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異なる世界の疑似体験でアンラーニングを促すリベラルアーツ

定年後というロールモデルが少ない状況では、それまでの世界で身につけた習慣を自分でアンラーニングすることが必要だが、それが難しい。

その理由は、アンラーンではまず自分が囚われている考え対象化することが必要であるが、その対象化の方法(メタ認知、リフレクションなどと呼ばれる)が、慣れていない人には結構難しいことにある。

それよりより易しい少し方法は、自分以外の考え方があることを学び、自分が囚われている考えを相対化できるようにするというものである。

しかし、ここでも問題が残る。自分以外の考え方の存在を実地に体験してショックを受けるのが最善なのだが、一人の人間が経験できることには限りがあるからである。

実は、その経験の少なさを埋める宝庫がリベラルアーツであることを、以下で説明しよう。

その前に、日本で数少ないリベラルアーツ教育に力を入れている桜美林大学によるリベラルアーツの必要性の説明を紹介しておく。

「現代社会は過去と比較して、多様な事柄に取り組まなければならず、ときには同時に対応することも求められます。このような現代社会では、幅広い総合的な知識、高度な専門性、的確な判断力と実行力を持つ人材が求められます。 このため、従来からのある程度狭い領域で、一つのことを中心に学ぶような単線型専門教育では対応できません。

そこで必要とされるのがリベラルアーツ教育です。必要と思われる知識を広く取り入れて応用できる知恵を育てること。基礎力や教養を身につけながら個別の学問分野の壁を越え、多様な知識に触れることで自ら課題を見つけ出し、広い視野で物事を判断できる力を養うこと。これが現代的なリベラルアーツに求められる教育だと考えます。」

リベラルアーツとの出会い

筆者は、大学の教養課程でのリベラルアーツ教育は好きだった(社会学、心理学、経済学、外国語、そして数学などで圧倒的に優を稼いだ)が、当時はその教養課程が何を意味しなぜ存在するのかについては、全く理解していなかった。その重要性に気づいたのは、ずっと先のことである。

30年ほど前にアメリカに赴任していた時に、日本への帰任直前になって突如、1週間泊まり込みで米国本社での研修に参加せよと言われた。

目的がわからずポカンとしていると、研修の予習資料が送られてきた。それを見て目を見張った。「ギリシア悲劇のアンティゴネーを読んで自分なりの感想をまとめよ」とある。

そのアンティゴネーのあらすじは、以下のようである。

王位を取り戻そうとして戦死したアンティゴネーの兄ポリュネイケスを、王位を継いだ叔父クレオンは反逆者として埋葬を禁じた。アンティゴネーは、その命に背いてポリュネイケスを葬った。そのため、洞窟に閉じ込められて自殺した。

その時はよく知らなかったのだが、アンティゴネーの悲劇は、死者の追悼をめぐる、国家の掟と家族の掟、ひとびとの掟と神々の掟との抜きさしならない対立を描いた作品として広く知られているもののようである。

国の掟に先立つ神々の掟の優位がアンティゴネーの口から繰り返し語られ、国家の存在を最優先して譲らないクレオンや、国禁を犯すことを姉に思いとどまらせようとする、彼女の妹イスメネとの間で厳しい対立が生じる。

兄への弔意という肉親の情および人間を埋葬するという人倫的習俗を重視するアンティゴネーに賛同しする人は、クレオンが命ずる人工的な法律を重要視する勢力がいることを嫌でも認識させられ、また逆も然りなのである。

その結果、自分がよって立つ考え方を嫌でも再吟味せざるを得なくなる。これが、リベラルアーツで多様な考え方を知り自己を相対化することの効用である。その結果を受けて、必要な場合にはアンラーンできるようになるのである。

この作品は、哲学者ヘーゲルが、人間意識の客観的段階のひとつである人倫の象徴として分析した、ヨーロッパ文化の基底をなす存在なのだそうだ。

その内容はともかく、研修で言われたのは経営者にはリベラルアーツの素養が必須だということであった。

その理由は、世の中にはさまざまなものの考え方があり(アンティゴネーの例では、人間意識にいろいろな段階があり)、ビジネスではその違いからくる様々な立場を理解・尊重してた上で交渉していく必要があるが、それを学ぶ手段としてリベラルアーツが最適だからというものだった。

リベラルアーツが教える、安心社会と信頼社会の起源

リベラルアーツを勉強していれば、違う社会の存在に気づいてその比較から自らの行き先の知見が得られるということは、本マガジンのメインテーマでにも当てはまる。

すなわち、安心社会をアンラーンして信頼社会へ移行することの必要性を自力で気づくことも不可能ではないのである。

安心社会と信頼社会の違いを説いた山岸さんが、2008年出版の自著での説明に参考文献の告知なしに引用している「マグレブ商人とジェノヴァ商人」という話がある。

この話は、実はアブナー・グライフというアメリカの経済学者が2006年に書いた「比較歴史制度分析」という有名な研究書に出ている。

この本は、グライフがエジプトのカイロで発掘された膨大な数のヘブライ語の手紙を読み解いて書いた労作で、11世紀という中世の地中海の貿易で商人たちがどのようにして互いの「信頼」を形成していたのかをゲーム理論によって分析したものなのである。

グライフによると、中世ではマグリブ商人とジェノヴァ商人という集団が代理人を使って地中海世界のあらゆる場所で交易を行っていた。

しかし、これらの代理人は遠く離れた場所にいるため、商売で得たお金を持ち逃げしてしまう可能性がある。そこで、マグリブ商人たちは、一度裏切った代理人を二度と仲間の商人たちから雇われないよう「村八分」にする制度を作っていった。

一方のジェノヴァ商人たちは、より個人主義的で、法制度を整備することによって裏切りを防ぐメカニズムを生み出した。

こうした司法システムの構築にはコストがかかるのだが、血縁・縁故などによる強い結びつきを前提としたマグリブ商人のやり方に比べ、多くの人が取引に参入できる開かれた社会づくりに適していたため、ジェノヴァ商人の活躍の場は広がり、繁栄してゆくことになった。

マグリブ商人は「安心社会」を構築してビジネスを行っていたために衰退したのに対し、ジェノヴァ商人はより広く活用できる「信頼社会」を構築して長期的に成功したのである。

このことを知っていれば、日本の大企業を定年になった時に、今までどちらの世界にいたか、これからはどちらの世界を目指すべきかの判断指針が得られる。

これがリベラルアーツの効用なのである

様々な世界を知ることで優れた判断を促すリベラルアーツ(とくに文化人類学)

以上のようなことを受けて、最近日本でもリベラルアーツの重要性が唱えられるようになってきた。このニーズを反映してか、リベラルアーツの重要性を解く本も数多く出版されてきている。

これらの本が説いていることで、ここでの文脈(「様々な考えを知ることで自分の発想を豊かにし、より優れた判断をする」)に参考になりそうなことをまとめると、以下のようになる。(このうち、文化人類学については、「信頼」の要件が社会によって異なることを論じるときに、改めて言及する。)

  • ”今日の私たちはビジネスでもプライベートでも多くの人たちと出会うわけですが、誰もが他人との関わり合いをお互いに心地よくコントロールできれば、と思っています。そこで最高の”武器”になるのが「他人のコトナゥス(自分が自分であろうとする力、スピノザの言葉)を的確に理解する」ということです。(中略)そう考えれば、今日の私たちが享受できるリベラルアーツとは、人間が何を愛好し、何に深く感銘を受けてきたかという「人類のコトナゥス」の膨大なリストなのだということに気がつきます”(山口周、「自由になるための技術 リベラルアーツ」)

  • ”自分達がいま、常識と考えているものが、一種の自然淘汰として落ち着いた結果のものなのか、それとも効率性や省力性を追求した結果、不自然ながらまかり通っていたものなのか、リベラルアーツはわたしたちを取り囲む常識の正体を見抜く態度を養ってくれるものです”(山口周、「自由になるための技術 リベラルアーツ」)

  • ”問題の外に出(てアンラーンす)るには、いろいろなものの見方をリベラルアーツを通して学ぶことが有効”(山口周、「自由になるための技術 リベラルアーツ」)

  • ”(「追いつけ追い越せ」の)単線的な成長が終わり、生涯雇用の原則も崩れ、グローバルな競争力が必要となった今こそ、そのような世界で生き抜いていくための基本的方法・戦略として、個々の人間が、自分の頭で考え、自分の頭で判断して、みずからの人生にあたらたな局面を切り開いていくことが求められています。(中略)そのような意味で、考える方法や感じる方法の生きた蓄積であるリベラルアーツは、まず第一に必要とされるものではないかと思います”(瀬木比呂志、「リベラルアーツの学び方」)

  • ”「経営の神様」と称されるピーター・ドラッカーも「マネジメントはリベラルアーツだ」と語り、経営に携わる人は哲学、経済、心理などの広範な知識と洞察が不可欠で、それらを駆使して成果を上げることを求めています”(高橋幸輝、「経営者のためのリベラルアーツ」)

  • ”分野が異なる仕事に配置転換になっても、これまでの仕事で「普遍性の高い学び」を続け「応用力」が高まっていれば、それが下支えになって、成長の落ち込みを抑え、必要なスキルを主体的に習得して次の成長を目指せる。この「普遍性の高い学び」のポイントは、個別具体的な経験から抽象的な減速を導き出す「チャンクアップ」と、その普遍的概念を新たな個別具体にブレイクダウンして応用する「チャンクダウン」をすることである。(中略)この「チャンクアップ・チャンクダウン思考」において大きな役割を果たすのが、リベラルアーツの豊かな知識なのである”(高橋俊介、「キャリアをつくる独学力」)

  • 文化人類学は「これまでのあたりまえ」の外へと出ていくための「思考のギア(装備)」(若林恵、「文化人類学の思考法」推薦の帯)

  • 私たちの身のまわりには、いろんな違いを際立たせる境界線がある。普通に暮らしていると、いかに自分達がその境界線に縛られているか、気づきにくい。(中略)さまざまな非西洋社会を研究してきた文化人類学者は、こうして近代社会が堰堤としている「あたりまえ」の線引きを根底から問いなおしてきた。(中略)文化人類学は遠くの「彼ら」を知るためだけの学問ではない。彼らと私たちの比較を通して、自分たちがいったいどんなことを「あたりまえ」として生きているのか、私たちが生きるこの世界のあり方をとらえなおすための学問なのだ。松村圭一郎、他、「文化人類学の思考法」)

  • 人類学は、この自分の居場所と調査地を往復する中で生じる「ずれ」や「違和感」を手がかりに思考を進める。それは、僕らが当たりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。(松村圭一郎、「うしろめたさの人類学」)

ここまでで、定年時になぜアンラーニングが必要か、それがどのようなもので、リベラルアーツの素養を身につけておけばアンラーニングが実行し易くなることを説明した。

この後は、定年時に必要となるアンラーニングの具体的な内容について説明することにする。


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