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思いがけずこぼれおちてしまうもの|北海道美瑛町にて

8月で30歳になる。いきなり年齢の話をするのもなんだよ、という感じだけど、節目っぽい年齢だしいいかなと思って書き始めた。

30歳を目前にして、ふと20代を振り返ると、ずっと20歳前後に出会った人たちの背中を追いかけてきたなあと思う。
私より少しだけ大人で、知らない世界を教えてくれた人たち。理由なく惹かれた彼らの生き方や言葉。無意識に、彼らの存在を心の隅っこにおきながら過ごしてきた気がしている。

年齢なんて関係ないさと思っているし、気にしない方が格好いい。けれど、ひそかに憧れていた彼らの年齢をいつのまにか勢いよく追い越そうとしていて、さすがにびっくりしたのが最近のこと。



高2の授業中。突然、先生が教科書をパタンと閉じて話し始めた。
「将来の夢?進路選択?そんなの、具体的じゃなくていいんだよ。ぼんやりでいいから、なりたい姿をイメージしな。そうしたら、自分でも気づかないうちに近づいていくから。私もなにをしたいかよくわからなかったけど、英語は好きだし関わっていたいなって思ってたんだよね。で、気付いたらフィンランドでサンタとハグしてて、今はこうやって英語を教えてるんだもん。なんとなくでもイメージすることが大事なんだよね、きっと。」
その時の先生は、多分29歳ぐらいだった。

「人生の中で、数年ぐらい石垣島に住んでいた時期があってもいいんじゃないかと思ってさ。それぐらいの気持ちで引っ越してきたなー。移住したらしたで、いろんな師匠に出逢えたりね、予想していなかったけどおもしろいもんだよ。」
海が見える部屋でレコードを流してくれた先輩。その自然体なあり方で、目に見えないものの大切さを教えてくれた。28歳ぐらいだったと思う。

「生きてるといろんなことがあるけどね、いろいろちゃんと向き合って、ちゃんと自分の足で一歩一歩踏み出して、出会いたい人と出会って、やりたいことをやって、大切な人を大切にしていけば、今よりちょっとは気持ちよく生きれるかも!」「僕の生き方は自由にみえるかもしれないけど、積極的におすすめしないよ笑」
やわらかい雰囲気の中にハッとする力強い言葉を持っていて、背中を押してくれた先輩、多分29歳ぐらい。

今年の春。力を入れていたプロジェクトがひと段落し、ふぅと一息ついた。

2022春

もしかして今の自分は、20歳の頃に漠然とやりたいと思っていたことをやれているのかもしれない。あの頃出会った素敵な大人にはまだまだ程遠い。でも、小さな夢がいくつも叶っている気がする。
普通なら、やったじゃん、おめでとう!という気分になるのだと思うのだけど、率直に感じたのは、ぽっかりとした空白と脱力感だった。ええと、これから何を目指していけばいいんだっけ、と急に燃え尽きてしまった。

そう、わたしが追いかけてきたもののほとんどは、学生時代に惹かれたものだった。卒業後に出会ったものもたくさんあるけれど、あの頃感じた強烈さには及ばない。結局、立ち戻るところは似たり寄ったりのあの記憶。
だからこそ、なんとなくの頭打ち感があったり、これからやることが単に経験の焼き直しになってしまうんじゃないかとこわくなった。まあこんなもんか、って。当時の想像の範囲内でおさまってしまうんじゃないかという気がして、目指す先も見えず、力が抜けてしまった。

もっともっと心が動かされるものや、圧倒される存在と出会い続けたい。

北海道に行くことを決めた背景には、どこかにそんな気持ちがあったんだと思う。
(実は北海道に行くきっかけとなったのは、デンマークの学校をモデルにしたSchool for Life Compath のワーケーションコースに参加するため。この経験もまた素晴らしかったので、どこかで言葉にしたい。)

8日間のプログラムの合間に、丸1日休みをとって美瑛を訪れた。美瑛の丘を撮り続けた写真家・前田真三さんの写真が飾られている拓真館に立ち寄った。どの写真も素晴らしかった。
拓真館の裏にある白樺の路を登っていく。パッと景色がひらけて、一面に丘が広がっていた。

見渡す限りの丘を前にしていたら、なにも言葉が出てこなくなり、しばらく動けなかった。
思わず走り出したい気持ちになって、先が見えるところまで走った。広がる小麦畑、トウモロコシ畑。丘が何層にも連なっている。もっと先まで行ってみたかったけど、これ以上進んだら戻ってこれなくなる気がして、ひとまず走るのをやめた。

本当に美しいものを前にすると、人は何も言えなくなるんだな、と思った。言葉なんかじゃちっぽけすぎる。こうやって言葉にする間に、書けば書くほど、本当に伝えたいことはこぼれおちていく。それぐらい美しい風景だった。



帰りの車の中、一緒に行った友人が「今感じていることをどうしていきたい?」と問いかけてくれた。

「うまく言えないけど、いま感じていることを無理やり言葉にして説明できないし、したくないなと思う。もしかしたら、感情を受け止めることすらできないかもしれない。ただ、湧き上がってくる感情を味わうことが精一杯、って感じ。」

圧倒的な存在を前にし、言葉では説明できないたくさんの感情。そんな存在に出会えたことが嬉しかった。

なにかを見た時や受け取った時、無意識に自分の反応を俯瞰してしまうことがある。まわりにどう見られるか、この場ではこんな発言をしておいた方がいいのではないか、この伝え方で理解してもらえるのだろうか。他人の反応ありきで自分の反応を決めていたことも多かった。

美瑛の風景は、そんな余裕を一切与えなかった。ただただ、今自分が感じたことを味わうことだけで精一杯だった。だからこそ、感情と共にその場に居ることができた気がする。

草原の香り、鮮やかな小麦畑の色、風に揺れる草木の音、遠くに見えるラベンダー畑、ふと立ち止まってしまった風景。

自分をちっぽけに感じさせてくれる存在が、過去でも未来でもなく、今を生きていくこと、味わうことの素晴らしさを教えてくれた。安心して、勇気を持って、今自分が感じたことに目を向けるといい。そう言ってくれたような気さえした。その結果、自然と伝えていきたくなったことが、自分にとっての「表現」なのだと。不器用でも、きれいな形じゃなくてもいい。そうやって思いがけずこぼれおちてしまうものの中から、きっと伝わっていくものがあるのだと思えている。

拓真館の素晴らしい写真たち



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