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平成13年生。都内の大学院で朝鮮中近世史を専攻。修士課程。趣味は日本皇室関連の話題追っ…

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平成13年生。都内の大学院で朝鮮中近世史を専攻。修士課程。趣味は日本皇室関連の話題追っかけやお墓めぐりなど。こちらのnoteでは、主として皇室関連史跡への旅行記や韓国/朝鮮史に関連する記事を投稿していきます。

最近の記事

【韓国】 ソウルの「橋」をめぐる歴史と思想

はじめに 江戸時代、現在の京都御所で死去した天皇の遺体は、東山の山麓にある泉涌寺に葬られた。このとき、葬列に従った人々は泉涌寺には来ず、その途中まで随行した。ここで境となった地が、泉涌寺に至る道に架けられた「夢の浮橋」である。橋の名は、人の死の無常のさまが、波に漂う浮橋のような儚さに喩えられたことに由来する。  平安時代のある頃、朝廷に仕えていた文章博士の三善清行が死去した。訃報を聞いた息子の浄蔵は紀州熊野(和歌山県)から京に馳せ参じ、ちょうど一条のとある橋の上を通過し

    • 武蔵陵墓地の成立と帝室林野局林業試験場―東日本初の天皇陵誕生に至る過程を追う 東京都八王子市

      1 「皇室陵墓令」で定められた陵墓地としての条件 大正15年(1926)12月25日。神奈川県の葉山御用邸で大正天皇は崩御した。皇太子裕仁親王以下の男性皇族・王公族はただちに葉山に集結し、一同の見守るなかで同親王の神器承継の儀が執り行われた。「昭和」の始まりである。  大正天皇は、東宮時代と打って変わって、在世中は病に悩まされた。こうしたなか当時の政府は、かねてよりの懸案であった「皇室陵墓令」の作製を進めていた。「皇室令」のひとつに数えられる同令は、天皇・皇后の葬られる【陵

      • 鎌倉は本当に「武士の都」か―いまに伝わる王朝の足跡を訪ねて 神奈川県鎌倉市

        はじめに 平成24年(2012)1月。神奈川県と横浜市、鎌倉市、逗子市は「武家の古都・鎌倉」として、ユネスコの諮問機関であるイコモスに、世界遺産の登録推薦書を提出した。ところが、世界遺産登録とはならなかった。  ここでいう「武家の古都」とは、すでに世界遺産となった京都や平泉との差別化を意識した結果の産物であろう。むろん、それは決して現代におけるこじつけなどではなく、鎌倉の有する歴史的特性に従ったものといって間違いない。鎌倉は、源頼朝によって初めて幕府が開かれた地であり、同時

        • 水尾の里―ゆず香る清和天皇終焉の地 京都市右京区

           本noteは、令和4年(2021)12月において、京都府京都市は右京区水尾に所在する清和天皇水尾山陵とその周辺を訪れた事実を記録したものである。清和天皇は『皇統譜』に基づく第56代天皇である。従来、同天皇といえば「清和源氏の祖」として完結されてきた感があるが、その晩年には京の深山幽谷にある水尾を愛し、その地を自らの「終焉の地」として定めた知られざる姿があった。水尾と清和天皇との関係やいかに―。  今回も、地域と皇室との関わり方について探っていきたい。 はじめに―水尾人の

        【韓国】 ソウルの「橋」をめぐる歴史と思想

        • 武蔵陵墓地の成立と帝室林野局林業試験場―東日本初の天皇陵誕生に至る過程を追う 東京都八王子市

        • 鎌倉は本当に「武士の都」か―いまに伝わる王朝の足跡を訪ねて 神奈川県鎌倉市

        • 水尾の里―ゆず香る清和天皇終焉の地 京都市右京区

          承久の乱より800年 今こそ、佐渡へ―順徳天皇火葬塚と皇子女3人の墓をめぐる 新潟県佐渡市

           かつてここ佐渡島に、よくいえば「遷幸」、悪くいえば「流刑」に処された天皇がいた。その天皇は「文学の天皇」とも称され、「帝王学の教科書」と評される『禁秘抄』や和歌論『八雲御抄』を著した。  しかし、同時に荒ぶる「ますらを」の気象を備えていた天皇は、やがて尊敬する父とともに自らの果たさんとする「正義」に突き進んでいく。夢破れてのち、最後は島に築かれた、朽ち果てつつある御所のなかで、わずかに半生を過ごした京を思いながら死んでいった。その人は、84代順徳天皇である。  本not

          承久の乱より800年 今こそ、佐渡へ―順徳天皇火葬塚と皇子女3人の墓をめぐる 新潟県佐渡市

          上皇・上皇后はどのようにして葬られるのか―現場の「最前線」へ 東京都八王子市

          はじめに―上皇による「ご改革」 武蔵陵墓地:総門  大正天皇多摩陵は、明治天皇伏見桃山陵が京都伏見に造営されたのに対して、東京西部に造られた。現在の八王子市である。  この地は実に美しい。東東京エリアの近未来や喧騒からは遠く離れていて、それらの「音」とは正反対にある多摩川のせせらぎや、草木より生まれた緑色の風を心地よく感じられる自然豊かな場所だ。「多摩の横山」を背後に据えたタワーマンションも、武蔵小杉やお台場で見るそれとは全く異なる印象を与えてくれる。自然の中の人工物に

          上皇・上皇后はどのようにして葬られるのか―現場の「最前線」へ 東京都八王子市

          泉涌寺―歴代天皇が眠る皇室の「御寺-みてら-」 京都市東山区

          はじめに 東山三十六峰月輪山に向けて泉涌寺へと続く参道   私はあえて、その「御寺(みてら)」に向かうとき、東福寺駅より歩いていくことが好きだ。ここで降りれば、東山三十六峰月輪山に至る傾斜の感覚を、長く感じられるからである。ふと後ろを振り返ると、意外に登ってきたらしい。午後の日差しを浴びた京都タワーが遠くに見えた。  ここまで歩いてきてやっと、「泉山御陵参道」と書かれた石標と出会う。ちなみに、目前に横たわる大きな道は、バス路線が通う京都府道143号線である。左に進めば祇園

          泉涌寺―歴代天皇が眠る皇室の「御寺-みてら-」 京都市東山区