アンラーニングで必要な自分の「枠」の外に出ること
前回、定年後というロールモデルが少ない状況ではアンラーニングが必要で、それがどういうものかを説明した。次は、そのアンラーニングをどう実行すれば良いかである。
現在地の確認:まず自分の枠の「外」に出て自分を見る
定年時のアンラーニングで最初に行うべきは、自分が今どのような脱却すべき日本の大企業特有の環境にいるか、その現在地の確認である。
そうすれば、その環境で身につけた習慣の中から新環境に不都合なものを認識し、捨て去ることができる。でも、この現在地の確認が難しい。
自分が今いる環境や自分の思考方法を客観的に観察することを、メタ認知という。自分自身を一段高い(メタな)視点から認識するのである。
しかし、普通の人にはこれが非常に難しい。それをガイドする例えとして、昔から以下のように ”自分の枠の「外」に出よ” ということが言われている。
”問題の「外」に出てみる”(中西輝政、「本質を見抜く考え方」https://amzn.to/3fE6uFF)
”現在の自分を過去の自分から分離させる”(アダム・グラント、「THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す」)
”閉鎖社会を出て、コミュニティ(学会など)との付き合いをする”(中根千枝、「タテ社会の人間関係 単一社会の理論」)
普通の人には、これらは非常に概念的で難しい。概念が分かったとしても実行にコストがかかるので、誰にでもすぐにできることではない。もう少し手前の易しいガイドが欲しいものだ。
枠の「外」に出るのに必要なのは、別の「枠」の存在を知ること
メタ認知ほどは難しくなく、現在地が如何なるものであるかの理解に有用なのは、自分のいる場所とは異なる場所があることを知ることである。自分の所属する世界と違う世界があることを知れば、それとの比較で初めて自分がどこにいるが分かることも多い。
筆者自身の経験で言えば、外資系に転職していろいろな躓きをして、初めてそれまでの日本企業の持つ数多くの特異さが分かったのである。
ただ、その特異さは外資系に移らなければ気づけないというものでもない。過去に、なぜか違和感を感じたがそのままになっていることを思い出し分析すると、その特異さに気がつくということもある。
たとえば、日本の大企業の下請けプロジェクトをやると、大企業側ではプロジェクト担当者として、なぜか暇そうな仕事の出来ないオジサンがあてがわれる。
その当時、筆者は世に言うシンクタンクに勤務していたので、同僚のレベルは割と高かった。だから、そのオジサンになぜ給料を払っているのかが分からず、違和感を感じたものである。
ただ、当時は経験不足の若造だったので、違和感を感じるだけでそれ以上思考が進まなかった。
ところが、後日外資に移ったら、HC(ヘッドカウント:この仕事を実行するのに適切な予算と人数)が厳しく管理されていて、暇なオジサンが存在する場所はなかった。
よくよく考えると、これが日本企業のメンバーシップ制と外資系のジョブ型の違いの一つなのである。
メンバーシップ制では、先に雇用した人が存在し、その人にできそうな仕事を充てがう。これに対してジョブ型では、先に会社にとって必要な仕事が定義されていて、それに相応しい人を探して(社内にいなければ採用して)その職に就ける。
外資系では、仕事ができない人は存在するが、暇な人のためにわざわざ仕事を作るという発想はない。その人に適切な仕事がなければ別の部署でできる仕事を探して異動させる。それでも見つからなければ、馘にするかしか解がない。
このように自分の環境と異なる場所があることを知り、それを経験するのは、アンラーニングの手がかりとして非常に有効である。
でも、日本企業の習慣にどっぷりと使っていて、違う場所を知ろうとしても経験が乏しい場合にどうすればよいだろうか。その時に役に立つのは疑似体験をすることである。
次の話は、疑似体験の宝庫のリベラルアーツについてである。