8月31日(土):町内会から考えるコミュニティ④
この数日間は自治会・町内会を切り口にコミュニティを捉えていますが、本日もその続きをもう少しばかり。
今回は書籍「町内会 ーコミュニティからみる日本近代」(玉野和志著)を手に取り、自治会・町内会組織の成り立ちや機能といったものを改めて考える契機になりました。
これまで同書の内容をもとに町内会の機能にフォーカスをし、聚落社会の2つの基本的機能である「生活協力」と「共同防衛」のこと、共同防衛の対象が現在では少しずつ移り変わりつつあること、地域のソーシャルキャピタルを担うのは必ずしも自治会・町内会に限定せず、多様な形があって良いことなどに触れたと思います。
地域における人とのつながり、連帯もまたひとつの共有財といえますが、自然や資源といった公共財と同様に、どんな共有財であってもそれを維持していくには相応の時間や負担が伴うものです。
一方で共有財には常にフリーライダー問題が出てきます。
これは「共有地の悲劇」と言われるもので、共有地(入会地)のように誰もが自由に利用できる公共財は、各自が自らの利害にもとづき際限なく利用してしまうので、やがて乱獲によって枯渇してしまう構図を指したものです。
換言するとそのような公共財は誰かが努力して維持してくれているならば、他の人は出来る限りそのような公共財の維持に自ら負担することなく、ただ乗りしようとする人が生じてきます。
そのため公共財を維持してくれる殊勝な人がいなくなると、やがてその公共財は維持できなくなり、ただ乗りしていた人も含めて関係者全員が被害を被ることになります。
そうしたなか、現在は公共財の維持を担っていく人が少なくなっている状況です。
これまで自治会・町内会を担ってきた方々は高齢化をして、できることに限りがでているし、現役世代は共働き世帯が増えて公共財の維持に割くような時間的・心理的な余裕がなくなっています。
このような構造的な問題、それによる疲弊が生じているなか、無理にそれを維持しようと思っても限界がくるのは道理です。
今後に向けてそれを代替していける存在は大きく2つだと思っています。
ひとつは本書でも指南をしていましたが、目的性のある市民団体がそれを補完していくことです。
自治会・町内会のように汎用性が高く幅広い活動をカバーすることはできないけれども、何らかの特定の目的のために活動しているボランタリーの市民団体であれば、その一部を積極的に担うことができます。
自治会や町内会が一手に引き受けていたことを、目的に応じて分業的にやっていくイメージですね。
そしてもうひとつは企業のように別な軸足を持っている組織です。
すべてが善意による主体性、ボランタリーだけに委ねていると、どこかで限界がきて継続性が担保できない面はあります。
このときにそれを担う組織に別の軸足となる活動があって、公共財の維持に要する時間や費用を安定的に負担できる状態をもっていれば、取り組みを持続する余地がでてきます。
企業組織も古くはメセナ、その後はCSR、現在はSDGsという形で社会に対して果たすべき責任がその時々で意識をされてきたように、経済的価値に加えて社会的価値にも目を向けた事業であるのが望ましいのは言うまでもありませんからね。
前述した単機能の市民団体による活動、別な軸足をもって安定的に活動している企業が地域へのコミットメントを強める、といった2つを組み合わせていくことができれば、少なからず自治会や町内会が果たしてきた機能を部分的に補完していくことができるんじゃないかと思った次第です。
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