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7月30日(日):スポーツ報道の変遷にみるトレーナーの役割

10日ほど前の日経新聞スポーツ欄のコラム「スポーツの力」では「スポーツ報道の未来は」と題した記事がありました。

この記事のなかで取り上げていた事柄が米新聞大手のニューヨーク・タイムズ(NYT)が同社のスポーツ部門を解散し、スポーツ報道は同社が買収したスポーツ専門サイトで提供し、NYT本体は日々の試合の内容や選手、チームに関する報道を縮小することについてです。

それを受けてスポーツ報道を生業にしてきたコラムの著者が自身のこれまでの経験やそこでの醍醐味に触れつつ、今後のスポーツ報道のあり方を模索し、そこに問いを立てるような内容でした。

記事内でも触れていましたが、現在のように各自が常時ネットにつながり、いつなんどきでも欲しい情報にアクセスできる時代には試合結果などの事実の通知そのものは、さしたる価値にはなりません。

現在は新聞社のような従来のメディア企業だけでなく、各チーム自身がメディア化して積極的に情報を発信しており、サッカーならJリーグや各クラブが結果や試合映像、そして選手や監督のコメントなどもリリースしているので、誰もが無料でそれらを享受できます。

それゆえ、そこに付随する情報や人間模様、スポーツに奥行きを与えるもの、ユーザーの感情を動かすもの、そうした独自性のある発信をしてこそ価値になる、というのは理解ができるところです。

そして、こうした点は私たちフィットネス業界、トレーナーにおいても類似したことが言えると思っています。

現在のネット時代ではトレーニングの方法や身体に関する一般的な知識であれば、オンライン上にたくさんアップされていて誰もが簡単にアクセスできるものです。

つまり、それらの情報や知識そのものは既に陳腐化をしてしまったといえます。

もともとトレーナーの仕事というのはお客様が知り得ないことをトレーナーは知っている、お客様が解決できないことをトレーナーは解決できる、という知識格差、技術格差にもとづくサービス提供です。

そのなかでユーザーが様々な情報に簡単にアクセスできるようになったから、その情報格差の程度は従来よりも小さくなっています。

これは裏を返せばトレーニングをするユーザーが独り立ちしやすい素地が整ったといえるから、フィットネスの参加率を高める意味では喜ぶべき点ともいえます。

ただ、そうしたなかでトレーナーがユーザーに対して価値を提供しようと思ったら、これまで以上に個別最適化したアプローチをする必要は出てきます。

健康に向けたアプローチそのものは王道があり、普遍性のあるもので構わないので、トレーナーが他のトレーナーと比べて自分視点で独自化を図ってそこから大きく外れても本末転倒です。

大事なポイントはお客様にとっての個別最適な問題解決ができるトレーナーになることであり、その積み重ねで独自化したトレーナーになっていれば良いわけです。

先ほど情報や知識そのものは陳腐化したと記しましたが、それを個別最適な問題解決に用いることができれば、そこから価値を生むことができます。

メディアにおけるスポーツ報道が時代と共に求められる役割が変わりつつあるように、私たちフィットネスクラブやトレーナーも時代とともにアップデートし続けることが大切だと思います。

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