「地域にささるアイディアの条件」とは?──編集家・松永光弘氏を招いたBIZAN TALK vol.1開催レポート
地域を盛り上げるために、地域で新しい事業や活動を起こすために、絶対に欠かせないもの。それはアイディアです。どんな取り組みにも起点にはアイディアがありますし、すぐれたアイディアは、ただ物事を前に進めるだけでなく、人びとに幸せをもたらすきっかけにもなります。
でも、そもそもアイディアとはどんなものなのでしょうか。
そして、「地域課題を解決できるアイディア」は、どんなふうに考えればいいのでしょうか。
そのポイントを学ぶために、富士通Japan徳島支社が取り組む「BIZAN PROJECT」の一環として、「地域にささるアイディアの条件」をテーマにした講演イベント「BIZAN TALK」が2022年3月28日に徳島の地で開催されました。
講師は、長年にわたって日本を代表するクリエイターたちの書籍を数多く手掛け、2021年12月には15人の人気事業家やクリエイターたちのアイディアの考えかたをまとめた書籍『ささるアイディア。』を上梓された編集家の松永光弘さん。会場には、松永さんの話を聞こうと、株式会社サンエックス情報システム 代表取締役の外山邦夫さんや、徳島の元副市長で現在はe-とくしま推進財団理事長の豊井泰雄さん、株式会社富士コンピュータサービス 代表取締役の鈴江昌巳さん、inBetweenBluesオーナー/阿波藍プロデューサー の永原レキさんなど、徳島のことを強く思い、日ごろから徳島を牽引しつづけている錚々たる方々が集まり、和やかな中にも熱気のある貴重な交流の場となりました。
そのなかで、松永さんが語ったこととは……。
講演のなかからとくに大切な部分のコメントを抜粋して、お伝えします。
文:片岡小百合(地域の新しい伝えかた学校 プロデューサー)
アイディアの本質は80年、変わっていない。
松永:アイディアとは、ものごとに対する「新たな解釈」のことです。少なくとも世界的な名著『アイデアのつくり方』が出版された80年前から、本質は変わっていません。むしろいろんなことがやりつくされて、まったく新しいモノが生み出されにくくなったいまの時代は、以前にもまして「新たな解釈」が求められるようになってきています。
例えば、コーヒーはふつう「飲み物」とか「眠気覚まし」と解釈されます。でも、子どもが飲めないという意味では「大人の証し」といえるし、仕事を始める前に飲むという意味では「仕事のスイッチ」といえたりもしますよね。こういう「新たな解釈」こそがアイディアなんです。
ご当地(徳島)でいえば、自然の中にある葉っぱを関西などの料理屋さんに提供している株式会社いろどりの取り組みなどは理想的なアイディアです。葉っぱという、山間ではありふれた存在に「料理の装飾品」という新たな解釈を与えたことで、新たな価値を創造しています。古くは「お遍路さん」もそうかもしれません。「空海ゆかりの寺」という解釈を施したことで、数千ある四国の寺のなかの88か所に特別な価値をもたらしていますから。
ヒントのひとつは編集的なものの考え方にある
松永:いま、日本のあらゆる地域でアイディアが求められています。中でもいろんなところでよく課題とされているのが、その地域の魅力をつくるアイディアです。魅力を生み出さなくてはと思うと、つい何か新しいモノをつくらなくてはと思ってしまったりする。でも、「新たな解釈」というアイディアの本質に立ち返れば、実はアイディアの原料はすでにどこかにあるといえますよね。アイディアのもとになるモノはあるけれど、そこにまだ新たな解釈が与えられていない。日本の地域の多くは、そうやって“宝が眠っている状態”なんです。
じゃあ、どうすれば新たな解釈ができるのか。その手がかりのひとつは、「編集的なものの考え方」にあるとぼくは考えています。編集というと、本をつくることとか、記事をつくることなどと思われがちですが、それはほんの一部にすぎません。編集の本質は、「関係性のなかで物事を解釈すること」にあります。
例えば、1枚の白いコピー用紙があったとして、その横にペンが置いてあると、見た人は紙のことを「書くためのもの」と思う。でも、ペンの代わりにハサミとのりが置いてあったら「工作の材料」と思うでしょう。白い紙はまったく同じものです。でも、横に置くものが変わる、つまりは関係づけるものが変われば、「紙の解釈」は変わります。
モノの意味や価値は、そのモノの中に内在していると思われがちです。「これはこういうもの」と決まっていると思っている人が少なくない。でも、本当は、モノの意味や価値は何かと関係づけないと生まれてこないんです。編集の本質は、こんなふうに「組み合わせのなかで意味や価値を引き出す」ことにあります。
地域でいえば、身のまわりにある自分たちにとってありふれたもの、当たり前のものも、関係づけるものを変えれば、新たな解釈をあてがうことができる可能性があります。ただ、常識とかこれまでのしがらみ、思いこみのせいで、それができなくなっているんですね。
発想を変えるために必要な3つのこと
松永:編集的なものの考え方をするには、いくつかのポイントがあるのですが、中でも発想を変えて、アイディアを導き出すために必要なことは3つあります。
ひとつは「単体で考えないこと」。もうひとつは「よく知ること」。最後は「目利きすること」です。
何かについてのアイディアを考えようとしているのに何も浮かばないときはたいてい、そのモノだけのことを考えています。でも、さっきもお話ししたように、ものごとの意味は関係性の中で決まる。だからアイディアを考えるときは「単体で考えないこと」が大事なんです。必ず何かと関係づけながら考える。
ぼくには小学生の娘がいるのですが、あるとき学校で「自分が好きな言葉の意味を自分なりに考えよう」という宿題が出たんですね。そのとき彼女が選んだのは「自由自在」。で、一所懸命、その4文字を見つめて考えるのですが、辞書の意味以外の解釈ができなくて、ぼくに助けを求めてきたんです。そこで引きあいに出したのが彼女がやっている書道でした。「書道でいう自由自在って何だと思う?」そう聞くと、即座に「お題がないこと」という返事が戻ってきました。娘が答えを出せなかったのは、自由自在という言葉だけを見つめていたからなんです。でも、自由自在を別の何かと関係づけたことで、いとも簡単に新たな解釈を見つけることができた。単体で考えないことで、アイディアにたどり着けたんです。
2つめの「よく知る」は、当たり前のことといえば当たり前のことです。新たな解釈をしようというのに、そのもののことを知らないと何も始まらない。でも、地域の取り組みでは、意外とこの「知る」ということがなおざりになっていたりします。歴史ある有名な街でも、地元で地域創生に関わる人たちに街の名所に行ったことがあるかと尋ねると、ほとんどの人たちが行ったことがないと答えたりする。何となく知っている気になっているだけでは、解釈はできません。
このあいだ上梓した『ささるアイディア。』という本では、クリエイティブに仕事をしている15人にインタビューしたのですが、いまの時代は昔のように思いつきでアイディアを出している人はほとんどいません。みんな、あれこれ調べて、勉強して、その上でアイディアにたどり着いています。やっぱり考える対象のことを知らないといい解釈ができないんです。
最後の「目利きすること」は、いいアイディアにたどり着くために不可欠なことです。アイディアとは「新たな解釈」だと話してきましたが、新たな解釈だからといって、それがすぐれているとはかぎりませんよね。つまり、新たな解釈を見いだしたあとで、それがすぐれているかどうかを「目利き」する必要があるんです。
どういうアイディアがすぐれているのかは、ケースによって異なります。でも、もし何か共通点があるとしたら、それはそこに「提案性」があることだと、ぼくは考えています。人は知っていることにも、まったく知らないことにも惹かれません。そのあいだにある小さな発見、「そうかも!」と思えるものに惹かれます。解釈したものが、そうなっているかどうか。その目利きをしてはじめて「いいアイディア」を見つけることができるんです。
受け手の目線で再解釈する(質疑応答より)
質問者A:「よく知る」ことが大切とのお話でしたが、どの程度、知ればいいでしょうか?
松永:基本は、考える対象となるモノが置かれている状況や機能やスペックなどから始めて、あとは来し方を知ることだと思います。その上でアイディアを考えて、行きづまるようならまた関係者に話を聞いたり、資料を読んだりしていく。解釈が見つかればそれで十分なので、程度はケース・バイ・ケースですね。
質問者B:いいものをつくったと思っているのに、なかなか多くの人たちに届いていかない。どうしたらいいでしょうか?
松永:つくる側が思う「いいもの」と、使う側が思う「いいもの」がうまくかみ合っていない可能性がありそうですね。情報発信する、ニュースとして届けるときには、つくったものの意味や価値をつくった側・発信者の言い分ではなく、受け手の目線で再解釈する。そこを徹底すると、より受け入れてもらいやすくなるのではないでしょうか。