで焼き尽くしちまうかな」あー、でもこれ貴重なんだよなぁ。どうしようかなぁ。割に合わねぇな。ぶつくさと悠長に呟き続ける。

 「何をつべこべと言っている!現れる瞬間を見極めろ!空気が僅かに歪むのが見えぬかっ!」

 「おっ、」アルベルドがにやりと笑う。次に現れた爪を避けると、今度は反撃をせずに待ち構える。

 ふっと爪が消える。アルベルドは両の段平を手首で回し、それから次の兆しを察知すると、両の刃を、上段から思い切り振り下ろす。

 断末魔とともにタウンイェガーが姿を現す。胸に二筋の深い傷跡をつけ、そこからとめどなく黒い血を流している。

 「ありがとなっ」アルベルドは敵が倒れ込む前に首を跳ね、転げる前にその巨大な頭を掴み取る。

 「うっかり早火を使うところだったぜ。」先ほどの赤い石をポケットに仕舞い、素直な笑顔を見せる。

 「助かったぜ、ルーアン王さま」屈託なくそう言う。

 やはりこいつはめちゃくちゃだな。王は改めてそう思う。

 だが、思慮が無いというのは違うかも知れん。いや、思慮は無いが、その分、素直で柔軟なところがこの男の持ち味なのかも知れぬな。ルーアン王はそう思い直してもみる。



 いや、やはり撤回しよう。この男には思慮が足りない。まったくもって足りないのだ。

 その後、アルベルドは明朝早々に商人組合の本部に向かった。業畜顔討伐n報酬を受け取るためだ。魔物の首を差し出すとギルドの責任者は感嘆の声を上げた。ストライダを褒めそやし、心から感謝もしていたようだ。

 そこまでは良い。当然のことだ。王は思い出す。むしろストライダが怪物退治の報酬を求めないほうが不自然だ。しかし、その後が悪い。そこで王はため息をつく。アルベルドはなんと、ギルドの者に我を差し出すつもりなのだ!

 「じゃ、この喋る黄玉も付けて、タミナ金貨五枚でどうだ?」

 しかも、この我を怪物の首と抱き合わせときたものだ。

 ギルドの商人が黄ばんだ指で我を値踏みする。

 「まあ、黄玉は本物だろうが、こんなにちっぽけじゃあな、まるで価値なぞないですな。それにこれは耳飾りだ。片方だけってのもねぇ。」ギルドの親父は大袈裟に渋る。

 「そういうなよ、喋る石なんだぜ、なかなか無い代物だろ?」

 「石ではない!我は厳粛なる妖精王アリア・アルア・リア・ルーアンなるぞ!」おもわず大声を上げてしまう。「お、いいぞ、いいぞ。ルーアンの王さま、その調子」それを聞いたアルベルドが茶化す。

 そこで商人にも何やら声が聞こえたようで、もう一度黄玉を手に取り、いぶかしげに眺め回す。

 「ストライダ・アルベルドよ、本当にこんな男に、我の価値なぞ分かるとおもうのか?」

 「さあな。ていうか、価値が分かれば売られちまっても良いってのかよ、王さまは。」

 「ううむ、そういうわけでもないが…、」実際、我は何がしたいのだ。王はだんだん分からなくなっている。記憶を無くしたまま妖精の国で千余年ばかり過ごし、ハイドランドに行かなくてはという漠然とした使命感をもとに飛び出したはよいが、肝心のハイドランドはすでに滅びたと聞く。間違いなく我には重大な使命があることだけは分かるのだが、この体で何をどうすればいいのだろう? ずいぶんいい加減な者たちに引きずられてここまできたような気もするが、結局、最もいい加減なのは、目的すらも忘れている我自身ではないか。

 「んーまあ、」商人が口を開く。「さっきからこの石から何やら音は聞こえるが、ちっとも言葉には聞こえませんね」どうやらこの商人は妖精の声すら聞き取れないらしい。

 「どういう仕掛けかは知らんが、いいでしょう。こいつも付けてタミナ金貨五枚」

 「おっ、毎度!」アルベルドが嬉々として言う。

 「良いのか?本当に我をこんな商人に売り渡して良いのか?」すでに観念してはいるが、念のために訊いてみる。「我は妖精王だぞ」

 「…かもな、」アルベルドが冷淡に言う。

 「確かにあんたは王さまかもしれねぇな。…けどよ、だとしたらおれにとっちゃ、そっちのほうが面倒事よ。早いとこ売り飛ばしちまったほうが気が楽ってもんだ」

 彼は商人を促す。商人は彼の独り言に不審な目を向けつつ、代金を手渡す。

 「でもよ、おれがラームに持って帰って、爺さま達に散々いじられて、何百年も資料倉庫に仕舞い込まれるよりは、マシってもんだぜ、ルーアンの王さま。」アルベルドは小声でいう。

 「これで貸し借りなしだよな」道理の通らないことを言う。

 そうして王は為す術なく、ストライダの背中を見送る。

 それから王は、商人たちの競りに掛けられる。そうして太陽が真上を指す頃には、王の黄玉は、くず物屋の露店に並ぶことになる。



−その6に続く−

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