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集団主義の本質の「安心」から離れて職探しするには準備が要る

前回、日本企業の集団主義に安住していると定年後のビジネス活動継続が難しくなると書いた。今回は、その根本原因を考えてみよう。

SNSが教える集団主義の人見知り

筆者が常々疑問に思っていることがある。それは、特定のSNSにデビューすることに対する不安感を示す人が多いことである。

twitterのプロフィールを見ていると、「思い切ってtwitterを始めることにしました」、「〇〇しかできない小心者です」などの断り書きが散見されるのだが、筆者にはなぜこのような断りをするのか不思議でしようがなかった。

基本的には実名の知り合い中心の交際を促進するFacebookなどでは、このようなことはあまり見られない。Facebookでは、すでに顔見知りで自分がよく知っている人とだけ友達になり、その間で交流するからだろう。

知り合いかどうかは、「プロフィール」を見て判断する。交流する相手はどこかで顔見知りになった人に限られることが多いので、新たな知り合いが増えることはあまりない。

twitterは匿名性が高いので、フォローするかどうかはプロフィールではなく「発言内容」を見て決断するしかない。自分が思い切ってフォローすることで今までにない面白い知り合いも増えるが、フォローする人を間違えるとちょっとした言葉の行き違いで炎上することも結構ある。

Facebookは、集団主義の日本企業の延長のようなものである。プロフィール(肩書き)を見て知り合いだから変なことはしないと判断できる人とだけ付き合う、という意味で閉鎖的な社会を前提としている。

これに対しtwitterは、見ず知らずの人の(プロフィールではなく)発言内容をもとに積極的に付き合いを拡げるという点で、開かれた市場のようなものである。その分、twitterは情報拡散力が大きい。

上述のtwitterのプロフィールの「思い切って」という言葉は、閉鎖社会に親しんだ人が、開放社会にデビューするときの決心を表しているのだろう。

筆者は元研究者で学会などで知らない人と付き合うことが多かったので、この躊躇いを理解できず疑問を感じていた訳である。とは言え、筆者自身もFacebookを始めるときの方が、twitterを始めるときよりはずっとリラックスしていた記憶がある。

人見知りが(定年後の)職探しするには、準備が要る

(主として定年後に)新たな仕事を見つけることは、このSNSへのデビューと構造が非常に似ている。仕事先を既存の知り合いを辿って求めるか、それとも広い世界で全く新たな付き合いを求めていくかで、その後の人生が大きく変わる。

前者のFacebook的集団主義の仕事探しの例としては、銀行系に見られるように会社から取引先への再就職を斡旋してもらうなどのことが考えられる。その場合、転職先は自分では選べないという不自由がある。

もう少し頑張った場合には、ブランドが信頼できる(シニア向けの)転職斡旋会社に頼るなどのことも考えられる。それでも、仕事は前職の経験が活かせるものに限られ、世界の拡がりは限られている。

定年まで長年集団主義の日本企業に慣れ親しんできている人が、このような制限を超えて幅広く職探しをしようとすると、思い切って閉鎖社会の外に出る決心がいる。だから、それなりの準備が必要となるはずである。

集団主義者が、俄かにでも個人主義者になって行動するのは簡単なことではない。それなりの準備をしておく必要がある。日本企業の集団主義の本質を理解し、何を捨てるかの心構えをしておくべきなのである。

集団主義の本質:取引コストを最小化する「安心社会」

集団主義的な経済圏では、社会的な行動規範に従うことの社会的圧力が大きい。暗黙のルールを破ると、村八分などの制裁を受ける。だから、裏切り者やフリーライダーが少なくなる。

サプライズが起こることは少なく、普段は予期せぬ被害の発生を見張っている必要がなく「安心」である。安心な経済圏の中では、揉め事があまり発生しない。仮に発生しても、仲裁にあまり手間がかからない。

その結果、信用調査、契約書作成、保険、訴訟などの費用が低くなる。つまり取引コスト(市場に参加して経済取引を行う際にかかる費用)が安くて済む。

このような集団主義がもたらす安心社会の効率性が、戦後日本の高度成長を支えてきたのである。

しかし、取引コストの安さには代償がある。(安心が担保されない)異なる経済圏間の取引には消極的になる。新規開拓というチャンスをみすみすドブに捨てる、という機会コストを払うのである。

たとえば、現在インドの経済発展が著しいが、欧米企業に比べ日本企業の進出スピードは遅い。(もはや記憶が薄れているだろうが、実は中国や東南アジア進出でも日本企業は遅れをとっていた。)

アフリカ進出については、もっと差が大きい。外資系にいた筆者は、若手エンジニアの教育のためにモスクワやインドのデリー、南アフリカのヨハネスブルグに出張したこともある。

さらに、10年以上前にアフリカの若手エンジニアのメンターにならないかと呼びかけを受けていた。流石に定年直前だったのでメンター職は辞退したなどと話すと、日本企業に勤める友人には自分の想定を超えた遠い話だと反応される。

これが以前紹介した、中世のジェノヴァ商人が長期間に渡って栄えたのに対しマグレブ商人がいつの間にか没落した理由である。

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これとは反対に、個人主義的な経済関係(個人的な知り合い関係に依存しない取引)の場合は、安心の存在を前提としない。たとえ集団内でも、揉め事の仲裁などのために公的機関を必要とする。

コストがかかるが、匿名的な相手との取引を支える公的な契約執行制度を整備せざるを得ない。

ただ社会的制度に費用を払った見返りに、集団外のよく知らない相手と新たなチャレンジをした場合でも失敗コストが小さくなる。つまり、異なる経済圏間の取引も同程度のコストででき、広い範囲での経済発展が促進される。

(きちんとした論拠を準備していないので注意して発言する必要はあるが、中国が成長しソ連崩壊後に東欧が自由化されたグローバル化の時代に、先進国の中で(特にドイツと比べて)日本のGDP成長率だけが落ち込んでいることも、これと関連すると見て良いだろう。)

職探しでは、取引コストより機会コストが重要

以上は、社会全体について見た事柄であるが、同じことが個人のキャリア設計についても起こる。

集団主義に慣れていると、職探しも知った人のネットワーク経由で行おうとする。全く見ず知らずの相手に直接仕事を求めることをためらうのである。

個人主義社会で育つと、これとは全く逆のことが行われる。

その証拠が、LinkedInの発展だろう。LinkedInは、twitterとFacebookの中間のような存在で、プロフェッショナル向けに限り実名で見知らぬ人同士が(職探しを主目的として)知り合うという設定のSNSである。

LinkedInでは、個人が自分の職歴情報を公開し雇用者側に広く 発信する。その逆方向に、ヘッドハンターからの声がけも頻繁に行われる。(定年後の筆者にも、うるさいほどの声がけがくる。)

予想通り、日本企業に勤める人はLinkedInの活用にはあまり積極的には見えない。ただ、日本人とは言っても経験により反応が異なる。

筆者の後輩でアメリカ留学経験のある(集団主義に馴染んでいない)若い女性などは、LinkedInを利用して積極的にステップアップをしていっているようである。実際、シンガポール経由でロンドンに転職していて、日本では考えられないような優雅な生活の写真を掲載している。

別のところにも書いたが、筆者は30歳前後の時に必死で転職を考えていた。その時の難題は、日本国内に魅力のある転職先がないことだった。

考えあぐねた末に、アメリカに転職先を求めようと思いついた。見様見真似でレジュメを書きアメリカの研究機関に送ったら、驚いたことにその半数以上から何処の馬の骨とも分からない東洋の若造に対し面接に応じるという返事が来た。

(もう時効だろうから白状するが、海外出張中の時間をちょろまかし面接を受けオファーももらった。ただ、オファーの内容は帯に短し襷に長しで気に入ったものがなく、結局日本に進出してきた外資の研究機関に転職した。)

LinkeInは、技術進歩でこのやり取りがオンライン化されて便利になったものに過ぎない。LinkeInができたから就職活動が活性化されたのではなく、そのベースにある元々の社会構造が重要なのだ。

話を戻すと、このようなチャンスが世の中に転がっていることは、日本企業の枠の中に止まっていては到底気づくことができない。これが、安心社会の中に安住する人が支払っている機会コストである。

集団主義社会以外の生き方を知らないと、転職の機会コストが高くなる(独立も含む仕事探しがが難しくなる)ことは確実である。

定年時の仕事探しにあたっては、まず自分が取引コストが安い安心社会を好み、その代わりに高い機会コストを払っているのではないか、それを避けるためには何かを考え直した方が良いのではないかと、自分に問いかけるべきであろう。

その問いかけと答えなしに求職活動をしても、不必要に機会を狭めている自分に気づけないので、不毛な努力を繰り返すことになりかねない。集団主義のもとにある安心社会に浸った考え方をしていることは、新たな職を求めるのに有利ではなさそうである。

とは言え、日本社会ではこれからも安心社会が圧倒的に優勢であるとしたら、そこから脱却しようとすることが得とは限らない。また、安心社会からの離脱が簡単だとしたら、そこまで悩む必要もない。

それらが本当かを、次回考えてみることにしよう。


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