note_h_2その8

妖精王の憂鬱 −その8


 「おい、遅くないか?遅いよな。」あまりにも遅いじゃないか。ウンナーナは陽が落ちてからもう、かれこれ半刻は同じ言葉を繰り返している。その側で、言葉にはしないがドンムゴも、その倍は同じことを考えている。

 二人は用もないのに客入りを確認したり、馬に飼い葉を上げたりして、金熊亭の入り口にあたりをうろうろしている。

 一方、婆は店の一番奥のテーブルに陣取り、ぴくりとも動かない。商売道具もしまい込み、客を取るつもりもない模様。いつも目の前に置いてあるはずの水晶も鞄にしまったままで、代わりに、テーブルにはハチミツ酒だけが置かれ、それすらも口をつける様子もない。

 「なあ、ウンナーナ。あの占いばあさん何してるんだ?今日は見世物がないなら、せめて占いだけでも客をとったらどうなんだ?」

 金熊亭の店主は苦言を呈するが、ウンナーナは気が気でない様子で生返事をする。それどころではないのだ。彼はもう一度、店の外に出て行く。

 そこでウンナーナは、初老の男と店先ですれ違う。男のローブの襟元から声がする。しかし彼はそんなことは気にも留めずに、首を長くして暗い通りを眺める。

 その男は金熊亭に入り込むと、真っ直ぐに婆のもとに向かう。

 「お待ちしておりました。ウリアレル様」婆が男を見上げると、男は片手で制して、「今はメチアで通っています。そう呼んでいただけますかな」そう言う。

 「そうですか、それではメチア様。改めて、お久しぶりです」婆が立ち上がりもせずにぺこりと頭を垂れる。

 「はい、久しいですな。マイナリシア殿」メチアはフードを脱ぎ、親しげな笑みを浮かべる。マイナリシア婆はハチミツ酒をゴブレットに注ぎ、彼に座るように促す。

 「精霊を通じて、マイナリシア殿に触れました」

 婆が深く頷き、メチアは話を続ける。「この事相に、あなたとお会いするとは、何かしらの運命を感じます」

 「やはり、竜の仔…」

 今度はメチアが静かに頷く。隠しても隠し通せることではないでしょうな。あれはベラゴアルド全体の運命なのかもしれぬ。彼は独り言のように語る。

 「世界中で良くない噂を耳にします。いるはずのない土地に、いるはずのない魔の物が現れたりしているだとか…。」婆は両手をこすり合わせ、祈るように言う。

 「沼地にも杜の賢者が現れました。」

 「なんと!?フィーンドが?」

 メチアは思慮深げに頷く。お互いに、すべてが憶測に過ぎない出来事を、何から話せば正解なのかが分からないのだ。

 「おお、そうだ。マイナリシア殿、お探しの方はこちらに」

 そこでメチアは気がつき、ポーチから黄玉を取り出しテーブルに置く。

 「おお、ルーアン様、よくぞご無事で」婆が両手をすり合わせる。

 「うむ」ルーアンは慇懃に挨拶する。

 「久方ぶりの邂逅のようなので、黙ってはいたが、そのまま忘れさられるかとおもったぞ。」

 婆は笑い声を上げる。「年寄りは物忘れが激しいものじゃて」

 「それはお互い様だな。」ルーアンの言葉にメチアも微笑む。

 「…して、ファフニンは?我の従者はどこにおる?」

 婆は口をぽかんとあける。そういえば、どこですかな。とぼけたことを言う。実際に昨夜、精霊を降ろしてからというもの、婆にはそれまでの連れ合いの動向には、まったく関心がなかったのだ。

 すると、不意に金熊亭が騒がしくなる。

 ドタドタと、入り口あたりから足音が聞こえる。



 暗い通りの遙か遠くから、見慣れた輪郭が現れると、ウンナーナは大きく安堵のため息を漏らす。それから、そんな気持ちとは裏腹な怒鳴り声をあげる。

 「こら!こらこら!フリセラ!今までどこほっつき歩いてたんだ!」

 「あっ、団長、ただいま」

 駆け寄るフリセラが意にも介さずに、素っ気なく言う。それから彼女は、団長のもとで一度止まると、「ごめん。貧民街のごろつきと面倒起こしちゃった」そう急いで詫びる。

 「なんだと!」ウンナーナは飛び上がる。「…で、怪我はないのか? 何も…その、大丈夫なのか?」ひどく取り乱す。

 フリセラは、だいじょぶたいじょぶ、あっけらかんと言い大きく首を振ると、「それどころじゃないんだ!」そう叫びながら、急ぎ足で彼の脇をすり抜ける。

 その後ろを黒衣の男が付いてくる。しかし、フリセラに続いて金熊亭に入ろうとするその男に、ドンムゴが立ちはだかる。

 「なんだぁ?おまえ。」男は言うが、ドンムゴは黙ったまま腕を組む。

 その様子に気がついたフリセラが慌てて戻って来る。

 「ドンムゴッ!その男はほっといて!あたしの連れだから通してあげて!」

 男が眉を上げて大袈裟に肩をすくめる。「だってよ、」

 ドンムゴは渋々道をあける。それから、団長とドンムゴも彼女の後を追い、金熊亭に入って行く。

 「婆!ねえ婆さま!」フリセラは占い婆を探し、奥のテーブルに見つけ、向かいに初老の男に怪訝な眼を向ける。

 「げげ!」それを見たアルベルドが奇妙な声を上げる。

 「え、なに?知り合い?」

 おう、まあな。歯切れの悪い返事で頬を掻く。

 「さっきよぉ、あてがある、って言っただろ?」ストライダは妖精を指さす。フリセラが神妙に頷く。

 「あれだ、あの爺さんだよ。そのあてってのは…」今度は、その指が婆と向かい合った男を指さす。フリセラは、そんな彼の口ごもる言葉など構わずに、婆のもとに走り寄る。

 「婆っ!婆さま!」騒がしく駆け寄り、テーブルの上にファフニンの寝かせる。すると、すぐに隣に置かれた黄玉を見つけ、彼女は一瞬固まる。眼をしばたかせて、それから、きゃぁ、と妙に少女じみた叫び声をあげる。えー!なに!なんで!?

 「なんで?なんでここにいるの!王さま!?」

 「うむ。…まあ、いろいろあってな。元気かな?フリセラ殿」ルーアンが居心地悪そうに言う。フリセラは眉を寄せ、不可解な顔をするが、とりあえず頷いてみせる。

 テーブルに向かい合った老人たちは、そんな若い女の騒がしさに面食らい、顔を見合わせる。



 「これは、事情のすり合わせが必要なようですな。」

 そうしてメチアはそう言うと、後から付いてきたストライダを見やる。

 フリセラは、はっとする。そんなことよりファフニンを見て!

 婆は虫眼鏡を取り出し、例の如くして妖精を観察する。

 「こりゃ、どうしたことかの。この前よりもずっと透けとるがな」婆はメチアに視線を移す。魔法使いは、目の前に横たわる妖精を静かに観察する。それからルーアンを妖精のすぐ隣に置いてやる。

 黄玉はしばらく黙っている。消えかけた従者を見つめているのだ。そうして、悲痛な声を出す。

 「メチア殿、なんとか我の従者を…、」何とかできぬか。彼は大半の記憶を失っていることに口惜しさを感じる。隣で横たわる大切な妖精に、何もしてやれないことを恥じている。

 「ふむ」魔法使いは妖精を子細に観察する。それからアルベルドをちらりと見ると、彼はすかさず眼を逸らす。

 「これはすべて、わたしの推測だが…。」魔法使いが話しはじめる。皆が固唾を吞んで聞き耳を立てる。

 「十三年前、青梟の季節に、五日五晩雨が降り続いたことがあった…。わたしはハースハートン大陸中を飛び回り、見て回ったが、大陸の全てに雨が降り続いていた。」

 皆がそれぞれ顔を見合わせる。魔法使いの言わんとしていることが、皆には掴めずにいる。

 「おそらくだが、雨雲はベラゴアルド中を包み込んでいたのだろう。」魔法使いは構わず続ける。

 「それはつまり、五日間ものあいだ、世界中で太陽が隠れていたということになる」

 そうして彼の両手が突然に光り出す。

 「これは太陽に似た光だ」

 光は膨らみ、ついには金熊亭中を真っ白に染める。

 それから光は魔法使いの掌の一点に集約し、小さな強い玉になる。

 「おいこりゃ、たまげた!」団長が驚きの声を出し、フリセラに睨まれる。一瞬だけ光に包まれた金熊亭の客たちが、ぱらぱらと拍手をおくる。どうやら芸人たちが何か見世物をはじめたと勘違いしたようだ。立ち上がって覗き見にくる客もいる。

 フリセラはそんな客達の態度が、魔法使いの集中力を欠くのではないかと気が気でない。「見世物じゃないよ」彼女は来た客を追っ払う。言うことを聞かない客たちも、ドンムゴが無言で睨みを利かせれば、おとなしくテーブルに戻っていく。

 魔法使いはそんなことはまるで意に介せずに、話を続ける。

 「そして、その後、その長雨の以降、各地方で妖精が見当たらなくなったことに、わたしは気がついた」 魔法使いは、光の玉を妖精の胸にあてがう。光は妖精の胸元に静かに落ちていく。それから光はそのまま妖精の身体の中へすべり落ち、ゆっくりと吸い込まれていく。

 そうして、みるみるうちに妖精の輪郭が以前のようにはっきりと現れる。

 「おお」皆から感嘆の声が漏れる。フリセラが口元を抑え、眼を潤ませる。

 妖精の顔つきが次第に穏やかになっていくのがわかる。白い肌に暖かな色がうっすらと灯る。それから気持ちよさそうに寝返りを打つと、突然にむくりと起き上がり、大きなあくびをする。

 「ああ、よくねたぁ」伸びやかな声を出す。

 皆が歓喜して飛び上がる。団長がドンムゴに抱きしめられ、振り回される。婆は得意そうにして、虫眼鏡で小さな妖精の、その小さな胸の呼吸の動きを逐一確かめる。

 フリセラは涙をぽろぽろと流しながら、ファフニンを抱きしめたい衝動に駆られるが、病み上がりには良くないかもしれないかと考え直す。そして、代わりにストライダに向き合い、力を込めて左頬に平手打ちを浴びせる。

 「なっ、んだよ!」アルベルドは面くらい、頬をおさえる。団長があたふたし、ドンムゴが嬉しそうに眉を吊り上げ肩をすくめる。彼は何かを言おうとするが、「身から出た錆びではないのかな?アルベルドよ。」そうメチアに言われると、口ごもり、大人しくなる。

 ファフニンはまるで事態が掴めず、そんな皆の様子を見上げ、フリセラを見つける。

 「あ、フリセラおはよ、」満面の笑みを浮かべる。フリセラは泣き笑いでそれに応える。

 「なぁあにが、おはよ、だ!ファフ!心配をかけおって!」そこで隣のルーアンが叱りつける。ルーアン王が隣にいることにようやく気がついた妖精は、しばらく放心し、それから黄玉に身体ごと抱きつく。王さま王さま、涙を流しもんどり打つ

 「心配したのはこっちだよぉ!ばかぁぁ!王さまあぁぁぁ!」全身で抱きしめ泣きじゃくる。

 「コラ、やめんか。ファフニン」そう言うルーアンも、心なしか嬉しそうな声を出す。

 それから妖精が落ち着けば、ルーアンは畏まった声で言う。

 「礼を言おう。メチア殿。ファフニンを救ってくれて、感謝する」

 それを聞いたメチアは頷き、微笑む。そうして彼は婆に小さな石の欠片をいくつか手渡す。

 「これは日光石です。たまに魔法使いが杖の先に取り付けたりもする、その欠片です」魔法使いはそう語る。

 「単純な魔力を込めれば、マイナリシア殿の力で輝かせることも可能かと。…再び妖精が消えかけたら、それを陽光の代わりとして下さい。」

 婆は神妙に頷き、大事そうに賜った石を鞄にしまう。



 「…で、要するに、妖精っつーのは、太陽の光が無いと生きられないってことかい?じいさまよ。」気を取り直し、アルベルドが発言する。

 「おそらくはそうだろう。妖精が見えなくなるという物語が古来から数多くある」

 「大いなる潮の詩」フリセラが呟くと、メチアが嬉しげに頷く。

 「そう。あの物語の解釈は様々だが、子供が嘘を吐き、心が汚れてしまったから妖精が見えなくなったのではなく、真実は、長い間、夜気に晒された妖精は、ただ消えてしまったのだ」

 「でも、あれはただのおとぎ話じゃ」メチアは彼女の意見に同意し、それから穏やかな眼を向ける。

 「そうだな。ただのおとぎ話ではある。だが、おとぎ話だとしても、それはしっかりとした、丁寧な言葉で紡がれたものだ」彼は続ける。

 一度放たれた言葉は時として魔法になる。書かれた物語、語り継がれた言葉。それは決して過去のものではない。物語が真実であればあるほどに、それらは時代を経て、知識となり、経験となり、そして魔法となる。

 メチアの言葉の意味をそこにいる多くの者が理解できずにいる。それでもフリセラには、メチアの言葉が奇妙な説得力を持って、その場を暖かな空間に染め上げているような気がしてならない。

 「つまり、言葉こそ魔法なのだよ」

 「言葉即ち魔法。魔法即ちドラゴンそのもの…」すると、婆が言葉を引き継ぐように口を開き、「是、全て女人を占めさん」メチアが再び言葉を受け取る。

 皆がきょとんとする。アルベルドがうんざりして顔を背ける。彼にとっては魔法使いの説教などは、ただ鬱陶しいだけなのだ。

 「詞 是即ち魔法哉 魔法即ち竜哉て 是全て女人を占めさん」婆が節をつけて詠い上げる。

 メチアがにこりと笑う。「なぁに、魔法使いのあいだで語り継がれる古い諺さ」

 「どういう意味ですか?」

 「誰にも意味などわからんよ」婆が祈るようにそう答え、目をつぶり背中を丸める。

 「そうだな。誰も分からん。だが、もしかすると、これはあなたのような女性の事を詠っているのかもしれない」魔法使いがフリセラの瞳の奥をじっと見つめる。

 「あなたのような、勇気ある、やさしき女性の詠なのだろう」彼そう言い直すと、再び和やかな顔をする。

 彼女はそうして魔法使いに見つめられるだけで、恥ずかしくもあり、誇らしげな心持ちにもなる。それから、こうも感じる。ここ数日の騒動はもう全て終結したのだ。なんとなくそう確信する。魔法使いの笑顔には、そんな不思議な力がある。

 それから魔法使いは、ハチミツ酒をかかげ一口飲み干すと、「それでは、本題に戻りましょうか、マイナリシア殿、それから、ルーアン殿」そう静かに告げ、居住まいを正す。




−終話へ続く

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