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ガンガァクスの戦士達 −その2


 穴の中から物音がする。次第に、鎧や剣の擦れる金属音が反響して近づいてくる。

 「それで、ピークスというのは?」マールは未だに赤くなった顔のままに訊いてみる。

 するとバジムとクリクが神妙な顔つきになる。

 「おまえ、ピークス知らねえって、本当かよ?」二人は顔を見合わせ、肩をすくめると、それから急に大人しくなる。

 なんなのだ!この者たちの態度は。わたしが新参でここの事情に疎いことは認めよう。しかしどうだ、さっきからこの者たちの人をばかにしたような態度と、緊張感の欠いた物言いは。彼女は心の中で憤慨する。

 そうこうしているうちに、武装した者たちが帰ってくる。全部で十名ほど。思ったよりも少ない。皆は賑やかに喋り合い、とても戦いに赴いた帰りとは思えない。

 先頭を立つ戦士がこちらに向かって手を挙げる。マールははじめ、その男が、王国でも将軍達が好んで被るような、鷹を模した兜を着用しているものと思い込んでいたのだが、近づくにつれ、それは大きな誤解だということに気がつく。

 この男は広翼族、バードフィンクだ。彼女ははじめて目の当たりにするその種族にさらなる興奮を隠せずにいる。

 「どこまで潜った?」バジムが訊く。

 広翼族は黒真珠のような大きな瞳を瞬かせ、「どこだっけ?」と後ろの男に訊く。「第二回廊の大聖堂の手前までだな」男は兜を脱ぎながらいう。どうやら他の男たちは人間のようだ。あまりの種族の雑多さに、マールはつい慎重に観察してしまう。

 「もう第二回廊までは、ほとんど雑魚しか現れないね」広翼族が言う。どことなく笛の音が混じっているような声色は耳心地が良い。

 「それでもゴブリンの胎動は二つばかりは潰した、あれを放っておくわけにもいかんからな」別の男が言う。

 「ゴブリンはアザミの綿毛みてぇにして増えてくからな」クリクがのんびりと言う。

 マールはつい、バードフィンクの姿に見とれてしまう。その身体は鎧を身に纏い隠れているが、ブーツは履いておらず、足首からは黄色く鋭い爪がしっかりと地面を掴んでいる。同じく背中の大きな翼も隠されずにむき出しでいて、灰色の翼と真っ白な羽根が呼吸に合わせて上下している。

 広翼族の男はマールの様子に気がついている。うっとりとした顔つきで自分を凝視している女騎士に、少々居心地が悪くなってくる。

 「…で、この人は?」広翼族の男は、たまらずに見張りの二人に訊くがドワーフは肩をすくめ、隣の犬牙族も同じくする。

 「えー、あの、おれはピークスっていいます」

 ピークスと名乗る広翼族の男は、痒くもない觜を掻きながら挨拶する。

 「ああ、あなたがピークスさん」なんだか照れているバードフィンクが可愛らしく感じて、マールは思わず親しげな笑みを溢す。

 そこで下から呼ぶ声がするので振り向くと、にやにやと笑いながら、ドミトレスが坂を登ってくるのが見える。彼はピークスの隣に立つと、「こういう場面では、しっかりと挨拶しないと駄目じゃないですかね、ピークス司令官」と、そう言う。

 司令官。

 マールの呼吸が止まる。

 一瞬、彼女はその意味を解せない。

 それから思い出す。ここへ出兵する際に何度か交わした文書。鷹の紋章で封印されたその文書のその著名。ハークリーヴス・ファン・ピークス。

 彼女は慌てて姿勢を正す。胸に手を当て、最敬礼をする。

 「失礼致しましたっ!」彼女は大声を上げる。両足を揃える時に、姿勢を崩してふらついてしまう。なんたる失態!御しがたい羞恥が襲い、鼻の奥がツンと痛む。

 「レムグレイド白鳳隊、二番隊長マール・ラフラン、他、八十二名。ただいま参上いたしました!」

 何とか名乗り上げる。それから小さな声で付け加える。

 「明日に命あらば、お見知りおきを…、」

 ピークスの部下の人間たちがざわめく。どことなく困った顔をしているように感じる。クリクは再び笑いを堪えている。

 ドミトレスがため息を漏らす。

 「ピークス指令、ここは人間族の風習に従ってもらわないと…」

 ピークスは頭に飛び出した和毛を触りながら、「そういうのやめようよぉ」そうぼやくきつつも、不承不承に居住まいを正し、マールと向き合う。

 「うん、うん。マール・ラフラン殿。ガンガァクスでの武功、期待しますよ」

 それを聞いたマールは、もう一度敬礼をし、うつむきながら一歩後ろに下がる。



 戦士たちが魔窟から持ち帰った品物を地面に並べはじめる。そこには汚れた武器や不揃いな鎧の一部など、修理さえも難しいような品物ばかり見られる。ピークスが流線型の珍しい剣を抜刀し、胸に押し当て、それから掲げると、先ほどとは打って変わり、皆の顔が真剣になる。

 「今日の死を糧として、明日の戦いに備えん。」

 今日の死を糧として明日の戦いに備えん。皆が続けて声を揃える。

 それから、皆はさっそく、それぞれ広げられたものを物色しはじめる。そうなると今ほどの厳粛な空気は吹き飛び、談笑しながら武器や防具の具合を精査をする。

 それらの多くは地下に潜ったピークスたちで山分けにされる。皆、自分に合ったものが見つかると、嬉しそうにしている。

 「これは戦利品ではありません」ドミトレス説明してくれる。「過去に魔窟で倒れた者たちの装備品です。我らはそれを魔窟で見つけると、見つけた者たちで、こうして山分けいたします」

 「それは…、」マールは言葉を濁す。内心、追い剥ぎのようだと感じている。本国での習わしと違うからだ。

 「…死者への冒涜ですかね」それを察したドミトレスが訊いてくる。

 「いや、そうは言わぬが、埋葬がままならぬ場合、死者の持つものはそのままにしておくべきだろう。でないと武人として示しがつかない」

 「示しねぇ…」ドミトレスは小さく呟く。「確かに、レムグレイドではそういう考え方もあるでしょう。しかしここはガンガァクスです。魔窟で落とした装備品がゴブリンに奪われると、奴らの強化に直結するのです」

 命を落とした戦士たちの装備品が強ければ強いほどに、それを放って置けば敵は強くなる。彼はそう言うが、マールにはいまいち納得ができない。

 しかし彼女もそれ以上は追求しない。どちらにしろ、ここではここの戒律がある。それがいくら野蛮なものだとしても、新参者は進言する立場ではない。そんなことを考える。だが、レムグレイドの王族として、見逃せない蛮行は、変えて行かなければならぬ。徐々にでもいい。少しでもこの砦により良い秩序を作り上げていきたいものだ。マールはそんなことも考える。



 不意に、穴の奥から大きな音がする。それから鎧の擦れあう音が響く。穴から何者かがやってくる。橋桁はすでに上がっている。だがバジムもクリクも動こうとはしない。

 穴の暗がりから巨大な男が姿を現わす。水牛の様な二本角の兜に、全身を完全な鎧に包まれ、丸太の様に太い戦棍を握っている。武器も鎧も、魔物たちの青黒い血で染まり、もとの色合いがまるでわからない。

 そんな巨体の戦士は防柵のところまで進む。そうして姿勢を低く取ったかと思えばと、一気に飛び上がり、ものすごい地響きと共に、仲間たちの目の前に着地する。

 「おー、レブラ。今日はどこまで潜った」ピークスが気安くそう言うが、レブラと呼ばれた巨大な戦士は無言で立ち去っていく。

 「…あれは?」呆気に取られるマールに、またしてもドミトレスが教えてくれる。

 「あれはレブラです。ガンガァクス最強の戦士」

 「人間なのか?」まさか大鬼というわけでもあるまい。彼女がそう思っていると、クリクが「案外オーガかもしれないぜ」そんなことを言う。

 「あの男の素性を知るものはいません。声を聞いたものもほとんどいません」

 「ピークスは飽きずに話しかけてるけどな」クリクが口を挟む。

 「皆で、賭けとるんじゃ。」とバジム。

 「そ、やつの名を聞き出した者が勝ち」クリクが牙をむき出しにしてにやりと笑う。

 「…いや、その、やつの名を知る者もいないのです。レブラというのも、渾名でしかありません。ドワーフの言葉で王という意味らしいです。」ドミトレスはばつの悪そうな顔をする。だがマールはもはや兵士間の賭け事ぐらいで驚きはしない。

 「…そうだ、ガンガァクスの王は。ヤツを置いて他、おらんからな」バジムがしたり顔で髭を撫で付ける。

 「…それで? 何を賭けているのですか?」マールは呆れ果てた顔つきで見渡しつつ、一応、賭け代を訊ねてみるも、ドミトレスは口ごもり、答えようとしない。バジムの方に振り向くが二人の男は目配せをし、首を振るばかりだ。

 「…パジティーナ嬢だよ」クリクが牙を剥きだして答えると、二人が気まずそうに顔をしかめる。

 「なんだって?」

 「娼婦だよ」クリクが笑う。

 「青薔薇館にすんげぇ娼婦がいるんだ。どんな種族でもかまわずに相手しちまう」

 「なんっ…」話を聞くマールの顔がみるみるうちに赤くなる。

 「賭けに勝った野郎は、そのパジティーナ嬢を三日、独り占めできるんだ」栗毛の犬牙族が舌舐めずりをする。

 「なんという下品なっ!」マールはついには怒鳴りだす。

 「それでも!…それでもっ…、」それでも騎士なのか!そう言い放とうとして、踏み止まる。さすがにガンガァクスの連中が騎士ではないことくらいは分かっている。分かってはいるが、彼女は怒りでつい涙目になってしまう。

 「ピークス司令!これは事実なのですか!?。」

 「そうみたいだね」悠長に言うピークスに、マールは奥歯を噛みしめる。

 「もうわかりました!結構なことで!ドミトレス殿、わたしはこれにて陣営に戻りますっ!」

 ドミトレスの返事を待たずに彼女は早足に去ってしまう。

 残された連中は唖然して、彼女の背中を見送る。

 「あーあ、行っちゃったよ、ドム、いいの?お姫様なんでしょ。」ピークスが無責任に言う。

 「いや、まあ、…あれくらいで丁度良いでしょう」ドミトレスが冷淡に言う。「…宮廷気分は早々に抜いてもらわないと困るからな」

 「まあ、このまま国に帰っちゃったら仕方ないけど、一緒に戦うんなら、大事な戦力だしね」

 「つまらぬことで死なれても困りますからな」ドミトレスはため息をつく。

 「しかし、完全に嫌われ役だったな、クリク」と、バジム。

 「でも、賭けは本当のことだろ?それよりさ、飯にしようぜ」クリクはまったく気にしていない様子。

 それからドワーフと犬牙族は夕餉の支度に下りていく。テントから交代要因がやって来るのが見えると、ピークスたちも坂を下りはじめる。

 「…けど、あの娘が、マール・ラフランねぇ」ピークスの言葉にドミトレスが頷く。

 「わたしも少々、想像とは違いましたな」

 「強いんでしょ?」

 「物凄く、と聞きますな」ドミトレスが鋭い目つきをする。「なんでも、レムグレイドでは白ツバメと呼ばれているのだとか」

 二人は遠ざかっていくマールの背中をもう一度眺める。もうすでにかなり小さくなっていたので、バードフィンクの視力でさえも、彼女がくしゃみをしている場面は見えはしない。



 要塞前の広場に戻ると、白鳳隊の陣営はすでに設立されていた。マールは副隊長のカイデラに自分のテントに案内してもらう。

 彼女はテントに入ると、早々に鎧を脱ぎ捨て、最後に外した籠手を思い切り投げつける。

 本当になんなのだ!ここの連中ときたら!彼女は悔しさと恥ずかしさで顔を覆う。

 種族が雑多に共存しているのだから、王国とは違う常識があると予想はしていた。でも、まさかあんなにも野蛮だなんて!兵隊同士の賭け事でさえ、軍法会議ものなのに、賭けの対象が娼婦だなんて! ドミトレスはレムグレイド人だっていうけれど、本当かしら? だったら王国の誇りはどこへ行ったっていうのだ。少しは武人としての使命感を持ったらどうか。

 用意された葡萄酒をゴブレットに注ぐと、一気に飲み干す。レムグレイド産の甘いブドウの味がすでに懐かしく感じて、少しだけ落ち着いてくる。

 百歩譲ってそれでもいい。彼女は改めて考え直す。たしかにピークス指令はあれでいて何だか貫禄を感じたわ。上に立つ者としての資質もあるようには思える。でも、あんなに緩い感じで、軍規はどうなっている?士気は保てるのか?

 チュニックを脱ぎ捨てると沸かしていた湯を盥に注ぎ、綺麗な布で身体を拭く。長旅の疲れがどっと押し寄せてくる。

 ともあれ、今のわたしは白鳳隊の二番隊長。わたしの無理でここへ付いてきてくれた部下達の手本とならねば。少なくとも、こんなにいい加減な環境では士気を保つことも難しい。我が隊は我が隊の軍規の下で、しっかりと励まなければ。

 簡易ベッドに入り、そんなことを考えているうちに、彼女の気持ちも少しずつ晴れやかになってくる。

 それにしてもバードフィンク、あのピークス司令官の翼の美しいこと。おもわず手が伸びていきそうになってしまった。それにあのクリクってやつ。あいつは最低なやつだけれど、それでもあのウルフェリンクの鼻の上や首回り、体毛が少し白っぽくて柔らかそうな場所は、ちょっと素敵じゃないか。

 マール・ラフランは、いつしか夢の世界に入り込んでいる。彼女は夢の中で大きな犬の体毛に頬をうずめ、鷲の翼に包まれている。


−その3へ続く

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