万引きしたものは何か。

『万引き家族』を観てきました。
鑑賞後の第一の感想は家族の話だった、です。この映画にまつわる議論で話題にされている貧困についてというより、家族とは何か?という問いが残りました。以下、観た人向けの感想です。

私がこれ以前に観た監督の映画は『三度目の殺人』だけなので『そして父になる』など観ていなくて、なんとも言えないのだけれど、"家族とは"の問いの延長線上にある作品なのだなと思った。

万引きをするから『万引き家族』ではなくて、「盗んだのは絆でした」というキャッチフレーズからもわかるように、いろいろなところから盗まれて寄せ集めて作られた家族だから『万引き家族』。
その「盗んだ」の中には信代(安藤サクラ)の盗んだのではなく拾った、という言葉にある肯定的な気持ちと、治(リリーフランキー)が祥太(城桧吏)に教えた、店にあるものはまだ誰のものでもないから、盗んでも構わないという言葉のように、言い訳がましさも同居している。

そんな家族の絆は何で作られるのか。それは一口に言えるものではなくて、それぞれの登場人物によって現れ方が違う。

信代は自分が親になることに対して、臆病な気持ちがあると思う。憧れはあるが、自分から押し付けるものではないと思っている。だからこそ、りん(佐々木みゆ)が本当の家族ではなくて自分たちを選んだ翌日に、晴れやかな顔で、家族の絆の話をするのだ。本当の家族よりも選ばれた他人の方がより強い絆の家族になると思う、という大袈裟でちょっと寒いとも言える言葉を言ってしまうほどの喜びを感じていた。

治は信代と違って、祥太に自分をお父さんと呼んで欲しがるように、自分のことを親だと思ってほしいことを隠さない。教えられることが万引きしかなければ教えなきゃいい、けれども、彼が教えるのは親らしくありたいからだ(だから、祥太が教わった万引きに疑問を抱き、釣りを治に教えることで親子関係は解消されていく)。亜紀(松岡茉優)に家族は何で結びついていると思う?と聞かれて、当たり前に後ろめたさもなく心で繋がっていると答えるような図々しさが治にはある。

では、亜紀はどうだったか。心で繋がるという治に、バカじゃないの金で繋がってるんだよ、と言うが、そうでない想いも抱いている。
例えば、彼女が一番大好きだったおばあちゃんが両親からお金をもらっていたことを知ったとき、彼女はショックを受ける。そしてお店で、お金で繋がっている関係であるはずの4番さん(池松壮亮)との間には、家に帰ってから今日いいことあった?って言われるくらいに特別な気持ちを抱く。

そんなふうなつながりでできた家族を、祥太はわざと捕まることで壊す。万引きという行為に疑問を持ち、「妹にはさせるなよ」という言葉を契機に崩壊が始まる。
でも、破壊に心苦しさがないわけではない。バスの中で知らんぷりすることは祥太にとって辛いことだった。信代はその選ばない苦しさに気づいていたから(ラムネを飲みながら帰った道のシーンで分かる)祥太の本当の家族の情報を教えるのだ。

でも、好きだからとか心が繋がってるみたいなことだけが、家族を構成していたわけではない。年金があてにできることや、亜紀はお客からお金をもらえること、亜紀の両親からお金がもらえることは、確かにそこに存在するし、それを理由に結びついてもいる。

ただ、この映画が描きたいのは家族というつながりの理由が1つに決まることではなく、それが1つにまとめられないということだ。
池脇千鶴演ずる刑務官が信代に向かって、子どもを持てないあなたは、子どもを持つ人が羨ましかったんじゃない? だから誘拐したんじゃない?と問いかけるシーンにはこの映画の肝がある。その言葉を受けた信代のえもいわれぬ表情をみながら、違う、わかってないと観客は刑務官に言いたくなる。
そしてその問いかけの時、画面に映るのは信代の顔だけで、刑務官は映っていない。その声だけがする。その刑務官の位置に座るのは観客たちだ。それはテレビの前でニュースに向かって好き好きにモノを言う私たちなのだ。その位置に座って、言い返したいこともたくさんあるけど、子どもを羨ましく思っていたことも事実であることに、言葉を失う信代の気持ちを理解することが、もどかしさを感じることが、この映画の作り出したものだと思うのだ。
1つに決めてしまう自分と、1つに決められない自分に観客たちが気づく。

他にも考えるべきシーンはあると思うけれど、私自身が安藤サクラのファンなこともあり、最後の信代のシーンを中心に、感じたことを書きました。

最初にも述べたように『三度目の殺人』しかみていないので、それと比べてしまいますが、結果を意図的に隠すということが重要なのだと思います。
『三度目の殺人』では誰が殺人をしたかという真実を観客は知ることができません。それは誰が殺したかと言う事実より、事件をめぐって人間がどう振る舞ったかが大切だという考えによるものだと思います。
『万引き家族』が大事にするものも同じで、初枝(樹木希林)が死んだ姿と、その死体が埋まった状態が映されないのは、死んだ祖母を埋め年金を受け取り続けていたという事実ではなく、それを取り囲む人を描く映画だったから、だと思います。

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